カレーの誘い(1)
しばらくのお付き合い、ありがとうございました。
終章に入ります。
――変わりばえのしない色褪せた日々。
毎夜のように引き回される虚飾に満ちたパーティー。
そして昼は、設備と格式だけは整った我が財団設立の学園で、わたしを腫れ物のように扱う教師たちに愛想笑いし、蝶よ花よともてはやしてくるクラスメイトとうわべだけの友情ごっこ。
すべては、関連企業を含め全世界で七六〇万の人員を率います我が財団現当主としての、これは定めというもの。
もし芸術家が『息苦しい』という言葉をこの世に顕すとすれば、それはわたくしの肖像画というかたちで美術館に飾られることでしょう。
……もう本当に、忍耐にも限りというものがありますわ……!
「岡本! 今日こそはわたくし、ほんっとうに美味しいものが食べとうございます!」
「……はい、それではお嬢様!」
なんでしょう、学校帰りのリムジンで聞く妙にこなれた専属運転手の返事に、わたしは少しムカつきながらも素直に先をうながした。
「……言ってごらんなさいな」
「――そうですね……」
さぁさ、これが初めてのことではありません、いい加減な提案でしたら例によってお仕置きのフルコース……
「焼きトン……ご存じでしょうか?」
え、なにそれ?
……似た言葉……ヤキトリだったら先週あんたに連れてってもらったけど、やきと……ん、ていったわよね。こないだと同じコト、さすがに言わないわよね!?
「う……コホン。わたくしだって人間です。この世の森羅万象、全てを知り尽くすという訳には、それはいかないこともある、のです。……岡本、その『やーきーとぉん(?)』とかは、つまりこないだの『ヤキトリ』と、なにか関連が……?」
「そうですね。ま、平たく言えば、この間のは『チキン』、今回のは『ポーク』と、そうご理解いただければ、と」
なるほど、わかりやすい。
……そう、『あの日』以来、わたくしはビジネスと学業の間のわずかな時間を見つけてはどうにか抜け出し、岡本に命じては庶民の皆さまが集う、市井の人気の味を求めて、街のお店を尋ねて回っているのでした。
その一つひとつを挙げればキリがありませんけど……。
あえて印象の深いものを言うならば……
ギョウザでしょう、チャーハンでしょう? それから、あのカラアゲとかいうかたまり?
なぽりたん、みーとそーす、あと、ぐらたんとか言うものも美味しかったですわ。
べーこんえっぐとかいうワイルドなひと品にも、この世界のシンプルな一面に目を開かれる思いでしたし、軍隊の戦場食のような、缶に入っていたトウモロコシのスープ? 初めて頂いた、暖めたそれにはこの身が震えてしまいましたわ!
そうそう、やきとり……焼き鶏! 先日、岡本の言うがままに導かれたそのお店は、幹線鉄道の高架線の下の空間で営業する、なんと言いますか衛生という言葉から遙かにかけ離れたような場所であり、そこにいるのも全てに疲れたようなわたしのお父さんや年の離れたようなお姉さんのような方ばかりでしたが……。
「うまい! なんですの岡本、このうまさは!?」
わたくしが食べるほど、言うほどに、周囲の人々の表情は和らぎ、あまつさえわたくし、頼んでもいないものを『これたべなさい、あれのみなさい』と勧めてくれるひとも出てくる始末。
そうしてみなさんの和んだ笑顔を見るに付け、わたくしの強張った心もどこかが解けていくような気がいたしましたの。
「……そう、あれは悪くなかったわよね。なんでしたらあのお店でもかまわないのですけれど」
そういうわたしに岡本は歯切れ悪く答えた。
「そう……ですね、お嬢さん。あれは、いいお店でした。もっと続いてもよかったはず、なんですが」
……わたくしは、立場上聞きたくないことも聞かねばなりません。そのお店が、駅前開発の区画整理の対象になっていたということ。その開発企業は、われわれの競争相手の財閥のグループ会社だということ。――岡本は、その限られた権限で精一杯の抗議を試みたということ。そして。
「……学生のころから通ってた、いいお店だったんですけどね……。オヤジさんも、おふくろさんも暖かくて……!」
「その方々は……?」
「なんか、故郷のほうに帰られるそう、です」
……なににでも、栄枯盛衰はあります。ありますが、人間が、個人がそれを割り切れるかどうかは、それとはまた別物でありましょう。
「岡本……」
「はい、お嬢様」
この際に、わたくしがかけるべき言葉はただひとつ。
「……おなかがすいた!」




