カレーの誘い(2)
そーですのよ! この際、あなたの感傷なんて知ったこっちゃありません!
空腹っていうものはね、この世のどんな欲求よりも優先されちゃうモノなのよ!
なるほどそのお店については、わたくしだって思うところはいろいろありますわ。
でも、さしあたり今そのお話がわたくしの空腹を癒すことができるとでも思ってか!
「あ……申し訳ありません、お嬢様。件の焼きトンの店までもう少し。あと数分のご辛抱でございます」
そうしてしばらく、岡本はハンドルを右に、ときに左に廻すだけの動作を繰り返す。
「ところで……」
車内の無聊を破った岡本にわたしは答える。
「なんですの?」
「先日のカレー勝負、あれは一体どちらの勝利なのでしょうか?」
わたしはわずかに眉をしかめながら思い当たった。あぁ、この男、わたくしに与えられるべき最後の大皿をすべて口にしつくして、そのトランス状態から半日ほど復帰できなかった。
キチンとした勝敗の行方を知らなかったのね。
「もちろん……あの女」
少しあっけにとられた岡本の顔を見る。
「あの女、レイコが負け、でしたわね」
……わたくしの、魂の叫びが響き渡ったあの夜、彼女はアッサリと店主に対して負けを認めた。
それはそうだろう。同じ血筋、同じ技術。そして同じスパイスに最終的には同じ材料。
最後には『カレーの娘』の介入があったとは言え、これだけ条件がそろえば自らの師である店主の勝利を認めないわけにはいかないだろう。
だが、彼女はそうした人々の思惑をも越えてアッサリと両手を挙げた。彼女がカレーの娘と呼ぶ、ヤヤを見つめながら。
『あたしだって、いっしょだよ。結局なんだかんだ言っても、旨いカレーを作って行ければいいんだからね』
……一体、あの人たちのカレーに対する情熱はなんなのだろう。わたしには、彼らのように人生を賭けるに値するモノがあるのだろうか……?
なんて、およそ生まれながらの勝者であるわたくしに似つかわしくもない想いが、頭の中をふわふわと漂う。
「……じょうさま、お嬢様!?」
間の抜けた声にふと我に返ると、すでに車は停車しており運転席から岡本がこちらを向いている。
「あら、着きましたのね」
「それが、お嬢様……」
ヒキガエルのように情けない声を出す岡本にうながされて窓の外を見ると、目当てとしていたらしいお店には一切の明かりが灯らず、その表口には『本日定休日』の下げ札が!
「お~か~も~と~ぉ!!」
「はいぃ!!」
反射的に語気を荒げたものの、もはやこいつを叱りつける元気もありません。ふぅ、と一息つき。
「あなたの下調べの手ぬるさというものは、よくわかりました。もういいわ、この際何でもいいから開いてるお店に連れてって頂戴」
岡本はしきりに恐縮の態をみせつつ、再び車を動かした。
「で、でしたらお嬢様、不肖この岡本、今宵もう一軒心当たりはありまして……」
「任せます。これ以上わたくしを疲れさせないでくださいな」
……またしばらく、車窓の景色は無意味に散らばった宝石のような色とりどりの看板が光の尾を引いていく様を映し出していきます。
あれ、そういえば、この辺にはなにか見覚えのあるような……?
「ところでお嬢様」
出し抜けに前席から声をかけられて少々ドキリとしましたわ。この男にデリカシーというものは……!
「なんです?」
さすがに不機嫌を察したか、岡本はやや声を弱め、
「いやぁ……実はちょっと気になってたんですが、お嬢様、あれ以来カレーをどこかで食されたりとかは……?」
愚問です。
……これだけ長く付いていながら、わたくしの性向を全く把握できてないとは、サーヴァントという以前に人間として如何!?
「あるはずないでしょう!? 岡本、以前にも言ったはずですよ。あの日以来、わたくしの初めての『かれぇライス』はあのお店のものをと……」
「それはよかった」
出し抜けに助手席から聞こえた、美しく澄んでいるが抑揚のない声に、空腹極限のわたしはおもわず「ひ!?」ともらしてしまった。
「……わたしも、あのときのことは悪いと思っている。なにしろ結果的にはあなたの『初めて』を奪ってしまったのだから」
まさか、と思いながらそっと助手席をのぞくと、そこには鳶色のマントに身を包んだ、小さな人影が……。
「ヤヤ!」
こっくりうなずいた彼女は、まるでお人形のように窓を通りすぎる街灯に照らし出されている。
「いつから、ここに!?」
「最初から」
「つまり、わたくしが学校からこの車に乗り込んだときには、もういたのですか?」
「そう」
なんだか、頭が痛い。この娘は、ここまでしゃべらず動かずで、じっと助手席にうずくまっていたというのか!
「……なんのために?」
「使者として」
「使者ですって……?」
あぁ、もうわたくし、お腹がすいて気力が出ません……。
「使者……なんの使者だというの……?」
「……様々なルートの再建、複雑な流通の調整。材料はひと通りではない。全てが調和し、再び入荷が安定するまでこれだけの日数がかかってしまった……」
「ちょっと、あなたなにを言って……? て、言うか岡本! これは一体どういう!?」
「……お嬢様、もう着きますよ」
言われてあたりを見ると、そうです。ここは、あのカレー店のある街角ですわ!
岡本が歩道に車を寄せるが早いか、ヤヤは助手席を飛び出し、後席の扉を開いた。
「お待たせした。やっと今日、準備が整った」
わたくしだって、ここまできて察しが付かなければ、人の上に立つ資格などありません。
「岡本。先ほどのお店が今日はお休みなのは……知っていましたね?」
「はは、どうも、彼女が指定した時間まで調整の必要に迫られまして……」
主人を謀るなど不届き千万! ……ですが、これもわたくしを驚かそうと思ってしたこと。ここはまぁ度量をみせるのが高貴な者の……
「もう、仕込みは済んでいる。今が最高のタイミング。熟成したお肉がほどよく煮込まれ、あなたを待っている!」
そのままお店の扉の前までヤヤに押されるようにして歩く。
新装開店の花輪に囲まれた中に、本日貸し切りの白い札。
「……さあ」
カレーの娘に促されて、きれいに磨き上げられたその扉を開けると、軽い熱気とツンと鼻腔をくすぐる薫りがわたしを包み、その小さな店の中で真っ白いコックコートに身を包んだ親娘が「いらっしゃいませ」とわたしを迎えてくれた。
カレーの娘 完
長い時間ではありませんが、お付き合いありがとうございました。
ささやかな文字のレストラン、いかがでしたでしょうか?
皆様の鼻腔にわずかなりともスパイスの香が薫れば、書き手としても喜びに耐えません。
読了、ありがとうございます。
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重ねて、お付き合いありがとうございました!




