カレーの試合(11)
不定期掲載。16時ころ更新します。
「い、いかん!」
それは、同じレイアウトで対になっている店主の娘レイコも同じでした。
「よ、よう、そいつは!」
「あぁ。カリー・ハイだ!」
は? 『かりぃはい』? ……もう、なにもかも、このお料理に関してはわたくしには分からないことだらけ! ただひとつ分かることは……。
「押さえろ、彼を押さえるんだ! さもなくば……」
店主がなりふり構わず、周囲に控えた給仕人はおろか、一般審査員にまで声をかけて岡本を取り押さえようとする姿は普通ではありません。
どうしたの? なにが起こっているというの!?
「姐さん、俺らも!」
これまでレイコの傍らにおとなしく控えていた、件のゴロツキどもも、ここを千渡と立ち上がります。
「おまえたち、いいからはやくヤツを押さえな! さもないと……」
さもないと……?
「嬢ちゃんのカレーが、無くなっちまう!」
!!!???
「どーゆーことですか!?」
思わずマイクを片手に立ち上がったわたくしに、店主が申し訳なさげに応じる。
「お嬢さん……このカレーに、誓ってその中毒性や、ましてこのような凶暴性があるわけでは、ありません」
その声とは裏腹に、岡本は自らとその片手の皿を取り押さえようと囲んでくる男たちを、磨き鍛え上げられたその足技(あれは、コマンドサンボですわね)で次々に撃退し、隙を見つけては一匙、また一匙と皿の上のものを、その口中へと運んでゆく。
「わたしが甘かったのです!」
店主がそう述べるころには、岡本の周囲の男たちはあらかた地面にその肩や顔面をあずけるのを余儀なくされ、残ってフラフラになりながら立ち向かう猛者どもも、足一本でいいようにあしらわれている始末。
そうして、岡本自身は至福の笑みを浮かべながら、残り少ない皿のものを口に運ぶのに勤しんでいます!
店主は、苦い顔をこちらに向けた。
「彼が――一口でも食べるのを、阻止するべきでした。わたくしが言うのも憚られますが、このカレーは旨い……いや、旨すぎるのです! 一口、いや二口ならばまだしも、三口まで口に入れたが最後……!」
あ、あ……あ。
皿の上の、もはや最後の一塊が、いまゆっくりとあの阿呆の口内に消えていく……!
「あのように、食欲が止まらなくなってしまう。われわれの世界でいう、これがカリー・ハイです! それはまた、私たち料理人にとっては最高の栄誉とも言えるものですが……」
その言葉が終わるまでもなく岡本はその場にゆるゆるとへたり込んでしまいました。
……ニマニマと、しまりのない顔をして。
おそらく、ことの重大性も認識せず、に。
「……普通であれば、あの最初の毒味くらいは見過ごせるものでした。――ただ、彼はそのまま貴女にそれを運ぶには職務に忠実すぎ、また感性が繊細すぎまたようです……」
はわわ……。この一週間、いえ、物心ついてからでは、ある意味で数年越しのわたくしの夢……。
まだみぬ夢、新しい味覚。心躍る未知の体験は、こんな、こんなところで終わってしまいます、のぉ~!!!???
「――その、誰一人として予期できぬ事態のために、貴女に味気ない思いをさせたことをお詫びします」
――あー、誰旨! 『味気ない』じゃなくてわたしにとって『味ひとつない』のよぅ!!!
「しかし、ま、ご安心ください」
わたくしの声なき声を聞き取ったかのように、店主は少し声を励ました。
「こんなことがある――などとは夢にも思っておりませんでしたが、今回のテイスティングと賄いも兼ねて、小盛りではありますが一皿、実はバックヤードにキープしておりましたから……」
あ、あ。さすが年季の入った御店主! 亀の甲より年の功とはこのことかしら。
あらゆる事態を想定して対応する、その姿勢は我が財団も見習わねばならないかも知れませんわね、お勉強させていただきました!
そう思い、店主が手を伸ばした方に目を向けると……!
「……ん!?」
なにやら小さなひとかげがうずくまってカチャカチャ音をさせている。
はぁ? あれは……?
「ヤヤぁ!?」
「ん、……勝負とかは、終わったのか……?」
よく見るとキッチンの後方でその幼女じみた小さな姿でうずくまり、小振りな皿を片手に口をもぐもぐやっている。
「あ、あんた、それ……それ?」
「……うん。わたしは、おいしいカレーが食べられればそれでいいだけ。……これは賄いということなので、手を貸した報酬としてわたしが頂いておいた。お前はこんなの気にせず、自分の分を喰うといいぞ」
そう言って彼女はその小さな体にちょうど見合った、小さな皿に最後に残った小さなひと山を、小さなスプーンで口の中に運び入れた。
て、…………え。あ、あれ?
そ、そんな、『残酷』な……!
それじゃ……わたしの、わたくしの……
「――わたくしの『かれぇライス』は、いったいこの天地のもとの、どこにありますのぉおおおおおおおおおおおおっっっっっっ!!!!!!」
……この、わたくしが生まれて初めて人前を憚らず口にした魂の叫びは、同時にこの日マイクを通じて出た最大の音響となってPAのコーンを振るわせ、四方の地域まで大きくこだましていきました。




