カレーの試合(10)
不定期掲載。16時ころ更新します。
「そうか……」
店主は静かにうなずくと、手元に皿を取り出しては次々にカレーを盛りつけはじめた。そしてできたものから給仕人の手に渡り、最前から所定の席に着座していた一般審査員の前に並べられていく。
まぁその、いかに事前に定めておいた手順であるとは言え、ジリジリ致しますわね。
勝負もここまでもつれ込んだのであれば、律儀に段取りなんか守ってないで、真っ先にわたくしのところへ運んで来てもよろしいのではないかしら!?
それでなくても一度目の審査のときに二十人前を減らしてしまい、さきほど少々作り足したとは言えまたおなじ二十皿を出している。さしもの大鍋も、もう底が見えているのではないかとヒヤヒヤいたしますわ。
とはいえ、わたくし立場上はしたなく騒ぐわけにはいきません。内心の苛立ちは押さえ、努めておっとりと会場を眺める態を装わねばなりませんの。
辛いものですわ、高貴なものの務めとは。
さて、あらためて二十名の一般審査員の評決は……案の定、というべきか二十票全てが店主の側に投じられました。
新たな一杯を賞味し終えた、老若男女の庶民代表の方々は、あるいは額の汗を拭き取り、あるいは腕を組んで深くうなずき、みな一様に至福の表情を浮かべています。その自制というものを知らぬおおらかな様は、あるいはわたくしも少し見習うべきかも知れないわ、うらやましい。
さて、と、そうこうするうちに、新たな一杯が恭しく店主によって盛られ、その皿は数十メートルの距離を隔てるわたくしの方にまっすぐに差し出されましたの。
やっと、こんどこそですわ! 思い返せば一週間前、たまたま通りすがった街角で出くわしたあの匂い。あれからわたくしが、どれだけこのときを待ちわびたことか!
もはや恋と呼んでもよいほどに片時も脳裏を離れなかったあの一皿が、ついにわたくしの手元に立ち至ろうとしているのですわ!
と、わたくしが固唾を呑んでみていると、その皿は給仕人に渡されると思いきや。
「いえ、お嬢様へは、このわたくしが」
――岡本!
先ほどの失態を取り返すつもりか、給仕人と店主の間にさらりと割ってはいると、驚くほど自然に手を差し出します。。
店主は苦笑しながらも岡本に皿を委ねると、鍋を傾け、ほとんどからになったその底をこちらに向けて言った。
「お嬢さん、これが、本日のラストオーダーになります。どうか、ゆっくりとご賞味ください」
岡本は最後の一皿を恭しくこちらに捧げ、
「それでは、不肖わたくしがこの一杯をお運びさせていただきたいと存じます」
言わずもがなの言葉を口にする。
あぁ、もうそんなのはいいから、早くこっちに持ってらっしゃいな!
わたくし、努めて平静を装っているものの、もし観衆の目さえなければ、ここから立ち上がって駆け出したいくらい!
なのに、岡本ときたら!
「あ、そうそう。お毒味を……」
と、匙を取り上げ片手の皿にひとすくい、自分の口に入れようとしているではありませんか!
そ、そんなのは! あの二十名の庶民の皆さまの様子を見ればわかることでしょう! あの、食後特有のほっこり、ゆったりした姿のどこに障りの兆候があるというのですか!
岡本としては義務感というより職掌上の流れ、つまり惰性でしたことでしょうが、一匙口に入れた途端、表情が変わりました。
「む、これは……」
なんなんですの!?
「……辛い!」
――当たり前でしょう? あなた、この間お店でもそう言ってたし。
「しかし、これはただの辛さではない。辛さの中にも複雑な甘味、酸味を感じ、くわえて旨味……? まるで炎熱の砂漠のをさまよう中で突如オアシスを見つけたかのような、燃え立つ辛さの中にも一服の清涼感さえ感じさせる……ご主人、これは?」
岡本は皿を片手に振り向くも、店主はただ微笑みで答えるのみです。
「うーむ、これは確かに先日お店で頂いたのとは別物ですね――複雑玄妙なこの一皿……。この正体を見極めずして主筋に提供するなどとは、使用人として不忠不敬の極みとなりましょう。――時代が違えば、腹を召さるるも已むなしの所業、です。この岡本、身命を投げ打ってお嬢様とお家に仕える覚悟であれば、この身この舌が今宵如何なろうと、この味を極めぬ訳には参りません!」
……あー、つまり、それは……?
「では、もうひと口……美味しい!」
はい! そういうことね。
……おかもとー、屋敷に帰ったらデザートはお仕置きのフルコースですからねー。
「……しかし、まだわからない……。スパイスの精妙な調合の具合は想像できる。にしても、やはりこの肉は……?」
……ここいらで、匙を止めるならばこの大観衆の手前、笑って済ますだけの度量がわたくしにはありますわ。
それが、あの男はこちらに向かう歩みすら止めて、しげしげと皿の上を見つめている。
「やはり、正体不明のカレー肉とやら……。お嬢様のために、この身を捧げても糺し、明かすのが我が義というもの!」
言うが早いか、匙を皿の上のルーに差し入れ、取り分けて大きめの肉塊を探り当てるとすくって眼前にかざし、わずかにこちらに目を向けつぶやいた。
「お嬢様、御免!」
いや、ホントにゴメンだろお前!!
その肉塊がヤツの口中に放り込まれるのを見るに付け、わずかに残ったわたくしのなかの自制心も脆くも挫け去ってしまったわ。
普段は決して出たりしないあんな俗言が、心の中とは言えついつい発してしまうとは。
ただわたくしの、ムカ着火ファイヤーに達してしまった当然の怒りとは別に、その瞬間キッチン上の店主の顔色が変わってしまいましたの!




