名門貴族
「では、既に開戦するのは確定事項、という認識で間違いないのだな?」
「えぇ、このニデアにも、速やかに兵を纏めるよう国王陛下より命が下っております」
「我らゴルトベルク商会にも、矢や食料を多数買い付け注文が来ておりますれば、もはや疑う余地はないでしょう」
ニデアの街、領主館。かれこれ4年以上にもなろうかという間を空け、ゲオルグは再びそこを来訪していた。新住民受け入れから既に2カ月以上が経過している頃だ。その一室には、レイモンドとエドゥアルト、そしてゲオルグの3名が着席している。
「ふむ……俺にとって直接的脅威ではないと言え、困った話だ……」
腕を組み、唸るように言うゲオルグの顔色を窺うように二人が発言する。
「ね……念の為に申し上げますが、陛下の命である以上、我らにはどうしようも……」
「領主様の仰る通りです。ましてや一商人に過ぎぬ私など……」
正しく恐る恐るといった様子の二人を見て、ゲオルグは苦笑しながら答える。
「無論、出兵をどうこうしろ、などと言うつもりは毛頭ない。それこそ、本気でその気になったなら、国王の元へ向かっているさ」
帝国でリュドミラにしたように、という言葉は流石に飲み込む。例えこの二人であっても、帝国との外交状況について教えるつもりは、少なくとも今のところはなかった。
「何、一応の確認、というだけだ。ただ、二人にだから忠告しておくが、出来るだけ戦場には近付かぬことだ」
「それは……どういう……」
「言葉通りだ。深くは聞くな」
ゲオルグのやや威圧感を伴う言葉に二人が息を飲む。彼らは、今回の戦においてゲオルグが何かするつもりであることを察したのであろう。
元々、今回のディナントと帝国の戦争、ゲオルグは何かするつもりは全くなかった。しかし、予想外に多くの人間にその存在を知られ、そう遠くない内にディナントにもそれが伝わる可能性が出てきた以上、その兵力が直接ガルディナに向かう前に出来るだけ叩いておく必要が出てきたのだ。
前回の住民受け入れに際し、軍は3個中隊480名から、4個中隊640名まで増員。現在は新兵の訓練に精を出している。それに合わせ、警衛隊も新設、と言うと語弊があるが、再び結成、320名という隊員を新規採用し、それを80名ずつに編成し4部隊組織。中央の本部には20名、東西南北の分署に10名を常駐させ、一日3交代で一部隊は休み、という体勢を整えた。
これに軍の司令官ヨハン、参謀のジル。警衛隊の隊長、副長、各分署の長各1名と、57名の近衛が加わり、合計で1025名の戦力を確保することが出来た。これで人口のおよそ7%。本来は5%未満に抑えたいところではあるが、防衛力の充実を優先させている以上は現状はやむを得ない。
この内、軍の中でも実戦経験のある者を中心に選りすぐられた第1、第2中隊合わせて320名と、近衛57名、そしてジルと自分自身、合計で379名を、リュドミラとよく相談した上で来る戦争で運用するは腹積もりである。
恐らく万単位での戦争に、たかだか400にも満たぬ戦力で、と言われれば耳が痛いであろうが、その内容で言えば、どんな軍にも引けを取らぬものである。なにせ、人間とは比べるべくもない魔法の素質、身体能力を誇るドラゴニュート57名に加え、恐らく一人でも一国を相手取れるドラグニルがいるのだから。
「……承知致しました。我が領兵も、出来うる限り後方へ配置されるよう試みてみましょう」
「ふむ……私はそもそも戦場に立つこともありませぬでしょうが……いや、顔見知りでもいれば恩を売るくらいは……」
ゲオルグのただならぬ様子に、何かを察した様子の二人がそう口にする。本来、それは国へ伝えるべき言葉であることは疑う余地はない。しかし、この両名をして、国王よりもゲオルグを敵に回す方が余程恐ろしかった。
この国の言葉に、こんなものがある。
「明日の敵より今日の敵」
「未来に敵になる可能性がある存在よりも、目の前の敵の方が重要性が高い。」というのが本来の意味なのだが、それから紆余曲折経て、現在では「いつか敵になるかもしれない相手より、すぐにでも敵になりかねない相手にこそ慎重に接する方が良い」という意味合いで使われている。
要するに、報告せずともバレなければ国王と敵対することもないし、この話を知っているのがここにいる3人しかいない以上バレる可能性も低い。
しかし、報告してディナント側がなにかしらのアクションを起こせば、その時点で目の前のドラグニルにはまず間違いなくそれを察するだろう。誰が何をした結果そういったアクションに繋がったか、ということを。そうなれば、この世で最も強く恐ろしい存在を、完全に敵に回すことになるのだ。
それは、自分や自分の一族だけで問題が済めばまだいい。だが、結果として国にまで悪影響を及ぼすようなことがあれば、それこそゲオルグも国も敵となっても可笑しくない。
それは、考え得る中でも最悪のシナリオだ。
二人はそれを十二分に理解した上で、この場での話は自分の胸に秘めることに決めたのだ。それで国が滅びようとも、ゲオルグに協力的で在り続ける限り、彼は自分達を見殺しにするようなことはしないだろう。
確かに人間や敵対者に対してしばしば苛烈な対応をとる人物ではあるが、義理や情を知らぬということもないし、なにより彼自身が「借りは返す」といった旨の発言をしている。所詮は口約束ではあるが、それでも、この大陸、世界の誰よりも頼りになる口約束だ。
「……一つだけ、お聞きしたいのですが」
「何だ?」
しかし、それでも聞いておかねばならないことではあった。
「此度の戦、ディナントは……いえ、帝国とディナント、どちらが勝つのか、と」
この質問は、決してディナントの行く末を心配してのものではない。レイモンドは、代々続く名門王国貴族ではあるが、自国に危機が迫っていると聞いて、真っ先に心配するのは自身と一族である。
これが、多くの歴史に描かれているような「通常」の戦であれば、国の為、と謳ったやもしれない。だが現実は、一国を滅ぼし得る力を持った存在が敵に与している。そんなものを敵にまわしている時点で、彼は王国に見切りをつけ始めていた。
これが才能から抜擢され重用された臣、というのならまた話は違ったのかもしれないが、残念ながら、彼はただ父祖から受け継いだだけの地位にいるのみ。多くの庶民が夢に描くような忠勇の士、忠誠篤い名門貴族、という訳ではない。
貴族と王家の関係などというのは、貴族が強大になればなるほど、君臣、というよりは同盟国という色合いが濃くなる。ともなれば、自己の保身を考えるのも、言い方は悪いが致し方のないことである。
「……そうだな。個人的には、ディナントに勝たれては困る、とだけ言っておこうか」
「…………よく、分かりました」
こうして、人間でありながら後の世までゲオルグに仕えることとなる、グレフェンベルグ家の行く末が定まった。
ちなみに、グレフェンベルグ家は後世において、その祖国を捨てる判断をしたことをなじる評価を受けることも多々あったが、ゲオルグ存命の内は、彼によってそういった評価は淘汰されている。
彼、ゲオルグ・スタンフォードは、少なくとも身内に対しては義理と人情に溢れていたという評価、その理由の一端である。
例え相手が人間であろうとも、平等に。
その理念がどういった形で受け継がれていくかは、後日語る事になるであろう。




