第4話 帰る場所
その夜。
外から、馬の蹄の音が聞こえた。
母が窓の外を見て、息を呑む。
「リーナ……」
「どうしたの?」
「公爵家の馬車が来ているわ」
リーナの胸が大きく鳴った。
やがて、家の扉が叩かれる。
母が扉を開けると、そこにはアレクシスが立っていた。
「リーナ」
「……アレクシス様」
会いたくなかった。
そう思ったはずなのに。
顔を見た瞬間、なぜか涙が出そうになった。
「少し話をしてもいいだろうか」
「……はい」
リーナは部屋へ戻った。
アレクシスは、扉の外に立ったまま話しかける。
「私は君を連れ戻しに来たわけではない」
「……え?」
「君が何を思って家を出たのか、考えた」
静かな声だった。
「そして、私が君を苦しませていたことに気づいた」
「そんな……」
「番だから、君もいつか私を好きになる。そう考えていたのかもしれない」
リーナは何も言えなかった。
「だが、それは間違っていた」
アレクシスは続ける。
「君には君の人生がある」
「……私の人生?」
「ああ」
その言葉が、胸に残った。
「私は、君が成人するまで結婚を求めない」
「……」
「教育も、無理に続ける必要はない。公爵家で暮らすことも、故郷で暮らすことも、君が決めればいい」
リーナは驚いた。
「私が……決めていいんですか?」
「ああ」
「でも、私は番なのに……」
「番であることと、君の意思は別だ」
その言葉に、リーナは俯いた。
今まで、自分の人生を自分で決めたことなどあっただろうか。
公爵家へ行ったのも。
教育を受けたのも。
いつかアレクシスと結婚すると言われたのも。
全部、自分では決めていない。
「……私は、何もできません」
ぽつりと呟く。
「勉強もできないし、貴族のことも何も知りません」
「それなら、これから覚えればいい」
「私が平民でも?」
「ああ」
「公爵令嬢のほうが相応しくても?」
アレクシスは、少しだけ黙った。
「相応しいかどうかを決めるのは、周囲ではない」
そして、静かに言った。
「君自身だ」
リーナの目から、涙が一粒落ちた。
「……私は、どうすればいいんでしょう」
「すぐに決めなくていい」
アレクシスは優しく答えた。
「ただ、いつか君が大人になったとき、私と生きたいと思えるなら――そのとき、私のところへ来てほしい」
「……そのときまで、待ってくれるんですか?」
「ああ」
「番だから?」
しばらく沈黙があった。
やがてアレクシスは答えた。
「……それだけではない」
リーナは顔を上げた。
「君が、君自身として笑っていられるようになってほしい」
そう言って、アレクシスは帰っていった。
その夜。
リーナは一人で窓の外を眺めていた。
エドのことを考えた。
公爵家のことを考えた。
そして――自分自身のことを考えた。
自分は、本当はどうしたいのだろう。
答えは、まだ分からない。
けれど。
初めて、自分で決めてもいいのだと思えた。
◇◇◇
翌朝。
リーナは母に言った。
「お母さん」
「なあに?」
「私、公爵家に戻る」
母は驚いた。
「本当にいいの?」
「うん」
リーナは小さく笑った。
「でも、今度は誰かに言われたからじゃない」
「……」
「私が、自分で決めたの」
母はしばらく娘を見つめたあと、優しく抱きしめた。
「そう。なら、行っておいで」
「うん」
リーナは母の腕の中で頷いた。
今度は、自分の足で未来へ向かうために。




