第2話 公爵家の少女
公爵家での生活は、リーナが想像していたものとはまるで違っていた。
広い屋敷。
何人もの使用人。
今まで見たこともないほど豪華な食事。
そして――毎日続く教育。
「リーナ様、背筋を伸ばしてください」
「は、はい」
「お辞儀はもう少しゆっくりと」
「はい……」
「言葉遣いにも気をつけましょう」
「……はい」
礼儀作法。
読み書き。
歴史。
貴族社会の決まり。
食事の作法に、ダンス。
未来の公爵夫人になるために必要だというものを、毎日一つずつ教えられた。
けれど、リーナには難しいことばかりだった。
これまで、まともな教育を受けたことがない。
文字だって、簡単な読み書きしかできなかった。
「すみません……」
「謝らなくてもいいのですよ」
教師は優しく言ってくれる。
怒鳴られることもない。
失敗しても叱られるわけではない。
それなのに、リーナの胸はいつも苦しかった。
――私は、ここにいていいのかな。
そんな不安が、日に日に大きくなっていった。
◇◇◇
「リーナ」
ある日の午後。
部屋を訪ねてきた男性を見て、リーナは慌てて立ち上がった。
「アレクシス様……」
彼が、自分の番。
そして、いつか結婚する相手。
二十六歳のアレクシスは、落ち着いた雰囲気を持つ美しい男性だった。
「勉強はどうだ?」
「……難しいです」
「そうか」
アレクシスは穏やかに笑った。
「無理をしなくていい」
そう言って、テーブルの上に小さな菓子を置く。
「甘いものは好きか?」
「はい!」
リーナが嬉しそうに答えると、アレクシスも少し笑った。
「それなら、勉強の合間に食べるといい」
「ありがとうございます」
その時間だけは、リーナも自然に笑うことができた。
けれど――。
「アレクシス様」
侍女が部屋へ入ってきた。
「そろそろお時間です」
「ああ」
アレクシスは立ち上がった。
「また来る」
「はい」
そう言って、部屋を出ていく。
扉が閉まる。
リーナは、なぜか少し寂しくなった。
◇◇◇
それから、アレクシスが部屋を訪れることは、あまりなかった。
ある日、侍女が理由を教えてくれた。
「リーナ様はまだお小さいですから、アレクシス様も必要以上にお部屋へ伺わないほうがよいと考えておられるのです」
「……そうなんですか」
「はい。成人されるまでは、適度な距離を保つことが大切ですから」
リーナは頷いた。
それは当然のことなのだろう。
自分はまだ十二歳なのだから。
けれど、少しだけ寂しかった。
そんなある日のこと。
廊下を歩いていたリーナは、近くから聞こえてきた声に足を止めた。
「アレクシス様も大変ね」
「ええ。番とはいえ、まだ十二歳でしょう?」
「しかも平民ですもの」
リーナの胸が、どくんと鳴った。
「本来なら、エレノア様との婚姻が決まっていたのに」
「そうよね。公爵令嬢なら家柄も申し分ないし、教養もある」
「突然、平民の娘が番だなんて……」
それ以上聞いていられなかった。
リーナは静かにその場を離れた。
廊下を歩きながら、自分の胸元をぎゅっと握る。
――私がいなかったら。
アレクシス様は、公爵令嬢と結婚できたのだろうか。
そう思うと、胸が苦しくなった。
その日から。
リーナの中に、小さな疑問が生まれた。
――私は、本当にここにいていいのだろうか。




