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3/9

ようこそ、魔法学院へ 下

魔法の世界に足を踏み入れた私は、色とりどりの果物みたいな家や、花の街灯に囲まれていた。


広場の黄金樹の近くまで来ると、不思議と安心する。


……でも。


やっぱり高いところはちょっと苦手。


私は蔓をぎゅっと握りしめた。


また落ちたらどうしよう。


そんなことばかり考えてしまう。


蔓がゆっくり空へ昇っていく。


途中、箒に乗った魔法使いたちが何人か私たちの横を通り過ぎ、そのたびにちらりとこちらを見ていった。


「ねえ、悠斗」


私はそっとローブの裾を引っ張る。


「ん? 高いの怖い?」


悠斗くんはすぐに気づいたみたいだった。


「大丈夫。蔓はすごく丈夫だから」


「それより……」


私はなるべく下を見ないようにしながら聞く。


「どうしてみんな、私たちのこと見てるの?」


空には家から見たのと同じ丸い月。


その前を、雲が少しだけ横切っていた。


「この蔓、ずっと使われてなかったんだ」


悠斗くんは蔓を優しく撫でる。


「僕が入学した時に使ったのが最後だったかな……」


独り言みたいに呟く。


私は横顔を見つめた。


少し土で汚れているけれど、


最初に会った時より、なんだかずっと頼もしく見えた。


しばらくすると、


蔓はゆっくり速度を落とした。


足元でくるりと丸まり、


柔らかい階段みたいな形になる。


そのまま私たちを静かに大きな足場へ降ろしてくれた。


そこは三本の太い枝が集まってできた広い平台だった。


私は辺りを見回す。


すると一本の枝の先に、


大きな家が建っていた。


丸くて、


まるで巨大なかぼちゃみたい。


「ねえ悠斗!」


「あれ、すっごく大きなお家!」


「あれ?」


悠斗くんは笑った。


「あれは駅だよ」


「駅?」


「うん。列車乗り場」


私は目を丸くした。


「魔法使いも列車に乗るの?」


「もちろん。」


「でも僕たちの列車は、君たちのおとぎ話に出てくる馬車みたいなんだ。」


「かぼちゃの馬車?」


「そんな感じ。」


「わあ……」


頭の中に、


シンデレラのかぼちゃの馬車が浮かぶ。


かわいいなぁ。


主任さんのところへ行かなきゃいけないって分かってる


でも……


かぼちゃの列車だよ?


ちょっとだけなら……


見てもいいよね?


そんなことを考えながら、


私はふらふら駅の方へ歩き始めた。


その瞬間。


「だめ」


悠斗くんが私の手を掴んだ。


「先に主任のところ。」


そのまま手を引かれ、


一番太い枝の方へ歩いていく。


枝の先には、


蔓に覆われた大きな門があった。


悠斗くんは杖を取り出し、


門を軽く叩く。


「お帰りなさい、悠斗」


……


門が喋った。


「えっ!?」


私は思わず門を見上げる。


ゆっくり、


重たい音を立てながら門が開いていく。


「ほら、行こう」


悠斗くんは私の手を握ったまま歩き出した。


手のひらは少し熱くて、


少しだけ汗ばんでいる。


私は振り返りながら歩く。


すると後ろから声が聞こえた。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、お嬢さん」


……


門が。


私に話しかけてる。




学院の中へ入ると、


時々二、三人の魔法使いが横を通り過ぎていった。


すれ違うたび、


みんなが私を見ている気がする。


……違う。


見ているのは、


私の腕の中のうさぎさん。


私は思わずぎゅっと抱きしめた。


「悠斗」


「ん?」


「さっきの人たちって?」


「ああ。」


悠斗くんは振り返る。


「学院の見回り隊だよ。」


「そうなんだ……」


私はローブを掴んだまま、


少し後ろを歩く。


「それよりさ。」


悠斗くんが苦笑した。


「入ってからずっと僕の後ろに隠れてない?」


「だ、だって……」


私は小さく答える。


「怖いもん。」


「……」


悠斗くんは困ったように笑った。


しばらく歩くと、


私たちは学院の建物の前までやって来た。


目の前には、


レンガ造りの大きなお城。


壁一面にはツタが絡まり、


ところどころ太い蔓が蛇みたいに巻きついている。


思っていた魔法世界とは少し違うけど……


ちゃんとお城もあるんだ。


私は少しだけ嬉しくなった。


その時、


重たい扉がゆっくり開いた。


中へ入る。


高い天井。


何本もの大きな柱。


色とりどりのステンドグラス。


一番奥には静かな受付のようなカウンターが見えた。


「わあ……」


私は思わず見上げる。


「教会みたい。」


ホールは驚くほど静かだった。


歩く音も、


柔らかい絨毯に吸い込まれていく。


私は隣を見る。


悠斗くんは天井を見上げながら、


ごくりと唾を飲み込んでいた。


……そんなに緊張する場所なんだ。


「行こう。」


彼は小さく言うと、


私の手を引いた。


奥まで進むと、


左右に二本の大きならせん階段があった。


「えっ……」


私は思わず見上げる。


「これ、歩いて上るの?」


階段は上の方が見えないくらい長い。


思わず足に力が入った。


「大丈夫。」


悠斗くんは笑って、


一段目を杖で軽く叩いた。


「十二階。」


次の瞬間。


ガタッ。


足元の階段が、


ふわっと浮いた。


「ええっ!?」


私は思わず悠斗くんの腕を掴む。


階段はそのまま、


絨毯ごと空中を滑るように進んでいく。


まるで魔法のじゅうたんみたい。


「すごーい!」


私は目を輝かせた。


あっという間に十二階へ到着する。


すると階段は、


シュッと音を立ててどこかへ滑っていった。


「あれ?」


私は辺りを見回す。


「悠斗、階段どこ行っちゃったの?」


「ああ。」


悠斗くんは笑う。


「この学院の床は動くんだ。」


「送り届けたら、自分で元の場所へ帰るの。」


「へえ!」


私は足元を見つめる。


なんだか踏むのが申し訳なくなって、


つま先だけで歩き始めた。


その様子を見て、


悠斗くんがお腹を抱えて笑い出す。


「あははは!」


「大丈夫だって!」


「床は痛くないから!」


「……もう。」


私は少しだけ頬を膨らませた。


「意地悪。」


その時だった。


「――悠斗。」


廊下の奥から、


低い声が響いた。


さっきまで笑っていた悠斗くんが、


ぴたりと止まる。


背筋までぴんと伸びた。


「その子を連れて入りなさい。」


逆らえない、


そんな響きを持った声だった。


「……はい!」


悠斗くんは思わず返事をする。


私たちはそのまま廊下の奥の部屋へ向かった。


部屋の前まで来ると、


扉はひとりでにゆっくり開いた。


中には、


一人の若い男の人が座っていた。


机に向かって、


静かに書類を読んでいる。


そして――


その肩には、


一羽のフクロウが止まっていた。


「わぁ……」


思わず声が漏れる。


本当に魔法使いみたい。


フクロウは私を見ると、


小さく鳴いた。


「ホウ。」


男の人は優しく頭を撫で、


ゆっくり私たちへ視線を向けた。


机の上には、


山積みになった本。


羽ペンが一本、


静かに置かれている。


「しゅ、主任!」


悠斗くんが慌てて頭を下げる。


「聞いてください!」


そこから必死に今日の出来事を説明し始めた。


でも――


主任さんはほとんど私を見ていた。


……なんだろう。


そんなに見られると、


私、


イチゴみたいに美味しそうに見えてるのかな。


「つまり。」


主任さんが静かに口を開く。


「また無断で外へ出たんだね。」


「……すみません。」


悠斗くんはしゅんと肩を落とした。


「滕代先生……。」


私は隣の悠斗くんを見る。


……つまり。


この人。


あの紅豆パンと冷たいお茶のためだけに、


学院を抜け出したんだ。


頭の中が少し真っ白になった。


「君の名前は?」


滕代先生は静かに私を見つめた。


「わ、私は……森野七奈です。」


「森野七奈……」


先生はその名前を小さく繰り返す。


そして目を閉じた。


何かを思い出そうとしているみたいだった。


十数秒ほど経って、


ゆっくり首を横に振る。


「七奈。」


先生の視線が、


私の腕の中へ移った。


「そのうさぎは、どこで手に入れたんだい?」


私は思わず、


うさぎさんをぎゅっと抱きしめる。


「これは……」


「小さい頃、お兄ちゃんがお誕生日にくれたプレゼントです。」


「何軒もお店を回って、やっと見つけてくれたんだって。」


「そうか……」


滕代先生は小さく頷いた。


でも、


表情はどこか納得していない。


先生は机に手をつき、


少し身を乗り出すようにして、


うさぎさんを見つめた。


「……おかしい。」


その一言が、


静かな部屋に落ちた。


「ホウ、ホウ。」


肩のフクロウが急に鳴き始める。


今度は羽まで広げていた。


その瞬間だった。


部屋の隅に置かれていた大きな鏡が、


ぼんやりと光り始めた。


「……!」


滕代先生がすぐに振り返る。


「こんな時に……。」


小さく呟きながら、


鏡の前へ歩いて行く。


私は思わず覗き込んだ。


鏡の中は白く霞んでいて、


何も映っていない。


「悠斗。」


「はい!」


「七奈を連れて学院の近くで待っていなさい。」


「遠くへは行かないこと。」


悠斗くんは先生を見たあと、


私の腕の中のうさぎさんを見つめた。


それから、


もう一度鏡へ目を向ける。


「……分かりました。」


返事をすると、


滕代先生の手には、


いつの間にか一本の杖が握られていた。


先生は鏡に向かって、


静かに杖を振る。


次の瞬間――


部屋いっぱいに、


まぶしい光が広がった。


「きゃっ!」


私は思わず目を閉じる。


眩しくて、


何も見えない。


しばらくして光が消える。


ゆっくり目を開けると――


先生の姿は、


どこにもなかった。


「……え?」


私は部屋を見回す。


本当に、


消えてしまった。


「すごい……」


思わず声が漏れる。


魔法って、


こんなことまでできるんだ。


隣では、


悠斗くんが大きく息を吐いた。


「ふぅ……。」


「怒られなくて済んだぁ。」


私は思わず笑ってしまう。


「ねえ。」


私はうさぎさんを見ながら尋ねる。


「さっき先生、すごく気にしてたよね。」


「この子、何かあるのかな?」


悠斗くんも首を傾げる。


「僕にも分からない。」


私はうさぎさんを高く持ち上げる。


シャンデリアの光を浴びて、


胸についている赤い宝石がきらりと輝いた。


昔と変わらない、


いつものうさぎさん。


「私にも分かんないなぁ。」


私はもう一度抱き直した。


少しだけ、


安心する。


「そういえば。」


私は部屋の隅の鏡を見る。


「先生、どうしてあんなに急いでたんだろう。」


悠斗くんも鏡へ近づく。


恐る恐る手を伸ばして、


表面を軽く触った。


「授業で少しだけ聞いたことがある。」


「この鏡はね……」


少し間を置く。


「別の世界と繋がってるんだ。」


「えっ?」


私は思わず一歩下がった。


鏡はもう光っていない。


白く曇ったまま、


静かにそこに立っている。


「別の……世界?」


なんだか急に、


少しだけ怖くなった。


「さて。」


悠斗くんはぱんっと手を叩いた。


「滕代先生が戻ってくるまで、ここで休もうか。」


そう言うと、


その場に座り込んでしまう。


「えー?」


私は思わず声を上げた。


「学院を案内してくれないの?」


「やだ。」


即答だった。


「どうせ待つだけだし。」


私は頬を膨らませる。


「じゃあ帰ったら、みんなに魔法使いがいるって言っちゃうから。」


「……」


悠斗くんは私を見る。


「忘れた?」


「主任がまだ君の記憶を消してないだけだよ。」


少しだけ声を落として続けた。


「それに、本当に話したって……」


「誰も信じないと思う。」


「うぅ……」


私は何も言い返せなくなった。


確かに、


急にそんな話をしたら、


私でも信じない。


「……ほら。」


悠斗くんは苦笑して立ち上がる。


「少しくらいなら案内してあげる。」


そう言って、


私の手を引いた。


部屋を出る。


学院を抜けると、


またあの広場へ戻ってきた。


花の街灯が頭の上で優しく光っている。


甘い花の香りが、


夜風に乗って漂ってきた。


「ねえ、悠斗。」


私たちは並んで歩く。


「魔法使いって、みんな普通に暮らしてるの?」


「うん。」


悠斗くんは頷く。


「学校にも行くし、仕事もするよ。」


「へえ……。」


私は少し驚いた。


「魔法使いも働くんだ。」


「もちろん。」


悠斗くんは笑う。


「それに、誰でも魔法が使えるわけじゃない。」


そう言って、


ローブへ手を伸ばす。


シュッ。


一本の杖が袖の中から飛び出し、


悠斗くんの手に収まった。


「黄金樹に認められた人だけが、魔法を学べるんだ。」


「黄金樹?」


「ほら。」


彼は広場の真ん中を指差した。


金色の葉を揺らす、


あの大きな木。


「昔、一番最初の魔法使いが植えた木なんだって。」


「今みんなが使ってる杖も、この木から生まれるんだ。」


「そうなんだ……」


私はゆっくり黄金樹へ近づいた。


幹の前で立ち止まり、


見上げる。


その瞬間。


ふわり、と。


優しい風が吹いた。


葉がさらさらと揺れる。


「……あれ?」


悠斗くんが首を傾げる。


「おかしいな。」


「この辺って風、吹かないはずなんだけど。」


頭をかきながら、


木を見上げている。


「もっと真面目に授業聞いとけばよかった……」


小さくぼやく声が聞こえた。


私はそっと手を伸ばす。


黄金樹の幹へ触れた。


ごつごつしているのに、


不思議と温かい。


なんだか、


生き物に触れているみたいだった。


「そろそろ戻ろう。」


悠斗くんが声をかける。


「滕代先生、帰ってきてるかもしれない。」


「うん。」


私は小さく頷く。


少し名残惜しくなりながら、


木から手を離した。


その時だった。


ぽつん。


何かが頭の上に落ちた。


ひんやりしている。


露かな?


私は頭へ手をやる。


触れたのは、


少しだけ湿った髪。


でも、


冷たくはなかった。


「どうした?」


悠斗くんが振り返る。


「なんでもない。」


私は笑って答える。


「水が落ちてきただけ。」


そのまま、


また歩き出す。


私は悠斗くんの背中を見つめる。


……もし。


この出来事を全部忘れてしまったら。


また、


昨日までと同じ毎日に戻るのかな。


そんなことを考えていた、


その時だった。


ひゅうっ――


一陣の風が、


私たちの横を駆け抜けた。


私は思わず振り返る。


黄金樹の下に、


一人の男が立っていた。


背の高い、


見知らぬ男。


静かな声で呟く。


「……全部は引きつけられなかったか。」


独り言のようでもあり、


何かを確認しているようでもあった。


やがて、


男の視線が私へ向く。


「なるほど。」


男は小さく笑う。


「魔法道具を持っているだけの、小さなお嬢さんか。」


ほっとしたような、


それでいて少し残念そうな表情。


「まあ、いい。」


男は袖から静かに杖を取り出した。


そして、


私へ向ける。


「――おやすみ。」


「お嬢さん。」


その瞬間。


目の前の空気がぐにゃりと歪んだ。


風の塊が、

葉っぱや小石を巻き込みながら、

まっすぐ私へ向かってくる。


私は、

ただ立ち尽くしていた。


「七奈!」


ドォン――!


体が後ろへ吹き飛ぶ。


地面に倒れ込み、

肘が少し擦りむけた。


恐る恐る目を開ける。


悠斗が少し離れた場所に倒れていた。


ローブの袖は裂け、

腕には一本の傷が走っている。


立ち上がろうとして、

またその場に崩れ落ちた。


「……ほら。」


咳をしながら、

それでも少し笑う。


「ちゃんと……無事に送るって……言った、だろ……」


最後まで言い切る前に、

悠斗は静かに意識を失った。


「避けられるとはな。」


男は肩をすくめた。


「つまらない。」


もう一度、

杖を持ち上げる。


私は悠斗を見る。


少し離れた場所に、

彼の杖が転がっていた。


私は駆け寄り、

それを両手で握りしめる。


震える手のまま、

男へ向けた。


男はその様子を見て、

少しだけ笑った。


「今度こそ終わりだ。」


再び風が渦を巻き始める。


私は杖を高く掲げて、

精いっぱい叫んだ。


「キュアップ・ラパパ!」


……


辺りが、

一瞬だけ静かになった。


やっぱり。


何も起こらない。


私は目を閉じた。


ごめんね、お兄ちゃん。


もう……

一緒に朝ごはんを食べられないかもしれない。


風の渦が私を飲み込もうとした、その瞬間――


うさぎさんの胸についた赤い宝石が、

まばゆい光を放った。


しばらくして、

私はそっと目を開ける。


男はまだ目の前に立ち、

杖を構えたままだった。


けれど、

その顔には隠しきれない驚きが浮かんでいる。


「……あり得ない!」


男は歯を食いしばり、

再び杖を振る。


宙に浮いた小石が集まり、

再び私たちへ向かおうとした。


その時だった。


ヒュンッ――


鋭い風が後方から一直線に飛び込み、

男の杖の前へ叩きつけられる。


「もういい、矢野。」


静かな声が響いた。


私は気を失った悠斗を抱きしめたまま、

慌てて振り返る。


そこには一本の杖を持った男の人が立っていた。


杖の中央では、

数枚の緑の葉が静かに宙を舞っている。


「白川か……ようやく姿を見せたな。」


矢野が口元を緩める。


白川学院長は何も答えず、

杖を強く地面へ突いた。


次の瞬間。


いくつもの土壁が大地からせり上がり、

巨大な檻のように矢野を包み込む。


しかし。


矢野は軽く手を振っただけだった。


ドォン――!!


土壁は一瞬で砕け散り、

激しい土煙が辺り一面を覆い尽くす。


その煙の中へ、

白川学院長は迷うことなく飛び込んでいった。


外から見えるのは、

煙の中で何度も走る白い閃光だけ。


やがて煙が晴れる。


いつの間にか学院長の杖は消え、

その手には一本の輝く剣が握られていた。


「……相変わらずだな、白川。」


矢野はそう呟くと、

後ろへ大きく跳び退く。


「学院長! 加勢します!」


空から声が響いた。


見上げると、

滕代先生が魔法の絨毯から飛び降りてくる。


「……思ったより戻るのが早かったか。」


矢野は肩をすくめ、

小さく笑った。


「今日は、この辺にしておこう。」


その身体は、

砂時計の砂のようにゆっくり地面へ沈んでいく。


その途中。


矢野の視線が、

一瞬だけ私の腕の中へ向けられた。


見つめていたのは、

うさぎさんの胸にある赤い宝石だった。


「滕代、追う必要はない。」


白川学院長が静かに言う。


「もう追いつけない。」


滕代先生は、

地面に残った砂を見つめたまま呟く。


「先生……。


最初から、捕まえるつもりはなかったんですね。」


滕代先生は深く息を吸い、

ゆっくり拳をほどいた。


白川学院長が私の前まで歩いてくる。


深い灰色の瞳。


その視線は一瞬だけ、

私の腕の中――うさぎさんの胸元へ向けられた。


私は悠斗を抱きしめながら、

小さな寝息を感じていた。


頭の中はまだぐちゃぐちゃで、

何が起きたのか、

うまく整理できない。


私はそっと黄金樹を見上げる。


月明かりの中、

一枚の金色の葉がゆっくり舞い落ちてきた。


……きっと。


あの木が、

私たちを守ってくれたんだ。


私たち……


助かったんだよね。


「……滕代先生。」


そう呼びかけた、その瞬間。


視界がゆっくり暗く閉ざされていく。


遠くで誰かが、

私の名前を呼んでいる気がした。


でも――


その声も、

少しずつ遠ざかっていった。

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