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ようこそ、魔法学院へ

夜の私は、本当ならもうベッドに入って眠っているはずだった。


そして次の日、いつも通り学校へ行く。


そんなはずだったのに――


今の私は、見知らぬ男の子と一緒に空を飛んでいる。


古びた箒にまたがって。


月明かりが静かな街を照らしている。


ずっと暮らしてきた町を、高いところから見下ろす。


……空から見ると、こんなふうなんだ。


「ねえ、君の名前って何ていうの?」


前に座る少年の背中を見ながら聞いた。


そういえば私、この人の名前も知らないままついて来ちゃったんだ。


少年は少しだけ驚いたように振り返る。


「風祭悠斗だよ」


「へえ、悠斗くんかあ」


「どうしたの?」


少年が首を少し傾けた。


「ううん、なんでもない」




そんな話をしていた時だった。


急に箒がぐらぐらと揺れ始めた。


「きゃああああ――っ!」


景色がぐるぐる回る。


目が回りそう。


高い空には月。


その下では――


一台の箒が大暴走中だった。




「ね、ねえ! 歩いて行かない?」


私は箒の柄をぎゅっと握りしめる。


今にも振り落とされそうだった。


「大丈夫! 任せて!」


悠斗くんは左手で杖を取り出した。


そして箒を軽く叩く。


安定スタビライズ


その瞬間。


箒はぴたりと落ち着いた。


何事もなかったように夜空を進んでいく。


「ほら、大丈夫だろ?」


悠斗くんは振り返り、得意げに杖を構えた。


次の瞬間。


箒がまた加速した。


しかも今度は空中でぐるぐる回り始めた。


「今度は何なのーっ!?」


私が叫ぶと、


悠斗くんは慌てて箒にしがみつく。


「まずいっ! 先生に魔法は集中しろって言われてたのに……!」


「えっと……」


「安定!」


「減速!」


「浮遊!」


杖を振りながら次々に呪文を唱える。


ようやく箒は静かになり、


空中で止まった。


「どうしたの?」


「……魔力、切れたかも」


「え?」


「えっと……」


「私たち、落ちたりしない?」


「……する」


言い終わる前に、


私たちは落ちた。


「きゃあああああ――!!」


私は絶望しながら目を閉じた。


やっぱりこうなると思った!


――ドンッ!


箒が地面に激突する。


……


あれ?


痛くない?


私はそっと目を開いた。


そこは昔よく遊んだ小さな公園だった。


静かで、


誰もいない。


夢じゃないよね……?


そう思った時。


お尻の下から、なんだか温かい感触がした。


「……いつまで座ってるの?」


下から声がした。


「あっ、ごめんごめん!」


私は慌てて飛び上がった。


悠斗くんは立ち上がり、


服についた土を払う。


「大丈夫?」


「うん。ありがとう」


「大丈夫だよ。ちゃんと無事に送り届けるって言っただろ」


そう言いながら服を整える。


……この人。


思ったより頼りになるのかもしれない。


「それで、これからどうするの?」


「歩いて行くしかないかな」


悠斗くんは近くの木のそばへ行った。


地面には――


真っ二つになった箒が刺さっていた。


「修復魔法ももう使えないし」


「でも警察に見つかったら?」


「大丈夫」


悠斗くんは自信満々に笑う。


「これがあるから」


そう言って、


ローブの中から二枚の布を引っ張り出した。


「……パジャマ?」


柔らかい感触が指先に伝わる。


もし本当にパジャマだったら、


それはそれで捕まりそうだけど。


「違うよ! 透明マント!」


悠斗くんは顔を覆った。


「透明マントだから!」


マントを羽織り、


私たちは並んで歩き始めた。


「でも私、魔法使えないよ?」


「どうして使えるの?」


私はマントの端をつまむ。


なんだかぽかぽかしていた。


「魔法道具には魔力を蓄えておけるんだ」


「使う時に放出するから、使う人は魔法使いじゃなくても大丈夫」


悠斗くんは前を向いたまま答えた。


「へえー、すごい」


その時だった。


前から警察官が二人歩いてくる。


「か、隠れて!」


私は慌てて悠斗くんの手を掴み、


電柱の陰へ飛び込んだ。


「……あのさ」


「ん?」


「私たち、透明なんだよね」


「あ」


「忘れてた」


私は手を離した。


二人で気まずく笑う。


警察官が通り過ぎたあと、


私たちは再び歩き始めた。


「それで、主任さんってどこにいるの?」


「学院の中だよ」


「ってことは……」


私は思わず声を上げた。


「魔法世界に行くの!?」


頭の中には、


お城。


中世の街並み。


ドラゴン。


そんなものばかり浮かんでいた。


「うん」


悠斗くんは額を押さえる。


「……また主任に怒られるんだろうな」


しばらく歩いて、


商店街の外れへ辿り着いた。


さらに奥へ進み、


細い路地へ入る。


そこには小さな時計店があった。


紙提灯の灯りだけが揺れている。


「時計屋さん?」


私は首を傾げた。


どう見ても普通のお店だ。


魔法の入口には見えない。


「ほら、入るよ」


コンコンコン。


悠斗くんが扉を叩く。


「悠斗。また女の子を連れてきたの?」


部屋の中から声が聞こえた。


えっ。


ノックしただけで私がいるって分かったの?


もしかして、すごく強い魔法使いなのかな。


大きな魔法帽とか、


立派なローブとか、


きらきらした杖とか持ってたりして――


そんなことを考えているうちに、


扉がゆっくり開いた。


そこに立っていたのは、


優しそうな雰囲気のおばさんだった。


「夕真おばさん、昨日買い物に行った時に、その……」


悠斗くんがしどろもどろに説明しようとする。


すると夕真おばさんは小さくため息をついた。


「本当にうっかりさんねぇ、悠斗」


そう言いながら、


私たちの透明マントをひょいっと剥ぎ取った。


「入っていいわよ」


「えっ!? どうして見えたんですか!?」


私は思わず声を上げる。


「透明マント着てたのに!」


夕真おばさんは振り返り、


くすりと笑った。


「視線は隠せても、魔力までは隠せないのよ」


「お嬢ちゃん」


「へえ……」


魔法って難しい。


「あら?」


夕真おばさんの視線が私の腕に向く。


「お出かけなのに、うさぎさんも一緒なのね」


そう言って、


うさぎさんを優しく撫でた。


その瞬間、


夕真おばさんの表情が少しだけ止まる。


でもすぐに微笑んだ。


そして、


うさぎさんの手をそっと握る。


「可愛いわね」


「えへへ……」


私はうさぎさんを抱き直した。


「ちょっと怖かったので」


「そう」


夕真おばさんは優しく笑った。


「それなら連れてきて正解ね」


店の奥へ進んでいく。


壁にはたくさんの絵が飾られていた。


お城。


森。


海辺。


どれも綺麗だった。


だけど、


真ん中に飾られた一枚だけ少し変わっていた。


大きな一本の木。


その枝には、


果実みたいな家がたくさんぶら下がっている。


「七奈」


「ん?」


「手、握って」


悠斗くんがそう言った。


そして空中に指で不思議な模様を描き始める。


ひゅうっ――


次の瞬間、


身体がふわりと浮いた。


「きゃっ!?」


景色がぐにゃりと歪む。


絵の中へ吸い込まれるような感覚。


最後に見えたのは、


苦笑いしている夕真おばさんだった。


「まったく……面倒なことになったわねぇ」


そんな声が聞こえた気がした。


「きゃあああ――っ!!」


気づいた時には、


私たちは空から落ちていた。


「いたたたた……」


私は腰を押さえながら立ち上がる。


幸い、


そんなに高い場所じゃなかったみたい。


「ご、ごめん」


悠斗くんも地面から起き上がる。


帽子がずれていた。


「どうして落ちたの?」


私は思わず聞いた。


「普通こういうのって、もっと格好よく転移するんじゃないの?」


「まあ……着いたから結果オーライかなって」


「絶対違うと思う」


悠斗くんは目を逸らした。


怪しい。


絶対失敗した。


周りを見回す。


そこには小さな木がたくさん並んでいた。


どの木にも色鮮やかな果実が実っている。


赤。


青。


黄色。


紫。


……でも。


大きすぎる。


果実が木より大きい。


枝が重そうにしなっていて、


実は地面すれすれまで垂れ下がっている。


まるで巨大な提灯みたいだった。


「悠斗」


「ん?」


「魔法使いって、こんな大きい果物育てるの?」


私は真顔で聞いた。


「違うよ」


「え?」


「家だよ」


「え?」


家?


私のお城は?


ドラゴンは?


中世風の街並みは?


「思ってた魔法世界と違うんだけど!?」


「だからアニメ見すぎだって」


悠斗くんは呆れたように肩をすくめた。


そして、


ふと周囲を見回す。


「珍しいな」


「何が?」


「今回は住宅区に出た」


「今回は?」


私はじっと見つめる。


「……いや、なんでもない」


怪しい。


すごく怪しい。


悠斗くんは慌てて話を変えた。


「ほら、あれ見て」


私は振り返る。


そして、


言葉を失った。


そこには、


空へ届くほど大きな一本の樹が立っていた。


幹は山のように太い。


枝は雲の向こうまで伸びている。


無数の果実が吊り下がり、


蔓と枝が複雑に絡み合っていた。


遠くから見ると、


まるで空中に浮かぶ城みたいだった。


「……あれは?」


私は思わず呟く。


気づけば、


空は暗い紫色だった。


まるで絵本の中みたいな空。


「魔法学院」


悠斗くんがそう答えた。


「行こう。まずは主任のところだ」


私は小さく頷いた。


主任がどんな人なのかはまだ分からない。


でも、せっかくここまで来たんだから、


立ち止まっているわけにもいかない。


私たちは住宅区の道を歩き始めた。


道の両脇には、


細長い茎の植物が並んでいる。


先端には大きな花が咲いていた。


ほんのり光っている。


「これ何?」


「街灯」


「えっ」


私は思わず振り返った。


「じゃああっちのリンゴみたいなのは?」


「家」


「じゃあその隣のは?」


「家」


「その奥の黄色いのは?」


「だから家だって」


「へえ……」


魔法世界って、


思っていたより果物率が高い。


しばらく歩くと、


小さな広場へ出た。


中央には葉が金色に輝く大樹。


広場にはたくさんの人がいた。


みんな悠斗くんみたいなローブ姿だ。


子どもと散歩している人。


屋台を開いている人。


ベンチでおしゃべりしている人。



私は立ち止まって辺りを見回した。


不思議だった。


魔法使いの世界なのに、


どこか私たちの町と似ている。


笑い声があって、


買い物をしている人がいて、


家族で歩いている人がいる。


それはまるで、


知らない場所なのに少しだけ懐かしい景色だった。


「ほら、行くよ」


悠斗くんが私の手を引く。


「わっ」


私は慌てて後を追いかけた。


振り返る。


広場では、


まだ子どもたちが走り回っていた。


なんだか少しだけ安心する。


魔法使いも、


普通に暮らしているんだな。


やがて、


私たちは大樹の真下までやって来た。


見上げる。


そして、


思わず息を呑んだ。


大きい。


想像していたより、


ずっと大きい。


樹冠は空の半分を覆い隠し、


無数の発光する果実が枝に揺れている。


蔓は橋のように枝と枝を繋ぎ、


空中には箒に乗った生徒たちの姿も見えた。


まるで空の上に、


もう一つの街があるみたいだった。


「もしここが魔法学院なら……」


私は上を見上げたまま尋ねる。


「どうやって上に行くの?」


悠斗くんは少し得意そうに笑った。


「見てて」


杖を取り出す。


そして、


大樹の幹を軽く叩いた。


――コン。


その瞬間。


上の方から一本の蔓がゆっくり降りてきた。


するすると伸びながら、


私たちの前で止まる。


葉がぱっと広がった。


大きな葉っぱが何枚も重なり合う。


まるで緑色のエレベーターみたいだった。


「すごい……」


私は思わず呟く。


悠斗くんは先に乗り込んだ。


そして私へ手を差し出す。


「ようこそ」


夜風が葉を揺らした。


「魔法学院へ、七奈」


私はその手を取る。


蔓の上に乗った瞬間、


足元がゆっくり浮き始めた。


見上げる。


蔓は雲の向こうまで続いている。


終点なんて見えない。


私はごくりと唾を飲み込んだ。


そして、


抱えていたうさぎさんをぎゅっと抱きしめる。


「ねえ」


「ん?」


「今からでも帰りたいって言ったら……」


悠斗くんは二秒ほど考えた。


それから真顔で言う。


「無理」


「即答だ」


「だってもう動いてるし」


私は下を見る。


本当だった。


地面がどんどん遠ざかっている。


「きゃあああああ――っ!!」


私の悲鳴を乗せて、


蔓は夜空へ向かって昇り始めた。

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