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芽吹く命

夜。


魔法学院、十三階。


暖炉の火が静かに揺れる部屋で、院長先生は一枚の写真立てをそっと見つめていた。


指先で、ゆっくりとその縁をなぞる。


コン、コン。


「失礼します」


扉が開き、滕代先生が部屋へ入ってきた。


暖炉の前まで歩み寄ると、炎のぬくもりがふわりと身体を包む。


院長先生は静かに写真立てを机へ戻した。


「滕代。」


「こんな時間に来るなんて、何かあったのかい?」


「院長。」


滕代先生は小さく一礼する。


「今日の午後、学生たちが南の森林で矢野を見つけました」


「……そうか」


院長先生は窓の外へ目を向けた。


夜空には丸い月が静かに浮かんでいる。


「何をしていた?」


「花紋ネズミを……魔法で蘇らせたそうです」


部屋が静まり返る。


暖炉の薪が、小さくぱちりと音を立てた。


院長先生はゆっくりと目を閉じる。


そして、小さく息を吐いた。


「……やはり、見つけてしまったか」


その声は、どこか寂しそうだった。


院長先生は立ち上がり、窓辺まで歩いていく。


月明かりが静かに肩を照らしていた。


「無理もない」


「彼は今でも、晴奈のことを忘れられずにいるからね」


「晴奈先輩、ですか?」


滕代先生が静かに尋ねる。


院長先生は窓の外を見つめたまま、小さく頷いた。


「そうだ」


「……だが、命を取り戻す代償は、一体何なんだろうね」


しばらく沈黙が流れる。


やがて滕代先生が暖炉の前へしゃがみ込み、炎へ手をかざした。


「七奈さんたちの話では……」


「矢野は黄金樹の葉を、何枚も持っていたそうです」


「黄金樹の葉、か……」


院長先生が小さく呟く。


「魔力……いや、それだけではないな」


その時だった。


カタン。


屋根の上で、小さな物音がした。


「滕代」


「はい」


「近いうちに、もう一度『鏡の世界』へ行ってもらうことになる」


滕代先生は少し驚いたように顔を上げた。


「鏡の世界、ですか?」


「何かあったのでしょうか」


院長先生は再び写真立てを手に取る。


写真の中へ、優しく目を落とした。


「もし身体だけを蘇らせても……」


「魂は、どこへ行く?」


滕代先生の表情が少しずつ真剣になる。


「つまり……」


「矢野は、晴奈先輩の魂を探そうとしている、と」


院長先生は静かに頷いた。


「彼なら、必ずもう一度『鏡の世界』へ現れる」


暖炉の炎だけが、静かな部屋を照らしていた。


滕代先生は深く一礼する。


「……分かりました」


「すぐに準備します」



「七奈、朝だぞ」


ぼんやりと、お兄ちゃんの声が聞こえてきた。


「んぅ……もう朝ぁ?」


布団へ顔を埋めたまま、小さく返事をする。


枕元の目覚まし時計を見ると、針は七時を少し回っていた。


「ふわぁ……」


大きな欠伸をしながら、ゆっくり身体を起こす。


その時、ふと思い出した。


「お兄ちゃん」


「ん?」


「昨日の夜、部屋から出ていかなかった?」


「昨日?」


少し考えるように首を傾げる。


「ああ、トイレに行っただけだけど」


そう言って、大きく欠伸をひとつ。


「ほら、早く着替えろ」


「朝ご飯食べたら学校だぞ」


「はーい……」


まだ眠たい目をこすりながら、のろのろと布団を抜け出した。



「千晴ちゃん、おはよう!」


校門の前で手を振ると、千晴ちゃんも笑顔で駆け寄ってきた。


「おはよう、七奈ちゃん」


昨日と変わらない笑顔を見て、なんだかほっとする。


「昨日、帰って怒られなかった?」


恐る恐る聞いてみると、


千晴ちゃんは困ったように笑った。


「もちろん怒られたよ」


「あはは……」


やっぱり。


申し訳なくなって、しゅんとうつむく。


「ごめんね。あんなに遅くまで付き合わせちゃって」


すると千晴ちゃんは慌てて首を横に振った。


「違う違う!」


「昨日も言ったでしょ?」


「私、すっごく楽しかったんだから」


そう言って、にこっと笑う。


その笑顔を見ているだけで、胸の奥がぽかぽかしてくる。


「……ありがとう」


気づけば千晴ちゃんの腕へぎゅっと抱きついていた。


「えへへ」


頬をすり寄せると、


「もう、七奈ちゃんったら」


千晴ちゃんは困ったように笑う。


「ほんと、小さい子みたい」


そう言われると少し照れくさい。


でも。


嫌な気は、少しもしなかった。



昼休み。


いつものように、千晴ちゃんと並んでお弁当を広げる。


卵焼きを一口食べながら、小さな声で切り出した。


「ねぇ、千晴ちゃん」


「昨日のこと、覚えてる?」


千晴ちゃんは小さく頷いた。


「うん」


「あの人のこと?」


「そうそう」


少しだけ声を潜める。


「院長先生が言ってたんだけどね」


「矢野先生って、昔は学院の先輩だったんだって」


「えっ、本当に?」


千晴ちゃんは箸を止め、少し身を乗り出した。


「うん」


「昔、魔法世界でいろいろあったらしくて……」


昨日、院長先生から聞いた話を思い出しながら、ぽつりぽつりと話していく。


千晴ちゃんは相づちを打ちながら、肉団子をぱくりと頬張った。


話を聞き終えた千晴ちゃんは、小さく呟く。


「じゃあ……」


「矢野先生は、その晴奈先輩を生き返らせたいのかな」


「たぶん、そうなんじゃないかな」


お茶を一口飲みながら頷く。


「……そんなに晴奈先輩のこと、大切だったんだね」


でも。


千晴ちゃんはすぐに首を傾げた。


「でもさ」


「前に七奈ちゃんを襲ったんだよね?」


「うーん……」


困ったように頭をかく。


「そうなんだよね」


「だから、やっぱり変な人なのかな」


その時だった。


「七奈ー、千晴ー」


聞き慣れた声が横から飛んできた。


振り向くと、鈴木さんがお盆を持ったまま近づいてくる。


「二人で何の話してるの?」


「すっごく真剣そうだったけど」


「えっ、あ……その……」


思わず言葉に詰まる。


すると隣で千晴ちゃんが慌てて笑った。


「あ、あはは!」


「小説の話だよ!」


「今読んでるファンタジー小説!」


「へぇー」


鈴木さんは興味深そうに首を傾げる。


「面白そうだね」


「うん!」


千晴ちゃんは何度も頷いた。


「すっごく面白いよ!」


「今度貸そうか?」


「ほんと?」


「じゃあ楽しみにしてる!」


鈴木さんはそう言って笑うと、自分の席へ戻っていった。


その背中を見送ってから、ようやくほっと息をつく。


「危なかったぁ……」


小さく呟くと、


千晴ちゃんも困ったように笑った。


「もう少しでバレるところだったね」


「うん……」


私もつられて笑ってしまう。



放課後。


チャイムが鳴ると同時に、いつものように教室を飛び出した。


「七奈ちゃん、またそんなに急いで!」


後ろから千晴ちゃんの声が飛んでくる。


「えへへ、また明日ね!」


手を振ると、そのまま廊下を駆け抜けた。


器材室へ着くと、大きく息をつく。


「ふぅ……」


扉を見上げ、小さく笑った。


「今日もちゃんと間に合った」


いつものように扉を開け、転移門をくぐる。


広場を駆け抜けながら、お店のおじさんたちへ大きく手を振った。


「こんにちはー!」


「おう、七奈ちゃん!」


「今日も元気だねぇ!」


「えへへ!」


そんなやり取りを交わしながら、学院へ向かう。



学院へ着くと、院長先生はすでに門の前で待っていた。


「あっ、院長先生!」


思わず背筋を伸ばす。


「こんにちは!」


院長先生は穏やかに微笑んだ。


「こんにちは、七奈さん」


「今日は教室じゃないんですか?」


辺りを見回すと、院長先生は小さく頷く。


「今日は外で授業をしましょう」


「外ですか?」


ぱっと目が輝く。


「はい」


「今日は魔法場へ行きます」


「やった!」


思わず声が弾んだ。


教室での授業も嫌いじゃない。


でも、外で学ぶ魔法は、なんだか冒険みたいでわくわくする。



二人で学院の奥へ歩いていく。


しばらく進むと、視界がぱっと開けた。


丸い石畳が広がり、その周りには草花や小さな木々が植えられている。


風が吹くたび、葉っぱがさらさらと心地よい音を奏でていた。


「ここが魔法場です」


院長先生が静かに言う。


思わず辺りを見回した。


「すごい……」


「外にもこんな場所があったんだ」


その声に、院長先生は小さく微笑む。


「今日はここで、木元素について学びます」


そう言うと、どこからともなく一つの植木鉢を取り出した。


中には黒い土が入っているだけ。


花も。


葉も。


まだ何ひとつ芽吹いてはいない。


「院長先生」


「これは?」


不思議そうに覗き込む。


先生は植木鉢をそっと地面へ置いた。


「この中には、小さな種が一つ入っています」


「七奈さん」


「水魔法で、この種に水をあげてみてください」


思わず首を傾げる。


「でも……」


「水をあげるだけじゃ、芽は出ませんよね?」


先生は優しく頷いた。


「その通りです」


「だからこそ、今日学ぶんですよ」


先生は植木鉢を私の前へそっと置いた。


「七奈さん」


「柚乃先生から聞いています」


「あなたは水元素魔法を、とても上手に扱えるそうですね」


「えっ?」


思わず首を横に振る。


「そ、そんなことないです!」


先生は穏やかに微笑んだ。


「先生たちの言葉を、私は信じています」


「もちろん」


「あなたが努力してきたことも」


その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


先生は植木鉢へ目を向けた。


「では、やってみましょう」


「この種に、水魔法を使ってみてください」


植木鉢をそっと覗き込む。


黒い土の中には、小さな種が一粒だけ眠っていた。


「この子に、お水をあげればいいんですね」


「はい」


一歩だけ後ろへ下がり、杖を構える。


深く息を吸う。


頭の中へ、水が静かに流れる景色を思い浮かべた。


「――アクア」


淡い青い光が杖先へ集まっていく。


小さな雨雲が鉢の上へ現れ、ぽつり、ぽつりと雨粒が土へ降り注いだ。


乾いた土は静かに水を吸い込んでいく。


じっと待つ。


……


けれど。


何も起こらない。


「……あれ?」


鉢へ近づき、しゃがみ込む。


指先でそっと土を掘ってみる。


中の種は眠ったまま。


何ひとつ変わっていなかった。


「どうして……?」


そっと掌へ乗せる。


じっと見つめても、


やっぱり何も起こらない。


その時だった。


院長先生が静かに口を開いた。


「七奈さん。


水元素と木元素を、ただ一緒に思い浮かべるだけでは駄目なんですよ」


「えっ?」


掌の種を見つめたまま顔を上げる。


院長先生は穏やかに微笑んだ。


「考えてみてください。


種は、どうやって芽を出すのでしょう。


どうやって土を押し上げるのでしょう」


もう一度、掌の種へ視線を落とす。


どうやって……


芽を出すんだろう……?


院長先生は植木鉢へ視線を落とした。


「答えは、その小さな種の中にあります」


そっと種を土へ戻す。


胸の前で杖を握り直し、静かに目を閉じた。


今度は、水を思い浮かべない。


木元素のことも考えない。


思い描くのは――


ただ一粒の、小さな種。


乾いた土。


優しく降る雨。


あたたかな陽射し。


水を吸った種は、


少しずつ命を膨らませ、


やがて殻を破り、


小さな芽となって土を押し上げる。


その景色を、胸の奥でゆっくりと思い描いていく。


そして――


静かに杖を前へ向けた。


「――いけ」


小さな雨雲が、もう一度植木鉢の上へ浮かぶ。


優しい雨が、静かに土へ染み込んでいく。


やがて――


土が、小さく震えた。


「……!」


思わず息を呑む。


次の瞬間。


土を押し分けるように、


小さな緑の芽が、ゆっくりと顔をのぞかせた。


「できた……!」


思わず飛び跳ねる。


「院長先生!」


「芽が出ました!」


院長先生は目を細め、満足そうに頷いた。


「ええ。


よくできました」


しゃがみ込んで、生まれたばかりの小さな芽をそっと見つめる。


葉先には、小さな雫が一粒。


夕暮れの光を受けて、きらりと輝いていた。


「院長先生」


思わず顔を上げる。


「これって……?」


院長先生は穏やかに微笑んだ。


「七奈さん。


これが、種の成長です」


「成長……?」


もう一度、小さな芽へ目を落とす。


先生はゆっくり隣まで歩いてきた。


「今日、この子は土の中から顔を出しました。


でも、それは終わりではありません」


優しく芽へ視線を向ける。


「やがて葉を広げ、


花を咲かせ、


そして、いつかは枯れていきます」


しばらくその言葉を噛みしめながら、小さな芽を見つめていた。


院長先生は柔らかく微笑む。


「けれど。


七奈さんは、きっと覚えています。


この子が。


あなた自身の手で芽吹いたことを」


その言葉が、胸の奥へ静かに染み込んでいく。


――そうか。


この子は。


私が初めて育てた、小さな命なんだ。


院長先生は植木鉢をそっと持ち上げ、私へ差し出した。


「これは、今日の授業の記念です。


持って帰りなさい」


「えっ?」


思わず目を丸くする。


「本当に、いいんですか?」


「もちろんです。


この子を目覚めさせたのは、あなたですから」


両手で植木鉢を受け取る。


思っていたより少しだけ重たい。


でも、その重みがなんだか嬉しかった。


「ありがとうございます!」


自然と笑顔がこぼれる。


院長先生も、


優しく微笑み返してくださった。


しばらく二人で小さな芽を眺めていると、不意に院長先生が口を開いた。


「さて。


今日の授業はここまでです。


次の授業は、少し特別ですよ」


「特別?」


首を傾げる。


院長先生はどこか懐かしそうに空を見上げた。


「次は。


鏡の世界へ行きましょう」


「……鏡の世界?」


思わず聞き返す。


鏡の中にある世界?


そんな場所、本当にあるの?


頭の中には疑問ばかり浮かんでくる。


けれど。


院長先生はそれ以上何も教えてくれなかった。


ただ穏やかに微笑みながら、


「楽しみにしていてください」


そう言うだけだった。


夕暮れの風が、魔法場を静かに吹き抜ける。


胸に植木鉢をそっと抱き寄せながら、


まだ見ぬ「鏡の世界」へ思いを馳せていた。



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