表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/17

黄金の葉が舞う夜

「あの背中……」


思わず息を呑む。


それに、あの杖の形。


見間違えるはずがない。


「……矢野先生?」


小さく、その名が口からこぼれた。


隣で悠斗も目を細める。


「……あいつだ」


「二人とも、何の話をしてるの? あの人、誰?」


千晴ちゃんが不安そうに男を見つめ、小声で尋ねた。


「前に黄金樹の下で、私を襲った人だよ」


「えっ……」


千晴ちゃんの肩がびくっと震え、私の背中へそっと身を寄せる。


私は悠斗の袖を軽く引いた。


「悠斗。急いで戻って、滕代先生に知らせよう」


悠斗は男から目を離さないまま、小さく頷く。


「ああ。行こう」


私たちは息を潜め、草むらの中を少しずつ後ずさる。


枝を踏まないように。


葉を揺らさないように。


慎重に、慎重に。


やがて森の入口まで戻ると、ようやく三人そろって小さく息を吐いた。



「はぁ……はぁ……」


千晴ちゃんは服についた土を払いながら、私を見つめた。


「七奈ちゃん……あの人が、七奈ちゃんを襲った人なの?」


「うん」


私は力強く頷く。


「だから、早くここを離れよう」


「うん……!」


その返事と同時に、悠斗はもう杖を構えていた。


「――疾行しっこう


短く唱え、ゆっくりと杖を振り下ろす。


次の瞬間。


ふわり、と身体が軽くなった。


「わぁ……!」


思わず声が漏れる。


「すごい!」


悠斗は少し照れくさそうに笑った。


「ただの基礎魔法だよ」


「でも、風の元素魔法みたい」


「俺もよく分からないんだ」


そう言って肩をすくめる。


「とにかく急ごう!」


私たちは学院へ続く道を、一気に駆け出した。



商店街へ戻る頃には、空はすっかり夕暮れ色に染まり始めていた。


通りに並ぶ花灯は、花が眠るようにゆっくりとうつむき、やわらかな橙色の光を灯している。


店の窓からは温かな明かりが漏れ、昼間は賑わっていた屋台広場も、今は机だけが静かに残されていた。


そんな広場を横切るように、私たちは学院へ向かって駆けていく。


学院の大樹の根元へ辿り着くと、千晴ちゃんは私が初めて乗った時と同じように、蔦の移動ルートへおそるおそる足を乗せた。


「じゃあ千晴ちゃん、絶対に手を離さないでね」


「う、うん……」


蔦がふわりと浮かび上がる。


次の瞬間。


「きゃあああぁぁっ!」


千晴ちゃんの悲鳴が夜の学院へ響いた。


蔦は枝から枝へ滑るように駆け抜け、そのまま大きな鉄門の前まで一気に私たちを運んでくれる。


「七奈ちゃん……!」


「今の、すっごくスリルあった……!」


胸を押さえながら大きく息を吐く千晴ちゃんを見て、思わず笑みがこぼれた。


「大丈夫?」


「最初はびっくりしたけど……一回乗ったら、そんなに怖くないかも」


そう言って、千晴ちゃんは私の手をぎゅっと握ったまま笑う。


悠斗は杖で鉄門を軽く叩いた。


ゴォォォ……


昼間みたいな元気な声ではなく、眠そうな低い音を響かせながら、鉄門はゆっくりと口を開いていく。


(そっか……鉄門も夜は眠るんだ)


そんなことを思いながら、ふと腕時計へ目を落とす。


──十九時三十分。


「やばっ!」


思わず声が漏れた。


「千晴ちゃん、見て!」


慌てて腕時計を見せる。


「どうしよう……お母さんたちに心配かけちゃうよ……!」


「ほんとだ……!」


千晴ちゃんも時計を覗き込み、目を丸くした。


「急ぐぞ!」


振り返った悠斗が声を張る。


「先に滕代先生を探そう!」


そう言うや否や、一目散に走り出した。


「待ってよー!」


私たちも慌ててその後を追いかける。



「急げ、急げ!」


悠斗が先頭に立ち、学院の中を駆け抜けていく。


私は千晴ちゃんの手を握ったまま、その後を追った。


「十二階」


悠斗の声に応えるように、目の前の階段がふわりと浮かび上がる。


「え、ええぇっ!?」


突然動き出した階段に、千晴ちゃんが慌てて私の腕へしがみついた。


「大丈夫、大丈夫」


その手をぎゅっと握り返す。


「ちゃんと一緒にいるから」


「う、うん……!」


階段は私たちを乗せたまま、するすると上へ昇っていく。


やがて十二階へ着くと、悠斗は迷うことなく廊下を駆け、一つの部屋の前で足を止めた。



コン、コン。


「失礼します」


「入れ」


低い声が返ってくる。


部屋へ入ると、滕代先生は本棚の前に立ち、青い表紙の本を手にしていた。


「滕代先生」


悠斗が一礼する。


先生は本を閉じると、静かにこちらへ視線を向けた。


まず悠斗を見て。


続いて私へ。


そして、その視線は私の隣に立つ千晴ちゃんのところで止まった。


「……森野さん」


「その子は誰だ?」


「え、えっと……」


肩がぴくりと跳ねる。


「わ、私の友達です……」


しまった。


千晴ちゃんを外で待っててもらうの、すっかり忘れてた……!


どうしよう。


どうしよう……!


滕代先生は小さく息を吐いた。


「森野さん」


「学院の規則は覚えているな?」


「……はい」


うつむいたまま、小さく頷く。


その時だった。


「あの!」


千晴ちゃんが私の前へ一歩踏み出した。


「七奈ちゃんは悪くありません!」


「私が無理を言って連れてきてもらったんです!」


「それに……」


ぎゅっと拳を握りしめる。


「私が勝手について来たから、魔法学院のことも知ってしまったんです!」


滕代先生は黙って千晴ちゃんを見つめる。


「だとしても――」


「滕代先生」


悠斗の声が、先生の言葉を遮った。


さっきまでの少し頼りない表情はもうない。


「もっと重要なことがあります。」


「先に、それを聞いてください。」


先生の眉がわずかに動く。


「風祭くん」


「学院の規則は――」


「南の森林で、矢野を見ました」


その一言で。


部屋の空気が変わった。


滕代先生の表情から、わずかに残っていた穏やかさが消える。


「……何だと」


「何を見た」


悠斗は胸元の徽章を外し、先生へ差し出した。


「これを見てください」


先生は徽章を受け取り、静かに目を落とす。


森で緊急反応を起こした痕跡が、淡くその表面へ残っていた。


「……ふむ」


やがて先生は顔を上げる。


「矢野は、南の森林で何をしていた」


私は森で見た出来事を、一つずつ順番に話した。


黄金樹の葉。


花紋ネズミ。


そして――


死んだ命が、再び目を開いたこと。


話し終えた瞬間。


部屋は水を打ったような静けさに包まれた。


「……死んだ花紋ネズミを、生き返らせたというのか」


滕代先生は額へ手を当てる。


「見間違いではないな?」


「はい」


私ははっきり頷いた。


「私たち三人とも、確かに見ました」


滕代先生は深く息を吐く。


「……最近は、本当に問題ばかりだ」


しばらく考え込んだあと、静かに口を開いた。


「お前たちは今日はもう帰りなさい」


「私はすぐ院長先生へ報告に行く」


「えっ、でも千晴ちゃんの――」


悠斗が何かを言いかける。


「行くよ!」


私はその腕をぐいっと引っ張った。


「えっ!? ちょっ――」


千晴ちゃんも慌てて私たちの後を追いかける。


私たちは部屋を飛び出し、一目散に廊下を駆け抜けた。


バタン!


勢いよく扉が閉まる。


部屋の中では――


「……何か、大事なことを忘れている気がするな」


滕代先生は首を傾げる。


「……まあいい」


「先に院長先生へ報告しなければ」


そう呟くと、本を机へ置き、そのまま部屋を後にした。



「はぁ……!」


「危なかったぁ……!」


私は悠斗の腕を引いたまま、一階まで一気に駆け下りた。


ようやく足を止めると、大きく息を吐く。


悠斗は呆れたように私を見た。


「なぁ」


「千晴さんのこと、本当にあれでよかったのか?」


「いいの、いいの!」


私は何度も頷く。


「滕代先生が何も言わなかったんだから、このまま帰ればセーフ!」


「お前があそこで喋り続けてたら、絶対先生も思い出してたって!」


「……あぁ」


悠斗は苦笑しながら頭を掻いた。


「確かに、それはありそうだな」


「でしょ?」


思わず吹き出す。


「俺も滕代先生に怒られるのは勘弁だし」


「ほらね」


二人で顔を見合わせて笑った。


その横で、


「ふふっ」


千晴ちゃんも小さく笑う。


張りつめていた空気が、ようやく少しだけやわらいだ。


「じゃあ」


私は千晴ちゃんの手を握り直す。


「私たちはもう帰るね」


「これ以上遅くなると、お母さんたちが心配しちゃうから」


「おう」


悠斗は軽く手を振った。


「また明日」


その言葉とともに、一振りの箒がふわりと手の中へ現れる。


「二人とも、気をつけて帰れよ」


「悠斗もね」


私も笑って手を振り返した。


悠斗は箒へまたがると、そのままゆっくりと夜空へ浮かび上がっていく。


やがて、その姿が夜の空へ溶け込んで見えなくなる。


私は千晴ちゃんと顔を見合わせた。


「じゃあ、私たちも帰ろっか」


「うん!」



夜風に吹かれながら、私たちはゆっくりと黄金樹の広場へ向かって歩いた。


「千晴ちゃん」


少し照れくさくなって笑う。


「今日は本当にごめんね」


「本当は街をもっと案内するつもりだったのに、あんなことに巻き込んじゃって……」


千晴ちゃんは小さく首を振った。


「そんなことないよ」


「私のせいで、二人とも先生に怒られそうになっちゃったし……」


少し俯いたあと、ふっと笑みを浮かべる。


「でもね」


「今日は本当に楽しかった」


「えっ、本当に?」


思わず足を止める。


千晴ちゃんは私を見つめ、優しく頷いた。


「うん」


「また来たいって思った」


その言葉が、胸の奥へすっと染み込んでくる。


気がつくと、私も笑っていた。


「もちろん!」


「また一緒に来ようね!」


「うん!」


笑い合いながら、二人で黄金樹の前まで歩いていく。


夜の黄金樹は昼間よりずっと静かで、それでも変わらず優しく街を見守っていた。


私は立ち止まり、大きく枝を広げる黄金樹を見上げる。


(今日も、いろんなことがあったなぁ……)


そう思った、その時。


ひらり。


黄金色の葉が一枚、私の肩へ舞い降りた。


続いてもう一枚。


今度は千晴ちゃんの頭へ、そっと舞い降りる。


まるで――


「ようこそ」


そう語りかけるように。


「わぁ……」


千晴ちゃんは驚いたように葉っぱを手に取り、そっと見つめた。


私はその様子を見て、小さく微笑む。


「帰ろっか」


「うん」


私は杖をそっと構えた。


「――ゲート、オープン」


目の前に光の転移門が静かに開く。


私たちは並んで、その光の中へ足を踏み入れた。



「ただいまー!」


玄関の扉を開けると、お母さんがすぐに顔を出した。


「おかえりなさい。今日はずいぶん遅かったじゃない」


少し心配そうな顔で、私を見つめている。


「千晴ちゃんと、ちょっと寄り道してたの」


「もう……暗くなる前には帰ってきなさい」


お母さんは小さくため息をついた。


すると、リビングからお父さんの声が聞こえてくる。


「まあまあ。もう高校生なんだから、少しくらい寄り道くらいするさ」


「あなたは甘いんです!」


お母さんが少しだけ頬を膨らませる。


「えへへ……」


私は照れ笑いを浮かべながら、そのまま洗面所へ逃げ込んだ。



夜。


私は昨日と同じように、うさぎさんを抱えて、お兄ちゃんの部屋へそっと忍び込む。


「お兄、お兄」


「今日も一緒に寝てもいい?」


「またか」


お兄ちゃんは振り返り、困ったように笑った。


「今度は何があった?」


私はうさぎさんを抱えたまま、少しだけ黙り込む。


「昨日ね……怖い夢を見たの」


「どうせまた怪物に追いかけられる夢だろ?」


「違うもん!」


私はうさぎさんを抱いたまま、お兄ちゃんの足を軽くつつく。


「はいはい。俺の負け」


「ほら、早く寝ろ」


お兄ちゃんは苦笑しながら、布団の端を少しだけ空けてくれた。


私はその隣へ潜り込み、そっと身体を寄せる。


部屋には、扇風機が規則正しく首を振る音だけが流れていた。


「お兄ちゃん」


「ん?」


「昨日ね……花紋ネズミが生き返る夢を見たの」


「カモンネズミ?」


「何だ、それ」


「ち、違う!」


「模様のあるネズミ!」


慌てて言い直すと、お兄ちゃんは小さく笑った。


「お兄ちゃん」


「今度は何?」


少し迷ってから、私は静かに尋ねる。


「動物を生き返らせる魔法って、本当にあると思う?」


お兄ちゃんは少しだけ考えてから答えた。


「さあな」


少し間を置いて、続ける。


「でも、早く寝ないと明日遅刻するぞ」


「うぇぇ……」


私はうさぎさんをぎゅっと抱きしめながら寝返りを打った。


部屋は再び静けさに包まれる。


私の意識も、ゆっくりと眠りの中へ溶けていった。


――その時。


部屋のドアが、そっと開く音がした。


「……お兄ちゃん?」


眠気の中、私は小さく呟く。


返事はない。


やがて――


パタン。


静かな部屋に、ドアが閉まる音だけが小さく響いた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ