1. 春のはじまり
四月の初め、新しい学期が始まってから数日が経った。
柊佳織たちが通うこの高校は、映画館やショッピングモールのある駅から徒歩十数分ほどの住宅街に位置している。
比較的新しく建てられた学校で、学力レベルは高く、校庭は狭いものの全校生徒が収容できる大きな体育館がある。
立地上、体育祭は生徒のみで行われ、来客はない。
一方で文化祭は、事前申請やチケット制で来校者を管理しつつ、在校生の家族や受験を考える中学生、近隣高校の友人たちも多く訪れる行事として、学校全体で力を入れている。
そんな校風だからか、教室には新たなクラスメイトたちの活気が満ち、窓の外では満開の桜が風に揺れている。
佳織は、自分の席に座りながら、窓の外の桜をぼんやりと眺めていた。
徒歩圏内で、学力も高い。そんな理由で選んだ学校ではあるものの、
新学期が始まるたびに、期待と不安が入り混じるこの時期は、彼女にとって少し苦手だった。
「柊さん、今年も同じクラスでよかった!」
「ほんと、頼りにしてるからね!」
隣に座る沙織や他の女子たちが、嬉しそうに声をかけてくる。
佳織は自然な笑顔を浮かべて応じた。
「うん、よろしくね」
明るく振る舞いながらも、心の奥では少しだけ冷めた思いがあった。
(どうせ、また同じことの繰り返し)
そう思った瞬間、教室のあちこちから聞こえてくる男子たちの声が耳に入った。
「マジかよ、柊と同じクラスとか……最高じゃん」
「うわ、あの笑顔やばくない? 芸能人みたいなんだけど」
「誰かもう告るやついるかなー」
一方、廊下の外からはこんな声も。
「くそー、また別クラスか……」
「中学から一回も同じクラスになれないんだけど」
「あーあ、今年はチャンスだと思ったのになぁ……」
教室の空気は、まるで舞台の上に立たされたような視線で満ちていた。
それは“人気者”に向けられる憧れというより、どこか「見上げるもの」への視線だった。
佳織は、そんな空気に慣れていた。
それでも、どこか冷めたような気持ちが消えなかった。
佳織は昔から目立つ存在だった。
容姿端麗で勉強も運動もできる、誰もが憧れる「完璧な女の子」。
彼女を取り巻く人間関係は華やかで、一見、何も問題がないように見えた。
けれど、その「完璧さ」が逆に彼女を孤独にしていた。
——男女問わず、誰もが一定の距離を置く。
——「柊佳織は特別」だから、気軽に誘いづらい。
表向きは友人が多いが、心の奥底ではどこか疎外感を感じることもあった。
特に男子との関係は難しい。
彼女に告白してくる男子は数え切れないほどいたが、それが原因で男子からも、女子からも「距離を置かれる」ことが多くなっていた。
そのせいで、佳織は無意識のうちに男子と関わる機会を減らすようになっていた。
けれど、藤崎沙織だけは違った。
彼女は誰よりも自然体で佳織と接してくれる。
変に気を使うこともなく、嫉妬するわけでもなく、他の友人のように表面的な関係でもない。
春休み、自宅から出られないほどだった佳織が、今こうして一見普通に教室にいられるのも、沙織が支えてくれていたからだった。
沙織は、そんな佳織の横顔をほんの少し覗き込むように見た。
そして、いつものように柔らかく目を細めたあと、ふと、ぽつりと呟いた。
「でも、今年は変わるかもしれないね」
「え?」
「なんとなく、そんな気がするだけ」
にっこりと微笑む沙織。
佳織は少しだけ不思議に思いながらも、その言葉を気に留めずにいた。
——その時はまだ、自分の心に起こる小さな変化に気づいていなかった。




