2. 猫と彼と
その日の帰り道、佳織は少し気分を変えたくて、
駅前の公園を歩いていた。
特に目的があったわけではない。
ただ、人の視線から少し離れたかっただけだった。
春休みの前、佳織に落とされた暗い影は、まだ全てを払拭できてはおらず、
まだ“学校”そのものへの恐怖心も、拭いきれていなかった。
そのせいか、心身の疲労がかなり感じられていた。
「沙織は、きっと分かってるよね。誘い断ったの、悪い事したかな」
沙織は、何も聞かずにいてくれる。
無理に理由を尋ねることも、明るく振る舞うよう促すこともなく、ただいつも通りに隣にいてくれる。
その距離感に、佳織は何度も救われてきた。
今日もまた、その優しさに甘えてしまった気がして、胸の奥に小さな申し訳なさと感謝が残る。
そのとき、視界の端に白い影が映った。
(……猫?)
ベンチの後ろ、草むらの中に、
白い猫がうずくまっている。
近づいてみると、
前足に小さな傷があり、ほとんど動けない様子だった。
「大丈夫……?」
声をかけながら、
一歩踏み出そうとした、その瞬間——。
すでに、猫の前に誰かが立っていた。
——柳井良規。
彼は何も言わず、
慎重な手つきで猫を抱き上げる。
ポケットから取り出したハンカチで、
そっと、傷口を押さえる。
その動きは迷いがなく、
けれど、ひどく丁寧だった。
(……柳井くん?)
教室で見たことのない横顔。
騒がしいクラスの中では感じなかった、
静かで張りつめた空気。
佳織は、声をかけようとして——やめた。
その場の静けさを、
壊してはいけない気がした。
穏やかなのに、どこか緊張を孕んだ背中。
まるで、踏み込んではいけない境界線が引かれているようだった。
(……柳井くんって、こんな顔するんだ)
良規は猫を抱えたまま、
一度も振り返らず、公園を後にした。
佳織はその場に立ち尽くし、
何も言えないまま、その背中を見送った。
——それが、
彼女にとっての「小さな変化」の始まりだった。
⸻
これは、
交わるはずのなかった二人が、
少しずつ同じ世界を見始める物語。
最初は、気のせいだと思っていた違和感。
けれど、何度も目に入る背中。
何度も思い出してしまう横顔。
やがてそれは、
無視できない「意識」へと変わっていく。
迷いながら、すれ違いながら、
それでも少しずつ近づいていく。
この物語は、
そんな「少しずつ」の積み重ねの記録——。




