1. 交わらなかった二人の世界
「佳織ー! 今日の帰り、どこか寄っていく?」
佳織の親友、藤崎沙織が、いつものように隣で問いかける。
沙織は、高校二年生にしては、少し大人びて見える女子だった。
落ち着いた目元と、整った立ち姿。
けれど表情は柔らかく、言葉の端々には親しみやすい快活さもある。
その穏やかな明るさは、接している相手の気持ちを自然と軽くするようで、佳織の隣にいると、なおさら際立って見えた。
一方の佳織は、ただそこにいるだけで視線を集める存在だった。
見る者を一瞬、言葉を失わせるような華がある。
すっと伸びた背筋、均整の取れた顔立ち、静かに伏せた睫毛。
制服姿でも分かるほどしなやかに整ったスタイルも相まって、本人が意識していなくても、ひとつひとつの仕草がどこか目を離せなくさせる。
沙織は幼い頃からの仲で、そんな佳織がどんなに周囲から注目されようとも、
唯一彼女を「特別扱いしない」存在だった。
「んー、今日はちょっと用事があるから……また今度ね」
佳織はにこやかに答えながら、
ふと、廊下の向こうに目を向けた。
クラスメイトたちが楽しそうに話す声。
誰かが笑い、誰かが冗談を言い合う、いつもの放課後。
その中に、目立つ一角があった。
「おい翔! 今日の昼、購買でパン取り合いになったやつ、あれなんだったんだよ!」
「いやいや、先に取ったのは俺だからな! ちゃんと見ろっての!」
声の主は相沢翔。
短く整えた髪に、人懐っこい笑顔。
声も表情もよく通り、黙っていても周囲を巻き込んでしまうような明るさがあった。
クラスのムードメーカーで、男女問わず自然に人が集まるタイプだ。
その隣には、水瀬涼子が腕を組んで立っている。
涼子は、すらっとした立ち姿が印象的な女子だった。
きりっとした目元に、はっきりとした表情。
翔の勢いに負けるどころか、同じくらい軽やかに場の空気を動かせる快活さがある。
翔と涼子は、中学の頃から付き合っているらしい。
佳織は二人と特別に親しいわけではなかったが、それでもその噂は知っていた。
実際、こうして並んでいる姿を見ると、賑やかで遠慮のないやりとりも含めて、確かにお似合いのカップルに見える。
もっとも、少し前に翔が胸の無さを軽くからかったせいで、涼子が激怒し、翔を教室中追い回したことがあった。
佳織もその場面を見ていたので、二人の仲の良さと、涼子の遠慮のない気の強さは、なんとなく知っている。
「翔、またくだらないことで騒いでるの?」
「あれはな、男子にとっては重要な戦いなんだよ!」
「はいはい、そういうのは購買の前でやりなさい」
涼子が軽くため息をつくと、
翔は「冷てぇなぁ」と笑いながら肩をすくめた。
(やっぱり、相沢くんたちは賑やかだな)
佳織は、そのやりとりを少し離れたところから見ていた。
その輪のすぐそばに、
もう一人、静かに立っている男子がいた。
(……あの人は、えっと……柳井くん?)
柳井良規。
真っ黒な髪は、目にかからないくらいに整えられている。
二重の目は大きく、顔立ちには少し幼さも残っているのに、表情がほとんど動かないせいか、不思議と年齢の読みにくい雰囲気があった。
騒ぎに加わるわけでもなく、
かといって距離を取っている様子もない。
翔が話しかければ短く返し、
涼子が何か言えば、特に構えず受け止めている。
(……仲、悪くはなさそう)
ただ、立っている姿勢に、妙に無駄がなかった。
目立とうとしているわけではないのに、周囲の賑やかさとは違う静けさをまとっているように見える。
しかし、佳織は、それ以上考えることなく、
沙織と並んで教室を出た。
廊下を抜け、昇降口へ向かう途中、
背後から、ひそひそとした声が聞こえてくる。
「……柊ってさ、やっぱすげーよな。見てるだけで緊張するっていうか……」
「告るやついるけど、全員フラれてんだろ。しかも秒で」
「うん。あれ、ただの美人ってレベルじゃないしな。どう考えても無理ゲー」
わざと抑えたようで、
実際はしっかり耳に届く距離と音量。
聞こえないふりをするのも、もう慣れていた。
(……また、いつもの)
佳織は何も言わず、
ほんの少しだけ視線を落として歩き続ける。
隣を歩く沙織は、
背後の男子たちを軽く一瞥してから、何も言わずに佳織の横へ寄り添う。
校舎の外に出ると、
ひんやりとした夕方の風が制服の袖を揺らした。
空気が変わったことで、
胸の奥が少しだけ軽くなる。
「じゃあ、また明日ね」
「うん、おつかれー!」
沙織に手を振り、
佳織は校門を出ていった。




