↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
28/29

2.夏休み初日、午後

「わ……期待してたより、ちゃんとレディースフロアって感じしてる」


ショッピングモールのエスカレーターを上がったところで、沙織が感嘆の声を漏らした。


夏休み初日の午後。


佳織と沙織は、最近改装されたばかりのフロアに来ていた。


以前この階に来たときは、雑貨店や小さなゲームコーナー、家族向けの店が混在していて、通路を行き交う人の層もばらばらだった。

買い物をしていても、佳織に視線を向ける男子や男性客がどうしても目に入ってしまい、落ち着いて店を見て回れる場所とは言いづらかった。


けれど、改装後のフロアは雰囲気がまるで違っていた。


明るい色合いの通路に沿って、アパレルショップやコスメショップ、アクセサリーの店が並んでいる。

店先には涼しげな夏服や淡い色のバッグ、サンダル、髪飾りが飾られ、通路を歩く客も友人同士の女子や母娘連れがほとんどだった。


「ね、これなら佳織も色々見やすそうじゃない?」


沙織は楽しそうに辺りを見回す。


「うん。前と全然違うね」


佳織も頷いた。


改装前に来たときより、ずっと歩きやすそうだった。

視線を気にしながら通路を急いで抜ける必要もなさそうで、沙織がここに来たがっていた理由も分かる気がした。


それでも、胸の奥には少しだけ引っかかるものが残っていた。


終業式の日も、結局言えなかった。


あの公園で急に帰ってしまったこと。

帰り際、良規の方を見られなかったこと。


謝りたいと思っていたのに、その一言を伝えられないまま夏休みに入ってしまった。


学校で顔を合わせる機会が減ると分かっているからこそ、そのことが小さな後ろめたさになって残っている。


「……佳織」


隣を歩いていた沙織が、そっと声をかけた。


「まだ気にしてる?」


「え?」


「柳井くんのこと」


佳織は小さく息を止めた。


「……そんなに分かる?」


「そりゃ分かるよ。付き合い長いしね」


沙織は責めるようには言わなかった。

いつもの穏やかな声で、少しだけ笑う。


佳織は視線を落とした。


「終業式の日も、結局言えなかったから」


沙織は少しだけ考えるように前を見た。


「仕方ないよ。あの流れだと、無理に話しかけても悪目立ちしちゃうから、柳井くんも困るだろうしさ」


「でも……」


「夏休みが終わったら、また普通に会うんだし。そのときで大丈夫だよ」


「……うん」


「それに、きっと柳井くんも、怒ってるとかそんな感じじゃないと思う」


その言葉に、佳織は少しだけ黙った。


良規が怒っているところは、確かに想像しづらい。

それでも、簡単には割り切れなかった。


沙織はそれ以上深く聞かず、近くのアパレルショップへ視線を向けた。


「でも、せっかく来たんだし、今日はまず買い物。悩むのは、また今度!」


「……うん」


佳織は小さく頷いた。


胸の奥に残っていたものが消えたわけではない。

けれど、沙織がいつも通りの明るさで前へ進んでくれるだけで、少しだけ息がしやすくなった。


***


「ねえ、佳織! これ、どう?」


アパレルショップの一角で、沙織が明るい声を上げた。


沙織が手に取っていたのは、上下で揃ったセットアップだった。

体に沿うタイトめのトップスと、落ち感のあるワイドパンツ。

淡い色合いでまとめられているのに、全体の線はすっきりしていて、今っぽい大人っぽさがあった。


「可愛い。沙織にすごく似合うと思う」


佳織は笑顔で頷いた。


「ほんと?」


「うん。カッコいい感じも、沙織っぽい」


「こういうの、去年あたりからよく見るし、試してみたかったんだよね。じゃあ、ちょっと試着してみようかな」


沙織が嬉しそうに笑う。


店内には、白や水色、淡い黄色の夏服が並んでいた。

薄手のブラウスやスカート、軽い羽織りものもあり、どれも涼しげに見える。


「佳織も何か見てみたら?」


「うん」


沙織に促され、佳織も近くの棚へ目を向けた。


薄い生成りのブラウスに、小さな刺繍が入っている。

派手ではないけれど、柔らかくてきれいなシルエットだった。


「それ、佳織に似合いそう」


「そうかな」


「うん。上品だし、こういうの着たら、絶対綺麗」


「絶対って」


佳織が少し笑うと、沙織は真顔で頷いた。


「絶対」


「……じゃあ、試着してみるだけ」


「ん、私も試着してみるだけ」


沙織は楽しそうに笑った。


そのまま二人は店の奥のコーナーへ移動する。


以前なら、佳織は通路側に近い場所に立つだけでも少し身構えていた。

けれど今日は、店内を歩いていても、肩に入る力がいつもより少ない。


そのことに気づいて、少しだけ安心しかけたときだった。


通路を歩くカップルの男性客が、ちらりとこちらを見た。


ほんの一瞬だった。

けれど、隣にいた女性がその視線に気づき、鋭い目つきで佳織を見る。


佳織は気づかないふりをした。


何かをしたわけではないのに……


それでも、さっきまで少し軽くなっていた胸の奥が、ほんの少しだけ冷える。


沙織が何も言わずに、佳織の隣へ寄った。


「佳織、試着室、ちょうど二つ空いてるって」


「あ……うん」


沙織は事情を確かめようとはしなかった。

ただ、いつも通りの明るい声で、店の奥へと視線を向けてくれた。


そのさりげなさに、佳織は少しだけ救われる。


***


一通り服を見終えると、二人は浴衣コーナーのある別の店へ移動した。


店内には華やかな柄の浴衣や帯がずらりと並び、夏らしいディスプレイに彩られている。

朝顔、金魚、花火。

淡い色のものから、落ち着いた紺地のものまで、見ているだけで夏祭りの夜を思い出すようだった。


「佳織は浴衣、新しいの買わないの?」


沙織がさりげなく尋ねる。


「うーん、うちにあるの、多分まだ着られるし、今回はいいかなって」


佳織は少し悩んだように、浴衣の並ぶ棚を見つめた。


いま手持ちの浴衣は一昨年買ったもの。

身長も伸びているし、新しいものを買ってもいいと思う。


けれど、今のところ着ていく予定もない。

この近くでも夏祭りがあるのは知っているが、大勢の人がいるかと思うと、あまり気が乗らなかった。


また、あんな怖い目に遭うのは……


「そっか。でも、これとか絶対似合うのになぁ」


ディスプレイでマネキンが着ている浴衣を見ながら、沙織は残念そうに言う。


「佳織、浴衣似合うし」


「そんなことないよ」


「あるよ。絶対ある」


「また、絶対っていう」


「本当だよ」


沙織はそう言いながらも、無理に勧めることはしなかった。


「まあ、それならまた今度にしよっか」


「うん」


佳織は小さく頷いた。


浴衣の鮮やかな色を見ていると、夏祭りに行きたい気持ちがまったくないわけではないと分かる。

けれど、二人だけで行くことを考えると、どうしても少し身構えてしまう。


そのことを、沙織も分かっているのだと思った。


***


買い物のあとは、同じモールの中にあるスイーツ専門のカフェでひと休みすることにした。


華やかなデザートが並ぶショーケースに目を向けながら、二人は席につく。

席の周りは買い物帰りの女性客が多く、店内には甘い香りと落ち着いた話し声が満ちていた。


「やっぱり、ショッピングの後はカフェに限るよね」


沙織が満足そうに、冷たいフルーツティーを一口飲みながら言う。


「うん。こういうの、夏休みって感じする」


佳織も、ストローをくわえながら微笑んだ。


カフェの冷房が心地よく、外の蒸し暑さを忘れさせてくれる。


「……そういえば、柳井くんって、こういうスイーツも詳しいのかな?」


沙織がふと話題を変えた。


「柳井くん?」


佳織は思わず聞き返す。


「ほら、相沢くんが言ってたじゃん。ケーキ屋とかで材料とか語り出すんだって」


「あ……うん」


佳織はテーブルの上のデザートへ視線を落とす。


「でも……知ってても、さすがにこの店には来たことないんじゃないかな。女子ばっかりだし」


「だよね。ここに柳井くん一人で座ってたら、ちょっと絵面的にすごいし」


沙織が笑いながら言うと、佳織も思わず吹き出した。


無表情に近い顔で、淡々とメニューを見ている良規。

周囲が女性客ばかりでも、本人はあまり気にせず、普通にスイーツの説明を始めそうな気もする。


「でも、相沢くんが言ってたよね。おすすめのメニューとか、詳しく教えてくれるって」


「うん」


「見た目とのギャップ、すごいよね」


沙織が楽しそうに言うと、佳織もその姿を思い浮かべて、つい笑ってしまう。


良規がこの店のショーケースの前に立って、真顔でケーキを見比べているところ。

それを想像すると、少しおかしくて、でも不思議と嫌ではなかった。


「じゃあさ、今度柳井くん誘って、ここに連れてくれば?」


「えっ……なんで私が?」


佳織は一瞬、焦ったように目を見開いた。

そしてすぐに、慌てて両手でカップを持ち直す。


「私が一緒に来られないときに、ボディガードお願いしてみたら? ほら、相沢くんが言ってたじゃん。柳井くん、強いらしいし、困ったことがあったら頼んでみてもいいかもって」


「え、そんなの……護衛みたいで悪いよ……」


「いいじゃん。ご褒美に、きっと食べたことないここのスイーツご馳走してあげれば」


「ご褒美って……」


「佳織がスイーツ選んでる横で、柳井くんが無言で立ってるっていう構図、見てみたいなぁ」


「……や、やめてよ。想像したら変な汗出てきた」


頬を赤らめながら、佳織は視線を逸らし、カップに口をつけた。


その様子に、沙織はくすくすと笑い続けていた。


ひとしきり笑ったあと、ふと沙織が通路の方を見ながらぽつりと呟く。


「今年の夏祭り、やっぱりやめておこっか」


「うーん……」


佳織は少し考え込んだ。


「行きたい気持ちはあるんだけど、二人だけだとちょっと……ね」


「うん、分かる。お祭りって楽しいけど、ああいう場って声かけられることも多いし、なんか落ち着かないんだよね」


「……だよね」


佳織も少しため息をついた。


夏祭りの雰囲気は好きだ。

屋台の灯りも、浴衣も、夏の夜の空気も。


けれど、知らない人に見られたり、声をかけられたりすることを考えると、素直に楽しみとは言い切れなかった。


「まあ、今年はいいかな」


「うん……来年また考えよっか」


二人は納得したように頷いた。


ショーケースに残る色とりどりのスイーツが、冷たい光を反射している。

外では夏休みが始まったばかりなのに、ほんの少しだけ、予定のない夏の夜が遠く感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。