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2.再び公園にて

沙織と別れたあと、佳織はひとりで帰り道を歩いていた。


駅へ向かう生徒たちの流れから少し外れると、放課後のざわめきが少しずつ遠ざかっていく。


けれど、さっき昇降口で聞いた話は、まだ頭の中に残っていた。


相沢翔と水瀬涼子は、教室で受けていた印象そのままだった。


明るくて、話しやすい。


けれど佳織の中に残っていたのは、二人のことよりも、そこから聞いた良規の話だった。


そのどれもが、佳織がまだ知らなかった良規の一面だった。


(スイーツに詳しいんだ……)


昨日の喫茶店で食べたガトーショコラとチーズケーキを思い出す。

また食べに行きたいくらい、美味しかった。


柳井くんなら、あのお店のケーキをどう言うのだろう。


チョコレートの産地とか。

生地の食感とか。

相沢くんたちが言っていたみたいに、真顔で何か説明してくれるのだろうか。


思わず、くすっと笑みがこぼれる。

そこまで考えて、佳織は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。


(別に、二人きりで会って聞いてみたいとか、そういうわけじゃ……)


そう思ったところで、足が少しだけ緩んだ。


いつもの帰り道から少し外れた先に、公園へ続く通りが見える。


あの白い猫は、元気にしているだろうか。


前に良規が、放っておくと知らない間にふらっと出かけて、また戻ってくることがあると言っていた。

なら、もしかしたら今日は、あの公園にいるかもしれない。


(……少しだけ、見ていくだけ)


良規に会えるかもしれないと思ったわけではない。

ただ、あの猫の姿が見られたらいいなと思っただけ。


そう自分に言い聞かせながら、佳織は公園の方へ足を向けた。


夕方の公園は、前に来たときより少しだけ賑やかだった。


遊具の方からは子どもたちの声が聞こえる。

ベンチの近くでは、年配の人がゆっくりと立ち上がっていた。

木々の葉が風に揺れて、陽射しの名残を細かく散らしている。


佳織は入口で足を止め、そっと視線を巡らせた。


白い猫の姿は、すぐには見えなかった。


(……いないかな)


そう思って少しだけ視線を落としたとき、ベンチの方に人影が見えた。


佳織は思わず足を止める。


ベンチに座っていたのは、良規だった。


片手に文庫本を持ったまま、少し俯くようにしている。

その足元には、白い猫が丸くなっていた。


胸の奥が、一度だけ強く鳴った。


本当に、いた。


佳織はしばらく立ち止まったまま、どう声をかければいいのか迷った。


猫を見に来ただけ。

たまたま通りかかっただけ。


そういう顔なら、できるだろうか。


けれど、迷っている間に、良規がふと顔を上げた。


「柊さん?」


先に気づかれて、佳織は小さく息を吸った。


「柳井くん」


声が少しだけ上ずっていないか、言ったあとで気になる。


良規は特に不思議がるでもなく、持っていた文庫本にしおりを挟んだ。

それを鞄にしまってから、いつものように淡々とこちらを見る。


「また寄り道か?」


「……うん。少しだけ」


答えてから、佳織は足元の猫へ視線を向けた。


「今日は、猫ちゃんも一緒なんだね」


良規は軽く頷く。


「ああ。しらたま」


「しらたま?」


佳織は思わず聞き返した。


良規は足元の白い猫を見る。


「名前。白いから、安直だけどな」


「名前、つけたんだ」


「いつまでも“あいつ”とか“猫”って呼ぶのも変だからな」


淡々とした言い方だった。

けれど、その響きが少しだけ可笑しくて、佳織は口元を緩めた。


「可愛い名前だと思う」


「そうか?」


「うん。似合ってる」


「そっか。きみ、しらたまっていうんだ」


そう言うと、しらたまが小さく顔を上げた。


佳織の方をじっと見ている。

丸い目が、夕方の光を受けて少しだけ明るく見えた。


「近づいても大丈夫かな」


「嫌なら逃げる」


「そっか」


佳織はしゃがみ込み、急に手を伸ばさずに、少しだけ待った。


しらたまはしばらく佳織を見ていたが、やがてゆっくり立ち上がる。

そして、当然のように佳織の方へ歩いてきた。


「わ……」


足元にすり寄られて、佳織の声が自然と柔らかくなる。


そっと指先を出すと、しらたまは匂いを確かめるように鼻を近づけた。

それから、頭を軽く押しつけてくる。


佳織はゆっくり背中を撫でた。


白い毛は思っていたよりも柔らかく、指先にかすかな温かさが伝わってくる。


「すごい。撫でさせてくれた」


「……珍しいな」


良規が小さく呟く。


佳織は顔を上げた。


「そうなの?」


「俺以外には、あんまり寄らないなと思ってた」


その言葉に、佳織の手がほんの少し止まる。


しらたまはそんなことなど気にしていないように、佳織の足元で尻尾をゆっくり揺らしていた。


「……そうなんだ」


ただ、それだけのことなのに、胸の奥が少しだけ温かくなる。


しらたまが懐いてくれたのが嬉しい。

それは確かだった。


けれど、その様子を良規が少し意外そうに見ていることにも、なぜか落ち着かなくなる。


「じゃあ……私のことは、平気なのかな」


佳織が少し戸惑いながら言うと、良規はしらたまを見た。


「そうみたいだな」


短い返事だった。


けれど、その言葉を聞いた瞬間、佳織の胸の奥がまた少しだけくすぐったくなる。


しらたまは佳織の手に頭を押しつけ、気持ちよさそうに目を細めた。


「……なんでだろ。柳井くんと仲良いって、そう思ってくれてるのかな」


言ってから、自分の言葉に少しだけ驚いた。


仲良い。


自分で言ったはずのその声が、思ったよりも響いて聞こえた。


良規も、少しだけ目を瞬かせる。

それから、返す言葉を探すように視線を落とした。


「……どうだろうな」


短い返事だった。


でも、否定されたわけではなかった。


そのことに気づいて、佳織は胸の奥がまた少し落ち着かなくなる。


しらたまは、二人の間で小さくあくびをした。


ふたりの間に、穏やかな沈黙が流れる。


気まずいわけではない。

嫌ではないはずなのに、なぜか落ち着かない。


柳井くんと、また二人きりで話している。

白い猫を撫でながら、前よりも少し自然に。


そのことに気づいた瞬間、佳織は急に自分の鼓動が気になった。


(どうしよう、この時間……)


何か言わなければと思う。

けれど、言葉はすぐには出てこない。


それでも、沈黙が嫌なものではないのが、余計に落ち着かなかった。


佳織はふと我に返るように、そっと手を引いた。


「あ……そろそろ帰るね」


良規が顔を上げる。


「そうか」


「うん。あんまり遅くなると、家族にも心配されるかもしれないし」


自分でも、少しだけ早口になっているのが分かった。


良規は特に追及せず、短く頷いた。


「気をつけて」


「……うん。ありがとう」


佳織は立ち上がり、スカートの裾を軽く整えた。


足元では、しらたまがまだこちらを見上げている。


「またね、しらたま」


それだけ言うのが精一杯だった。


良規の方を見ることはできなかった。


頬に熱が集まっているのが、自分でも分かった。

さっきまで自然に話していたこと。

しらたまに懐かれて、嬉しくなってしまったこと。

良規の前で笑っていたこと。


思い返すほど、顔の熱が引かなくなるのが分かった。

それを見られたくなくて、佳織はそのまま良規に背を向けた。


落ち着いて歩こうとした。

けれど、思ったより足が速くなる。


公園の出口へ向かう間も、背中まで熱く感じた。

振り返る余裕はなかった。


胸の奥は、少しだけ騒がしかった。


しらたまに会えたから。

良規と話せたから。

それとも、さっき自分が自然に笑っていたことに気づいてしまったから。


どれなのか、まだよく分からなかった。


***


佳織の姿が公園の入口の向こうへ消えてから、良規はしばらくその方向を見ていた。


足元では、しらたまが何事もなかったように前足を舐めている。


「……急だったな」


ぽつりと呟く。


さっきまで普通に話していたはずだった。

しらたまも懐いていた。

少なくとも、嫌がっているようには見えなかった。


それなのに、柊さんは急に帰ってしまった。


良規は少しだけ眉を寄せる。


「俺、何か変なこと言ったか?」


答えるはずのない問いに、しらたまは小さく鳴いた。


良規はその声を聞いて、さらに分からなくなったように息を吐いた。


「……分からん」


夕方の風が、ベンチのそばを静かに通り抜けていった。

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