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23/29

1.始まりは偶然の交差

放課後の昇降口前は、帰り支度を終えた生徒たちでほどよく混み合っていた。


下駄箱の前で立ち止まる者。

友人を待ちながら壁際に寄る者。

校門の方へ向かって、軽い足取りで歩き出す者。


その流れの少し外れたところで、翔と涼子は並んで靴を履き替えていた。


「なあ」


翔が、少し声を落として言う。


「柊さん、最近またちょっと分かりやすくなってないか?」


涼子は靴のかかとを整えながら、ちらりと翔を見る。


「良規のこと?」


「まあ、そう」


「それは前からでしょ」


「いや、前からなのは分かってるけどさ。なんか、少しずつ強くなってる気がするんだよな」


翔がそう言うと、涼子は少しだけ考えるように視線を上げた。


「もうすぐ夏休みだからじゃない?」


「夏休み?」


「学校で会う機会、減るでしょ。まだ自分でもよく分かってない相手なら、距離が空く前に余計気になっちゃうこともあるんじゃないかな」


「……そういうもんなのか」


「そういうもんです」


涼子が軽く言うと、翔は感心したような、納得しきれていないような顔をした。


「良規は絶対そこまで考えてないけどな」


「それは知ってる」


「即答かよ」


「だって良規だし」


そんなやり取りをしていると、涼子の視線がふと床へ落ちた。


昇降口から廊下へ続くあたりに、薄いカードケースのようなものが落ちている。

人の流れに踏まれそうになっていて、涼子はすぐにそちらへ足を向けた。


「あ、これ」


拾い上げると、中に学生証が見えた。


「藤崎さんのだ」


「え?」


翔が覗き込む。


ちょうどその少し先で、佳織と沙織が並んで歩いていた。

二人は帰り道のことでも話しているのか、ゆっくりと校門の方へ向かっている。


「“ウワサをすれば”って、まさにこういうんだな」


翔が呆れたように軽く笑うと、

涼子は小さく息を吸って、明るい声をかけた。


「あの、藤崎さん!」


呼ばれて、沙織が振り返る。

隣の佳織も、少し遅れて足を止めた。


「これ、落としたよ」


涼子が学生証を差し出すと、沙織は一瞬目を丸くし、それから慌てて鞄を確認した。


「あっ……ほんとだ。ごめん、全然気づかなかった。ありがとう、水瀬さん」


「ううん。踏まれる前でよかった」


「うちの涼子、落とし物センサー高めなんで」


翔が横から茶化すように言うと、涼子は軽く肘で翔をつついた。


「何そのセンサー」


「いや、実際すごいだろ。俺なら絶対見落としてた」


「それは翔が雑なだけ」


「ひどくない?」


そのやり取りに、沙織がくすっと笑う。

佳織も、少しだけ表情を緩めた。


「本当に助かった。学生証なくすと面倒だし」


「だよね。私も一回なくしかけたことあるから、ちょっと焦った」


涼子の気さくな返しに、沙織は自然に頷く。


「水瀬さんたちも、今から帰るところ?」


「うん。良規はもう先に帰ったし、私たちもそろそろって感じ」


「柳井くん? いつも一緒のイメージだったけど、もう帰ったんだ」


沙織がさりげなく言うと、佳織の視線がほんのわずかに動いた。


それは本当に小さな反応だった。

けれど、涼子と翔は気づいていた。


涼子は何も言わず、少しだけ笑う。


「良規って、放課後になると早いんだよね。本読んでたかと思ったら、気づいたらいなくなってる」


「分かる。教室だと、いつも本読んでる印象ある」


沙織が言うと、翔は肩をすくめた。


「だいたい本読んでるな。あいつ、放っておくとずっと読んでるから」


佳織は少し迷ったあと、控えめに口を開いた。


「柳井くんって、普段もそうなの?」


「うん。基本あんな感じ」


涼子が笑いながら頷く。


「でも、意外と変なところで詳しかったりするよ。甘いものとか」


「甘いもの?」


佳織の声に、ほんの少し興味が混じった。


翔はその反応に気づき、少し得意げに言った。


「そうそう。ああ見えて、スイーツにめちゃくちゃ詳しいんだよ。前に一緒にケーキ屋行ったときなんか、材料とか、チョコの産地とか、普通に説明し始めてさ」


「良規、そういうの真顔で言うから余計おかしいんだよね」


涼子が思い出したように笑う。


「見た目というか、雰囲気だけなら、甘いものとか興味なさそうなのに」


「……意外」


佳織は小さく呟いた。


昨日の喫茶店。

ガトーショコラとチーズケーキ。


ふと、そんな記憶が頭をよぎる。


柳井くんなら、あのお店のケーキをどう言うのだろう。


そう考えかけて、佳織は少しだけ視線を落とした。


そのとき、廊下を通りかかった数人の生徒が、こちらをちらりと見た。


「おっ、柊さんだ、見れてラッキー!」


「ほんとだ。近くで見るとやっぱすごいな」


「相沢たちと話してるの、珍しくない?」


佳織は聞こえていないふりをした。

慣れている、というほど平気なわけではない。

けれど、反応すれば余計に目立つことも知っている。


沙織が、佳織の横に少しだけ寄る。


涼子はすれ違っていく生徒たちの方へ、すっと視線を向けた。

笑顔は崩していない。

けれど、その目だけが少し鋭い。


生徒たちはそれに気づいたのか、慌てたように視線を逸らして歩いていった。


翔はその様子を見て、わずかに眉を動かした。


「……柊さんも、大変だな」


思わず漏れたような言葉だった。


佳織は少しだけ困ったように笑う。


「そんなことないよ。もう慣れてるから」


その返しが、かえって本音ではないように聞こえた。


沙織は何も言わなかった。

ただ、その横顔からは、さっきまでの柔らかさが少しだけ消えていた。


涼子が軽く息を吐いて、少し明るい調子に戻した。


「慣れなくていいと思うけどね、そういうの」


「あー、そうだな」


翔も頷き、それから何かを思いついたように佳織たちを見る。


「そういう意味でもさ、困ったことあったら良規に言ってみるのもありかもな」


「柳井くんに?」


佳織が目を瞬かせる。


「うん。あいつ、ああ見えてめちゃくちゃ強いんだよ」


翔の言葉に、沙織も少し意外そうな顔をした。


「強いって、運動が得意とか?」


「いや、そういうレベルじゃなくて。実家が道場でさ。古武術っていうのかな。俺も昔ちょっと通ってたんだけど、良規は本当に別格」


「別格……」


沙織が小さく繰り返す。


涼子も頷いた。


「本人は絶対、自分から大げさには言わないけどね。でも、護身術くらいなら教えてくれると思うよ」


翔が少し笑って続ける。


「まあ、困ったらボディガード頼んでもいいかもな。良規なら、必要だと思ったら普通に動くと思うし」


「ボディガードって……」


佳織は思わず苦笑した。


冗談のように聞こえる。

けれど、翔と涼子の表情は、完全な冗談だけでもなさそうだった。


「柳井くん、そんなに強いんだ」


「強いよ。少なくとも、見た目から想像するよりはずっと」


翔は軽く言ったが、その声には妙な確信があった。


涼子が横から笑う。


「だから、もし本当に困ったことがあったらさ。良規って、面倒くさがりそうな顔はするけど、たぶん断らないから」


「ああ、本当それ。」


翔が頷く。


「文句言いながらちゃんとやるタイプ」


「それ、なんか想像できるかも」


沙織が表情を崩して笑うと、場の空気が少し和らいだ。


佳織も、つられるように微笑む。


良規のことを知っている二人が、当たり前のようにそう言う。

そのことが、少し不思議で、少しだけ安心できた。


「相沢くんと水瀬さんって、やっぱり柳井くんと仲いいんだね」


沙織が言うと、翔は照れ隠しのように頭をかいた。


「まあ、中学からの付き合いだしな」


「良規、分かりにくいけど、悪いやつじゃないよ」


涼子がさらりと言う。


「むしろ、変なところで律儀」


「変なところってなんだよ」


「んー、全部?」


「雑!」


翔と涼子のやり取りに、佳織と沙織はまた笑った。


さっきまで少し張っていた空気が、ゆっくりほどけていく。


昇降口の人通りはまだ途切れない。

けれど、四人の間には、ほんの少しだけ別の空気が生まれていた。


「じゃあ、私たちそろそろ行くね」


涼子が軽く手を上げる。


「うん。学生証、本当にありがとう」


沙織が改めて礼を言うと、涼子は笑って首を振った。


「またね、藤崎さん。柊さんも」


「うん。また明日」


佳織も小さく手を振る。


翔も「またな」と軽く言い、涼子と並んで校門の方へ歩いていった。


少し離れてから、沙織がぽつりと言う。


「……話しやすい人たちだったね」


「うん」


佳織は頷いた。


「なんか、自然に話せた気がする」


沙織は少しだけ間を置いてから、佳織の横顔をちらりと見た。


「相沢くんも水瀬さんも、柳井くんのことよく知ってる感じだったね」


「……え?」


佳織がわずかに目を大きくする。


その反応を見て、沙織はほんの少しだけ口元を上げた。


「なに、その反応」


「う……別に、変な意味じゃなくて」


「ふーん? そうなの?」


沙織は笑顔のまま、それ以上はからかわずに前を向く。


佳織は少しだけ頬を熱くしながらも、小さく息を整えた。


「……そうだね」


そう答えてから、佳織はもう一度、さっきの会話を思い返す。


スイーツに詳しいこと。

実はとても強いこと。

必要だと思ったら、きっと動いてくれる人だということ。


自分がまだ知らない柳井良規のことを、少しだけ聞いた気がした。


そしてそれは、不思議と嫌な感じではなかった。


むしろ、もう少し知ってみたいと思ってしまうくらいには。


佳織はそんな自分に気づき、少しだけ視線を伏せる。


隣で沙織が、何も言わずに小さく笑っていた。

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