2.帰り道、親友のまなざし
佳織と別れたあと、沙織はひとり、家へ向かう道を歩いていた。
夕方の風が頬を撫で、さっきまでいた喫茶店の静けさが、まだ少しだけ体のどこかに残っている気がした。
駅前通りから少し離れると、人の声はだんだん遠くなっていく。
(あの店、やっぱり、素敵だったな)
沙織は歩きながら、さっき食べたチーズケーキの味を思い出す。
甘すぎず、それでいて濃厚で、少し酸味があって、アイスコーヒーともよく合っていた。
佳織に少し分けてもらったガトーショコラも、しっとりしていておいしかった。
メニューには、他にも気になるものがいくつもあった。
季節のタルトも、プリンも、次に行ったら頼んでみたい。
佳織も気に入っていたようだったし、近いうちにまた誘ってみよう。
そう思ったところで、沙織の口元が自然と緩んだ。
(佳織、いい顔してたな……)
佳織は、帰り際、いつもより少し柔らかい顔をしていた。
もちろん、本人は気づいていないかもしれない。
けれど、長く一緒にいる沙織には分かる。
(……変わってきたな)
そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
それに、佳織が男子のことを、自分からあんなふうに話すのは珍しい。
誰かに話しかけられたとか、告白されたとか、そういう話ならこれまでにもあった。
けれど、それは佳織にとって、たいてい困ったことや、距離を取らなければいけないことだった。
今日の話は違った。
柳井くんと話していると、気疲れしなかった。
無理に笑わなくてよかった。
ちゃんと距離を取ってくれる感じがした。
佳織は、そんなふうに言っていた。
それが沙織には意外だったし、嬉しかった。
けれど、嬉しいだけで終わらせられない気持ちもある。
沙織は、柳井良規のことを思い浮かべる。
教室では、静かに本を読んでいることが多い。
必要以上に人と関わろうとはしない。
でも、相沢くんや水瀬さんとは自然に話している。
あの二人と、あれだけ仲がいいのだから、少なくとも危険人物ではないのだろうとは思う。
それに、怪我をしていた子猫を助けたという話も聞いた。
佳織が見たというその光景を、沙織は直接知っているわけではない。
けれど、怪我をした猫を放っておけない人なら、悪い人ではないはずだった。
カラオケでの歌も、正直かなり驚いた。
あんなに静かな雰囲気なのに、歌うと声がよく通って、部屋の空気が少し変わった。
ただ、それでも。
(何考えてるかは、ちょっと分かりにくいんだよね)
沙織は小さく息を吐いた。
柳井くんは、佳織に対して変に距離を詰めてこない。
それは、佳織にとって安心できることなのだと思う。
でも同時に、何を考えているのか読みにくい相手でもある。
佳織が少しずつ近づこうとしたとき、柳井くんはそれをどう受け取るのだろう。
気づくのか。
気づかないのか。
気づいたとしても、どう反応するのか。
沙織にはまだ分からない。
それでも、もし。
もし、佳織の中にあるものが、ただの興味ではなく、恋と呼べるものに変わっていくのだとしたら。
そのときは、ちゃんと応援したいと思う。
からかいすぎず、急かしすぎず。
でも、必要なときには背中を押せるように。
そして、もし佳織が迷ったり、傷ついたりするようなことがあれば、そのときはそばにいたい。
あのときみたいに。
沙織は少しだけ足を緩めた。
春の終わりの、あの日。
震えていた佳織の隣で、何もできなくて、ただ一緒にいた時間。
その記憶は、今も沙織の中に残っている。
だからこそ、今の佳織が誰かに少し近づこうとしていることが、沙織には嬉しかった。
怖がらずに。
無理をせずに。
佳織の速さで、少しずつ進めばいい。
「……おはよう、か」
自分が言った言葉を、沙織は小さく呟いた。
我ながら、良いアドバイスだったと思う。
たった一言。
けれど、佳織にとってはきっと小さくない。
明日、本当に言えるかどうかは分からない。
明後日でも、来週でもいい。
もし、やっぱり言えなくても、それはそれでいいと思う。
でも、もし言えたなら。
そのとき、柳井くんがいつも通りに返してくれたらいいな。
沙織はそんなことを思いながら、夕暮れの道をゆっくり歩いていった。




