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14/22

1.初夏の風に吹かれて

放課後の教室に、初夏の風が入り込んでいた。


開け放たれた窓の向こうで、校庭の木々がざわめいている。

カラオケに行ってから、二週間ほど。

新学期の頃にあった、どこか探り合うような空気は少しずつ薄れ、教室では以前よりも自然に声をかけ合う場面が増えていた。


「柊さん、もう帰るの?」


荷物をまとめていると、近くにいた女子がそう声をかけてきた。


「うん。今日はこのまま帰るつもり」


「そっか。また明日ね」


「うん、また明日」


それくらいの短いやりとり。

けれど、新学期が始まったばかりの頃よりは、ずっと自然だった。


隣では、沙織が鞄を肩にかけながら、佳織の様子をちらりと見ている。


「佳織、帰ろっか」


「うん」


佳織が頷いた、そのときだった。


少し離れた席から、女子たちの声が聞こえてきた。


「そういえば、うち、猫飼い始めたんだ」


「え、ほんと? いいなあ」


「まだ小さいんだけどさ、夜になると全然寝てくれなくて」


楽しそうな声だった。

誰かがスマホの写真を見せたのか、小さな歓声が上がる。


佳織は何気なくそちらを見て、それから、ふと別の白い影を思い出した。


(あの猫、元気にしてるのかな)


公園で見かけた白い子猫。


良規が助けたあと、家で様子を見ていると聞いた。

怪我は大したことがないとも言っていた。


あれから少し時間も経っている。

もしかしたら、もう怪我は治っているかもしれない。


まだ柳井くんの家にいるのか、それとも元いた場所に戻ったのかは分からない。

けれど、もしかしたら公園で姿を見られるかもしれない。


そう思ったのは、たぶん半分くらい、自分への言い訳だった。


佳織は鞄の持ち手を握る指に、少しだけ力を込める。


別に、“誰か”に会えると思っているわけではない。

ただ、あの猫がどうしているのか気になっただけ。


そう自分に言い聞かせると、胸の奥にあった落ち着かなさが、少しだけ形を持った気がした。


***


校門を出ると、駅へ向かう生徒たちの流れが自然にできていた。


沙織はいつものように佳織の隣を歩いている。


「今日、このあとどこか寄っていく?」


そう聞かれて、佳織は一瞬だけ迷った。


「あ……ごめん。今日は少し、ひとりで歩いて帰ろうかな」


沙織は不思議そうに瞬きをした。


「ひとりで?」


「うん。ちょっとだけ、遠回りしたくて」


佳織はそう答えながら、少しだけ視線を逸らした。


猫のことを言ってもよかった。

けれど、口にした瞬間、それだけではない気持ちまで見透かされてしまいそうな気がした。


沙織は佳織の横顔を少しだけ見てから、すぐに柔らかく笑った。


「そっか。じゃあ、また明日ね」


「うん。また明日」


何かを深く聞いてくることはない。

その距離感に、佳織は少しだけほっとする。


沙織と別れてから、佳織は駅へ向かう道には進まなかった。


足は自然と、公園のある通りへ向いていた。


もしかしたら、あの猫に会えるかもしれない。


良規がそこにいるかもしれない、なんてことは考えていない。


考えていない、はずだった。


歩き慣れた制服の袖が、風に小さく揺れる。

駅前のざわめきが少しずつ遠ざかり、代わりに、木々の葉が擦れる音が近くなった。


(もし、いたら……)


そこまで考えて、佳織は小さく息を吐いた。


猫のことを聞く。

それだけなら、変じゃない。

以前、気にしていたのだから、もう一度様子を尋ねてもおかしくはない。


(普通に聞けばいいだけ)


自分にそう言い聞かせながら歩いているうちに、公園の入口が見えてきた。


夕方の光を受けたベンチ。

低い植え込み。

遊具の方から聞こえる、遠い子どもたちの声。


佳織は何気なく視線を巡らせた。


(きっと、いないよ……)


そう思って、少しだけ視線を落とした、そのときだった。


ベンチの端で、風に揺れるシャツの裾が目に入った。


(……柳井くん?)


佳織は足を止めた。


ベンチに腰をかけた良規が、少し俯くようにして何かを見ている。


本当に、いた。


そう思った瞬間、胸の奥が一度だけ強く鳴った。


猫が気になっただけ。

偶然、ここを通っただけ。


そういう顔なら、できるだろうか。


佳織は鞄の肩紐を軽く握り直した。


少し迷ってから、ゆっくりとベンチの方へ歩き出す。


「……柳井くん」


風の音に紛れるくらいの声で、佳織はそっと呼びかけた。

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