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1.ざわめく予感

放課後の教室。


翔と涼子が並んで机に腰かけ、何やら気まづそうな顔で話し込んでいる。

その隣で良規は、ペットボトルの水を口に運びながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。


「ねえ、カラオケの予定だけどさ」


涼子が、どこか言い出しにくそうに切り出す。


「……ちょっと人数、増えたんだよね」


良規はペットボトルを口元に運んだまま、動きを止めた。


「人数?」


「あー、うん」


翔が、少し気まずそうに頬をかく。


「最初は俺と涼子と良規の三人だけの予定だったんだけどさ。気づいたら、結構な人数になってて」


「……なんでそんなに増えたんだ?」


良規が淡々と尋ねる。


怒っているわけではない。

ただ、三人で行くと聞いていた予定が、いつの間にか大人数になっている理由が分からなかった。


翔と涼子は、ほんの一瞬だけ目を合わせる。


「いや、その……」


翔が言いにくそうに視線を泳がせた。


「柊さんと藤崎さんが参加することになったら、一気に……」


その言葉で、良規はわずかに目を細めた。


「……また、余計なこと考えたのか?」


「違う違う違う!」


翔が即座に両手を振った。


「今回は本当に違う! たまたま! たまたまなんだって!」


「たまたま?」


「そう。本当にたまたま」


涼子も慌てたように頷く。


「私たちがカラオケの話をしてたときに、近くに女子が何人かいたの。それで、その子たちに聞かれちゃって」


「楽しそう、私たちも行きたい、って流れになってさ」


翔が続ける。


「で、その子たちが柊さんと藤崎さんにも声をかけて。『柊さんと藤崎さんも行きたいよね?』みたいな感じで」


「……それで、もう断れない空気になっちゃった、みたいな……」


涼子が少しだけ申し訳なさそうに言う。


「柊さんと藤崎さんも、最初は戸惑ってたみたいだけど、ただ、周りの勢いがちょっと強かったというか」


「それで、あの二人も来ることになったのか」


「うん」


翔が頷く。


「そしたら今度は、男子たちが一気に色めき立ってさ。柊さん来るし、それに新しいクラスになってから、まだこういうイベントらしいイベントってなかっただろ? だから、最初の集まりみたいな感じで、行きたいってやつが思ったより増えたんだよ」


良規は黙って聞いていた。


理由は分かった。

翔や涼子が意図的に仕組んだわけではないらしい。


けれど、それと自分が行くかどうかは別の話だった。


良規はペットボトルのキャップを閉める。


「それなら、俺は行かなくていいんじゃないか」


「え?」


翔が目を瞬かせた。


「人数がそれだけいるなら、俺がいなくても困らないだろ」


その口調は、いつも通り淡々としていた。

不機嫌というより、本当にそう思っているだけだった。


三人なら、まだいい。

翔と涼子と自分だけなら、無理に盛り上がる必要もないし、気を遣うことも少ない。


けれど、大人数のにぎやかな空間はあまり得意ではない。

むしろ苦手ですら、ある。

自分がいなくても十分に場が成り立つのなら、わざわざ行く理由はなかった。


「いや、そういう話じゃないだろ」


翔が慌てて身を乗り出す。


「そういう話だろ。三人ならともかく、そんなに来るなら俺がいなくてもいい」


「よくないって。俺が誘ったんだから」


「でも、もう俺がいなくても十分な人数なんだろ」


「そうじゃなくてさ」


翔はそこで少し言葉を切った。


涼子が、横から小さく息を吐く。


「良規が大人数苦手なのは分かるけど、翔は最初から良規と行くつもりで誘ったんだよ」


「だから、三人なら行くって言った」


「そこは翔が悪いね」


「涼子さん?」


翔が抗議するように涼子を見る。


涼子は肩をすくめた。


「だって、良規に確認しないまま人数が増えたのは事実でしょ」


「いや、勝手に増やしたっていうか、自然発生的に……」


「でも、確認はしてなかった」


「……はい」


翔は小さくうなだれた。


良規はそのやりとりを見ながら、静かに息を吐く。


「別に怒ってるわけじゃない」


「じゃあ来る?」


「いや」


「怒ってないのに?」


「人が多いところは、苦手なんだ……」


「あー……」


翔はそこで言葉を詰まらせた。


それはよく知っている。

良規は騒がしい場所が嫌いというほどではないが、自分から大人数の中心に入っていくタイプではない。

それに、ひとつ思い当たる節もある。


三人で行くなら、まだ良規にとっても気楽だったのだろう。

けれど、クラスメイトが何人も集まるとなれば、話は違う。


翔はしばらく考え込んだあと、顔を上げた。


「分かった」


「何が」


「お前が本当に嫌なら、他の連中には俺から断る」


良規の目が、わずかに動いた。


「……そこまですることじゃないだろ」


「することだよ」


翔の声には、いつもの軽さが残っていた。

けれど、その奥に少しだけ真面目な響きがあった。


「俺は、お前と行くつもりで誘ったんだ。涼子と三人でさ。だから、お前が嫌なら、そっちを優先する」


涼子も静かに頷く。


「うん。そこは、ちゃんとした方がいいと思う」


良規はしばらく黙っていた。


翔がそう言うなら、本当に断るつもりなのだろう。

自分が悪く言われることも、多少面倒な空気になることも承知で。


けれど、それは良規にとって、望むようなものではなかった。


自分が行きたくないというだけで、翔が悪者になる。

それを分かったうえで、翔は断ると言っている。


だからこそ、なおさら、そのまま頷く気にはなれなかった。


良規は小さく息を吐いた。


「……分かった」


「え?」


「行く」


翔が目を丸くする。


「でも、お前……」


「今さら断ったら、お前が悪者になるだろ」


「いや、それは俺が勝手に増やしたみたいなもんだし」


「違うんだろ。たまたまなんだろ」


「……まあ、うん」


「だったら、今回はいい」


良規はそう言って、ペットボトルを机に置いた。


「ただし、次からは勝手に人数を増やすなよ」


翔は一瞬だけ黙ったあと、少し照れたように笑った。


「そっか。ありがとな」


そう言って、勢いよく良規に腕を伸ばそうとする。


良規は、その動きを見た瞬間、半歩だけ後ろに引いた。


「大げさにするな」


「いいだろ、ちょっとくらい感動させろよ!」


「するな」


「冷たい!」


翔が大げさに肩を落とすと、涼子が横で笑った。


「でも、良規らしいね」


「何が」


「翔が悪者になるのは嫌なんだ」


「……別に、そういう話じゃない」


良規は少しだけ視線を逸らした。


翔はそれを見て、今度はからかうでもなく、ただ少し嬉しそうに笑った。


「ま、次からはちゃんと確認する。絶対」


「その絶対が信用できないんだよな」


「そこは信用しろよ!」


「無理だろ」


「即答すんな!」


翔が抗議するように言い、涼子がまた笑う。


その空気を切り替えるように、涼子が軽く手を叩いた。


「じゃあ、決まりだね。柊さんも来るし、週末はかなり賑やかになりそう」


その名前に、良規の動きがほんのわずかに止まった。


「……」


自然と顔を上げかけた自分に気づき、良規はすぐに視線を戻す。

けれど、その一瞬の反応を、翔と涼子は見逃さなかった。


「お前、今ちょっと反応したな?」


翔がからかうように目を細める。


「してない」


「ふーん?」


涼子も悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「柊さん、来るって事は、猫のこと、また聞かれるかもよ?」


「涼子」


翔が慌てて止める。


良規は無言で鞄に手を伸ばした。


「悪かった! 今のは涼子が悪い!」


「え、私?」


「今の流れでそれ言ったら、良規がまた行かないって言うだろ!」


「まあ、それはそうかも」


涼子は悪びれた様子もなく笑った。


良規はため息をつく。


「……本当に、いい性格してるな」


「いやいやいやいや! もう聞かない! 柊さんの話も猫の話も、お口チャック!」


「お前が一番信用できない」


「そこも含めて信用して!」


涼子が笑いながら口を挟む。


「無理だろ」


今度は翔が即答した。


「えー、なんで?」


涼子が抗議するように声を上げると、翔は笑いながら肩をすくめた。


「いや、だってさ。涼子、絶対また聞くだろ」


「聞かないかもしれないじゃん」


「“かもしれない”の時点で信用できないんだよ」


「ひどくない?」


翔と涼子がそんなやり取りを始める。

良規は半ば呆れたように二人を見ていたが、やがてほんのわずかに口元を緩めた。


断る気は、もうなかった。

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