夜の行方 1 side other
そして(一応の)決着へ。
響の刃と魔犬の牙の咬みあう中、唐突に現れたのは「今」の響と較べてもまだ白く見える少女 ――神巫 香久夜だった。
幾多の亡霊、亡者を斬ってきたのか、全身を彼等の放つ邪気や瘴気で汚し、それでもそれを拭う事すらせず、走り抜け、跳躍し、駆けつけてきたのだ。
尤も、あの「屍」が魔犬に喰われた時、彼女を襲っていた死者達の大半が消えてしまわなければ、無事では済まない、とはいかないまでもその到着はずっと遅いものであったろう。
此度の騒ぎの原因でもあったであろう魔犬が、結局騒ぎに巻き込まれた響を救う事になった事に、恐らくふたりが気づく事はない。
――香久夜の持つ神刀・菊理が魔犬の背を切り裂いた。
魔犬はそれを意に介した風でもなく、歪んだ笑みで響に迫る ――だが、斬撃が、その衝撃が消えてしまった訳ではない。
「――水蛟ぃっ! 振り絞れぇ!!」
響の持つ刀により一層の力が込められる。
“やっておるわい! それよりも名を呼べと言っておろう、阿呆!”
刃が、進む。
前へ、前へ、鑢で削る様な速度は徐々に増して、牙を削り、頬へ届き、そこへ一気に冷気が溢れだした。
『祓いっ!!』
響とアイの声が重なると、一面に漂っていた冷気、今溢れたばかりの冷気が一瞬で収縮し ――爆ぜた。
無音の、爆発。
その勢いに乗ったかの様に刃が振り抜かれると、爆ぜた冷気により辺りは白い靄に覆われた。 視界が殆どゼロになる。
“……ふぅ、漸く終わった様じゃの”
立ちこめる靄の晴れぬまま、アイが呟く様に言う。
(判るのか?)
身近に起こした冷気と霊気の爆発の余韻か、響はまだ周囲の気配が掴めないでいた。 見回してみるがまだ辺りは白い空間しか認識出来ない。
“当然じゃ、わしを誰だと思っておる”
胸を張る様なイメージを浮かばせる、演技染みた偉そうな台詞。 そこには彼女の、ほっとした様子が見て取れた。
“さて、わしはもう寝るぞ。 久しぶりに燥いで疲れたわ”
(ああ、助かった。 おやすみ、アイ)
“おぉそうじゃ、そこに居る奴に害は無いからの。 余り無体な事をするなよ……。 ふあぁぁ……ぁ……”
聞き捨てならないセリフが聞こえた。
(えっ、ちょ……、誰が居るって!?)
返事はない。
言葉通り眠ったのか、それともたぬき寝入りなのか。
「水蛟――」
思わず声に出す。
辺りの靄が遮っているのは視界だけだ。
「……葦原君……。 まだ何かいるの?」
香久夜の声と共に刃鳴りがする。 刃鳴りと言っても時代劇のような「チャキッ」ではない。 「シュッ」と鞘から刀を抜く僅かな音だ。
彼女は響と同等以上の感知能力を持っている。 彼女は一応解決した筈のこの状況で響が思わぬ声を出した事から改めて周囲を警戒しだしたのだ。
「いや、もう敵はいないみたいだ」
水蛟 ――アイがそう言い切ったのだし、実際薄くなり始めた周囲の靄を改めて見直してみても、そういう気配は感じられない。
戦いは終わったのだ。 ……少なくとも今は。
響はそっと息を吐いて刀を納め ――ようとして刃が納まりきらない事に気づいた。
(腰が、伸びてる……)
久しぶりの、全力全開の戦闘。
手入れを怠った訳ではないのだが、少し目を向けて確認するだけでも、手に持つ刀の、目抜きの部分が随分と緩んでしまっているのが判る。 見るだけでそうと判断できる程にだ。
香久夜が来なければ ――戦いが長引いていれば刃が抜けた可能性すらあった。 きちんと確認しなければ解らないが、他にも不具合があるかも知れない。
(……危ないところだった訳か……)
取りあえず刀袋に入れておけば問題はない、と刀を仕舞う。
靄はかなり薄くなり、周囲の気温も元に戻りつつあった。
足元の視界は悪いが、もう互いの姿くらいは確認できる。
「助かったよ、神巫さん」
意外と近くに居た白い少女へ声を掛ける響。
「五十鈴も、無事で良かった」
少し離れた場所に居る少女にも声を掛ける。 しかし少女の視線は響ではなく床へ向けられ、消えゆく靄を見ている様に見えた。
「五十鈴?」
視線を追い、薄くなりつつある靄の中に目を向ける。
響より先に何かに気づいた香久夜が、再び鯉口を切った。
ここでもやはり時代劇のような「チャキン」等という音はしない。 むしろ鍔鳴りがする様であれば手入れを怠っている証拠でもある。
「神巫さん、大丈夫だよ。
そこにいる奴に害はないって」
何がいるかも解っていないが、響はそう声を掛ける。
水蛟の言葉を信用しているからでもあるし、そもそも靄が晴れつつあっても未だ全容の見えないサイズの「何か」なのだ。 警戒する必然性も見えてこないというもの。
「……何故、そう思うの?」
「……まあ、色々と検証した結果、かな?」
響にしてみたら香久夜に対し、水蛟の事を隠す理由は殆どない。
葦原は他の祓い師達からも「知る人ぞ知る」家系であるし、他に葦原の直系がいない現在、彼は実質当主でもある。 一般人向けでないにしろ、自家の秘密を話す、その程度の権利は彼は持っているのだ。
「………そう……」
実際のところ内緒にしたのは、水蛟が寝てしまったからに過ぎない。 本人の与り知らぬ所で余計な事を話さないという、ただそれだけの事なのだ。
彼女は納得したようではなかったが、それでも刀を納めた。
ゆっくりと――。
――靄が、晴れる。
「……か……」
五十鈴の呟くような声。
「かわいい……」
彼女の視線の先にある ――もとい、いるのは黒い、小さな子犬だった。
横たわったその姿は、眠っている、というより失神しているのだろうか? どちらにせよ意識はないようだが、ただ生きているのは見て取れた。
「……これ、さっきの化け犬……?」
「……そうだね。 さっきの状態は霊達に憑かれていたから、かな?
それを祓ったから本来の姿に戻った」
想像だけど、と付け加えて響は子犬に近づいていく。
さらに仮定を重ねるなら、この子犬も普通の犬ではないだろう。 普通の生物ならあれだけの霊体に取り憑かれて、無事に生きていられる筈もない。
多少躊躇いながらも響の手が伸びるが、彼の目の前で子犬は姿を消した。
五十鈴だ。
彼女は ――先程まで殺されかけていたというのに―― その子犬を奪い取るように抱きかかえていたのだ。
「かわい~~」
頬擦りするその姿は親犬も斯くやと言わんばかり。
「ちょっ……」
「――ぬ、ぬあっ……」
声を掛けようとした響と、聞き慣れない声色の呻きが重なった。
「ぬ、な……何だ、ヒトの子が、何故此処に……!? こ……この小娘、止めんかっ。 こら、くそっ、儂の話を ――のわっ! くすぐったいわ! 止めんか!」
犬だ。
そう喋っているのは、間違いなく犬だった。
先程までも一見すると会話していたが、あれはあの霊達がそうしていたもの……の、筈だった。
少なくとも響はそう思っていた。
だが、そうした考えを余所に、犬は如何見ても自分の意志で会話をしていた。
普通の犬ではないと、そう思っていたが、思っていた以上に普通でなかった事実に、思考が停止する。
「は・な・さ・ん・か!」
犬はそう言って力任せに五十鈴の拘束から逃れ、体勢を崩しながらも着地すると、威嚇するように小さな火を吹いた。
が、何かに気づいた様に辺りを見渡し、自分の身体に目をやる。
「何じゃこれはっ!?」
間違いなく驚きの口調で、犬はそう叫んでいた。
わんちゃん、退場。 そして登場?




