死の咆哮、響く side other
実は五十鈴という少女は結構ハイスペックな少女です。
冒険者なんかとして見るなら、ですが。
息を切らせながらも駆け回る小さな少女の動きは機敏だった。 機敏で俊敏だった。
筑紫 五十鈴と言う名のその少女は、二つ尾をなびかせ、ただ只管逃げていた。 逃げに徹していた。
捕まったのならどうなるか解らない ――とは言わないか。 捕まったのならまず殺されてしまうだろう事が、年の割りに聡いこの少女はとっくに理解していた。
霊達が「出現」した時、校内に残っていた少数の教師や児童は、脅かされたものの、決して命を奪われるような事はされなかった。
少々の怪我を負う者、ちょっとした悪意か悪戯心の様に、少し嬲られる者はいたが、殺意から追われているのは五十鈴だけだった。
――いや、「殺意」と言うのは語弊があるのかも知れない。 そもそも彼等は殺そうとする程の強い意識を持って彼女を追う訳ではない。
出現したその場を浮遊し、あるモノは多少動くもののそれだけで、あるモノはただフワフワと在り続けているが、それらは五十鈴が近づくと一気に活性化するのだ。 縄張りに入った敵を追いやる様に、巣を守る為に果敢に攻める親鳥の様に。
だがその行動に一種の指向性はあるものの、殺意と呼べる程強い意志ではない。
であるから校内を逃げ回る者では怪我をする者すら少数派であり、例外の殆どは五十鈴の逃げた先にいる人間だ。 猛烈な勢いで ――勢いだけで致命傷になる様なものではないが―― 迫る攻撃を、彼女が躱し、近くの人間に被害を及ぼす。 彼女が去った後も暫くはそんな「警戒状態」が続く為、近辺は危険地帯になっていたが。
勿論、一般的な生活を送る女生徒がいくら必死とは言え、こうも無数の魔の手を掻い潜って行ける筈もない。
それは日頃の鍛錬の賜物であった。
五十鈴は幼少より、いわゆる「霊能者」だった。 人に見えないモノを見、聞こえない声を聞いた。
だが本来感じ得ないものを感知する資質は、本来触れる事のない凶器がその身を傷つける資質である事と等しい。
彼女の幼児期は酷く危険に富んだものであり、また彼女の性格を多少なりとも歪ませた。
しかし、彼女を理解しきれない両親の取った行動が、ある意味当時の彼女を救う事になる。
「歪んだ」(と思われた)少女の性格を矯正するために通わされた道場で、彼女は自身を護る術を得たのだ。
道場主は黒須 厳十郎。
武術家でありながらオカルトめいた話にも理解のある師を得た事は、五十鈴のまだ短い人生経験の中とはいえ最良の出来事のひとつであったろう事は想像するに難くない。
そしてその事柄が今も活きている。
女子小学生としてはちょっと考えられない持久力、瞬発力、そして判断力だ。
巌剣術道場で学ぶのは実戦形式の武術、ではなく実戦である。
剣術道場という呼び名ではあるが、剣のみならず槍、棒、弓から十手、手裏剣、捕縛術、合気柔術等で学べる武術は多岐に亘り、また武術として確立されていない「日用品を武器にした戦闘術」もある上、それらの全てにおいて防具をつける事を推奨しておらず、かつ熟練者に対しては不意打ちすら認められる。
実戦でその場に武器があるとは限らず、防具をつけていられる事など現代ではまず有り得ない。 「はじめ」の一言から戦いが起こるはずもない、というのが理由だ。
流石に日頃から防具なしで鍛錬に励む門下生は多くはないが、師範以下葦原 響を含めた数人は常に防具をつける事がない。
そんな道場に通う五十鈴は、もともと「性格の矯正」を目的としていた事と、年齢等を鑑み、そう厳しい鍛錬を行ってきたわけではないが、それでも並みの運動部以上の運動量を必要とする修練を熟してきた。
また、おそらくは遺伝的な要因であろうが、筋力による骨の成長の阻害という、都市伝説じみた迷信を信じたくなる程、年齢に応じていない身長も彼女の利点だ。 何せ彼女の身長は130ちょっとしかない。
だからこそ彼女は素早い。 言葉のままに「身軽」だ。
とは言っても今の状況はそれで解決出来るものではない。
師である厳十郎は、知識はあっても純粋な武術家であるし、そもそも五十鈴の能力は実のところ「視覚」に半ば特化していた。 実際は視覚と言うより「知覚」という方が近いのだが。
主だった感覚は目に頼っているが、彼女のそれは視界内に収まるものではないからだ。
例えば真後ろからの不意打ちも五十鈴は認識出来る。
だが、それだけだ。
彼女は逃げることしか出来ない。
目の前に現れたこの黒い犬に、対抗する術はないのだ。
「ヤっと見つケタ」
喉の奥に赤い炎を覗かせ、五十鈴の前に立ち塞がったのは、ほんの少し前まで人の姿をしていたはずのモノ。 クラスメイトとして潜り込んでいた、犬の影を持った人間だったそれは、今は黒い犬の姿で彼女の行く手を阻む。
彼女は思わず舌打ちする。
自分はまだ動ける。 体力的に問題はない。
だが、相手は犬だ。 少なくとも見た目は。
ならその脚力も犬並みだろうか?
何にしても、大型犬と真正面から競走して勝てる自信は、ない。
後ずさる。
後退しつつ考える。
気をつけるのは爪か牙か、それとも口から覗く赤い炎か。 いやそれだけでなくこの犬の「内」には「何か」が居るのだ。
注視すべき箇所が多すぎる。
なら ――周囲へ視線。
普段は余り使われない裏側玄関。
積まれた廃棄物品の中、目に入る、「武器」。
擦り足で……動く。
「逃げ足、速イじゃナイか。 五分もアレば捕まルと――」
一方的な話の途中で、五十鈴は思いっきり傍らの机を蹴飛ばした。 積んであった机と椅子が連鎖的に倒れていき、喧しい音を立てて「北斗」へ降り注ぐ。
「ナっ!?」
この程度で傷を負わせることは出来ないだろうが、怯ませるくらいの効果はある。
だが想像以上に巧く絡まった机や椅子達がバリケードの用を為した。 単純な力押しでは突破できない程度に纏まっている。
そこで五十鈴はくるりと踵を反し、一目散に逃げだした。
「グッ、ぐォォォォォぉぉぉっ!!!」
彼女の後ろから、恐ろしげに響く咆哮。 思い通りに得物を狩ることの出来なかった魔獣の怒りの咆哮。
怒りの余り周囲へ炎をばら撒いている。
しかしそれは五十鈴に届かない。
何せ今、北斗の頭は若干下へ向けられている。 絡み合った机と椅子が、頭を半ば固定してしまったのだ。
現状、奴の炎は床へしか向けられない。
その炎に炙られた廊下が黒い煙を発しながら溶け出している。
そんな北斗や周囲の様子を気にする余裕もなく駆ける五十鈴の前方から、不意に空気を切り裂く音が聞こえた。
逃走判定……成功。
この場は逃げ出す事に成功した。




