展示!キャンバス(中)
『ろうとくん、ろうとくん!わたしね、今日妖精に会ったの!』
『ねぇ、描いてみてくれない?わたしじゃ上手く描けないの』
『あのこのお家に誘われたから、今度行くのよ。でもお顔を忘れてしまうから、絵に残しておけば大丈夫でしょ?』
そう言っていくつかの特徴を伝えられて、当時なりに上手く描こうとしたはずだ。頼られるのは好きだし、ひとつ下の久有は妹のようだったから、ひとりっ子の僕は憧れがあってよく構っていた。
あの日はちょうど、右多が兄弟の大会の応援のために地方へ行っていて、ちょうど絵が完成した日だった。
(思ったより早く完成したから、サプライズで最後に渡して驚かせようと思ったっけ)
ブームはかくれんぼ。
完成した絵を渡すことなく久有は失踪した。
4時間、大人も呼んで泣きながら探して、彼女は帰ってきた。
帰ってきた知らない久有は、妖精に会ったと言っていた。
(あの頃のことを思い出させないようにしないと……妖精の絵は見せちゃいけない)
◾️
からの滑落。
芥津門は幸運にも下の方まで滑ることなく、小さな窪みに着地した。まだ妖精のいる場所からは遠いというのにすでに前途多難である。
ピピピピ、と音が鳴ったのは滑落してからすぐのこと。
(電話………竺宇?)
珍しい発信者に、顔に土をつけながらも電話を取った。
「もしもし…」
『すまない、実は———』
竺宇は基本的に本題しか話さない。だが、焦っていたのか少し早口なような気がした。それでも言葉は的確だ。芥津門が立ち上がるまでに全てを話し終えられる。
(ふむ、第1号の絵を失くしたと。どこにあるかの検討か……)
芥津門は空を見上げる。もう昼過ぎだ。あまりここに長居したくないので、多少無理にでも這い上がることにした。
「いいよ。安楽椅子探偵というやつだな。やってみよう。と言っても私は経験則からの助言しかできないがな」
『助かる』
「作業場からは持ち出してなくて、他に触れた人もいないんだな?」
『ああ』
(となると物陰にあるのが普通だが、もうくまなく探してある)
探したのが竺宇だけであればもう一度探せと言うが、瑠希と凉名がいるなら話は別だ。3人も違う目で見たら大抵の物は見つかる。
(変わり種で商品の搬入搬出の時に、スタッフが持って行った?)
話によると、置き場所は決めていて誰にも見せたことがないらしい。さすがの顔見知りのスタッフでも勝手に棚を漁って持っていくことはないだろう。
芥津門は少し迂回してなるべく傾斜が緩やかな場所を登ることにした。そこであれば四つん這いになれば芥津門でも登れてしまうだろう。
片手はスマホで埋まるとしても多分平気だ。多分。
そう思って突き進むが滑落。
「!?」
学園の廊下と階段でバテる芥津門には無理な計画だった。電話越しにでも滑り落ちる異常な音が聞こえたのか、これまた珍しく竺宇は慌てていた。
『椎?一体何をやっているんだ?』
「……大丈夫、大丈夫だぞ。ちょっと転んだだけだ」
芥津門は少し遠くなった青空を仰ぎ見る。もうこうなったら上に上がらず、落ちた道から突き進むしかない。時間はかかるが若干傾斜になっているのでこのままでも上に行くことはできるだろう。
『……外にいるならかけ直すんだが』
「大丈夫だ。聞きたいことがあるんだが、その1号を最後に見たのはいつだ?」
『最後…………』
長考。その間に芥津門は足を進めていく。もし竺宇が今彼女のしている行動を知ったら、全力で止めに入るだろう。せっかく落ち着いてきたというのに、また精神を揺るがせるようなことはさせたくない。そのために1号も見せないのだから。
(妖精の場所はもっと奥だ)
芥津門が———“久有”が顔を忘れるからと言って描いてもらった絵のことはすでに忘れている。というかそれ以前の出来事はあまり思い出せない。不思議なことにそれ以後の出来事はよく覚えているのだが。
例えば妖精の顔とか。
◾️
最後にその絵を見た時。
改めて言われると非常に困る。なぜなら覚えていないからだ。思い出せる範囲まで日々を辿っていくと———
「一昨年。ちょうどこの時期だな」
去年だとしても竺宇はその絵のことをよく覚えている。森である緑を背景に、蝶のような羽をつけた青色の人形、もとい妖精を正面に据えた。
元々定期的に見ている物ではなく、最後に見た時からはかなりのスパンが空いている。
『……一昨年の物なら大分探すの難しくないか?』
電話からはごもっともな声が聞こえてくる。
「僕もちょうどそう思った。……諦めるよ」
今更すぎるし、最後に見たのが一昨年ということを忘れていた自分が言えることではないが、これ以上後輩に手伝わせるのも申し訳ない。そして電話の向こうで何やら忙しそうにしている芥津門にも。
その話を聞いていた瑠希と凉名は心配そうな顔をした。
「先輩の大切なものなんでしょう?本当に、いいんですか?」
「大丈夫だ。……どうせ、拙い絵だった。題材が題材だからリメイクのしようもない」
芥津門の証言から書いた妖精はきっと証言からかけ離れた形で描かれている。子供の絵がそこまで正確に描けるとは思えない。だから新しく作り直すにしても、新しい妖精の証言が必要だ。
あれはもう見るしか意味がない。芥津門に見せるために作ったが、それもしてはいけない。
価値がないとは言わないが、意味のない絵になってしまった。
竺宇は自分の表情を見ることは叶わないが、自分の作った作品を卑下する程度には、絵が見つからなかったことがショックなのだろう。
コミュニケーション能力がある人は大抵空気の読める人だ。竺宇の雰囲気を察してか、それ以上何かを言うことはなかった。
「甘い物は好きか?駄賃代わりのお土産ぐらいは渡す」
作業場から出て、長い廊下を通り、冷蔵庫に着くまでも瑠希は考えるのをやめなかった。ここで諦めるだなんて柄ではない。
と言っても、可能性が高い物は全て芥津門が言っていたので、瑠希が言うことは全てとんでもない案だったりする。
「うーん。あとはー」
2人の手にはそれぞれ有名洋菓子店の箱が握られていた。こんなものまで冷蔵庫に常備しているとか、驚きたっぷりの家だ。
「あのでっかい手のキャンバス、他の絵を切り取って使ってるんですよね。そこにもう使っちゃったとか———」
何気ない一言だった。正直あり得ないと瑠希自身も思っていた。流石にそれぐらいは覚えているだろうと。
対して竺宇は冷蔵庫を閉めたところだった。
「あっ」
低音の声から飛び抜けた気付きは、その足を作業場まで急がせた。
あとは壁にもたれかかる、あの緻密で巨大な絵から記憶上の、もしくは話し上の妖精を見つけるだけだ。
「それめっちゃ大変じゃないですかー!!」
◾️
「本当にすまない、芥津門。切るぞ」
本当になぜ思い出せなかったのだろうか。自分でも思ったじゃないか、『価値のない絵ではないが、意味のない絵になった』と。
リメイクはできないがリサイクルならできる。
確かそれがあの手の最初の意味だった。
引き剥がすことはしないが、ここまで来た以上、ひとかけらでも見る必要がある。見なければならばならない。
(初心を思い出すために)
頭をよぎるのは、フラフラとした足取りで立ち入り禁止のフェンスから出てきた久有だ。4時間前の久有とは似ても似つかない雰囲気だった。
『見つかりそうなら良かった。竺宇はそろそろ重要なことを忘れる癖を治せ』
一昨年、昔の”久有“への手向けとして制作を始めた。全ての原因となる妖精を刻んで、別の物に昇華する。竺宇なりのトラウマからの脱出の意味合いもあったので、意識的にあの絵を使ったことを忘れようとした可能性はあった。
「努力する。ところで、本当に大丈夫だったか?勢いよく転ぶ音がしていたが……」
『ん?ああ大丈夫。私の用はもう終わった』
声色からは何も伺い知ることはできなかったが、今は1号が最優先だ。竺宇はそのまま電話を切った。
元より人と頻繁に連絡をとる性格ではない。次に会うときは夏休み明けだろう。




