展示!キャンバス(上)
綺麗な手は空を掴む最中だ。
その手は透き通るような白さを持ち、その華麗さから一種の嫌悪も抱いてしまうような、決して触れられぬ美しさがあった。
これはとある巨大なキャンバスに描かれたものだ。
夏休み。何を隠そう、竺宇楼斗の自宅の地下にある作業場で、彼はその絵を見る。ツナギ姿で遠くから。頭につけていたタオルを外して、汗を拭った。
美しい手を近くでよく見ると、さまざまな色彩のカケラで構成されていると分かる。そのカケラには緻密に多様な絵が描かれており、明らかに一枚の絵を裁断して利用している。それが壁にもたれかかる壁一面に。バスケットゴールぐらいの高さはあるだろうか。なんにしたって巨大だった。
これはモザイクアート、当然ながら未完成だ。
「……たくさん描いていてよかった。素材の数が足りなくなるところだった」
竺宇は作業場に置かれている番号の振られたキャンバスを切り裂き始める。もちろん刃物を使ってだが、その速度は凄まじく速い。
彼の絵の商業的な価値を理解している人もいない人も、顔を青くして彼の行動を止めに入りそうほどには、素材にされる絵も素晴らしい出来だった。
最近のものから切り裂いていき、構成を考え、巨大なキャンバスに美しい手を浮かび上がらせる。
いつごろ考えた構想だっただろうか。昔なきもするし、最近な気もする。ずっとこの絵の制作に取り掛かっていたので感覚がふわふわだ。
絵を描くことは好きだ。好きだが、この絵にはそれだけではない意味がある。そのためだけにずっと積み重ねてきた。
———制作し始めた今となっては、その意味も忘れてしまったが。
「……」
さらにこれから美しくなるであろう手を見て満足する。最初の意味は忘れたが、今はこの手に集中するだけでいい。
この部屋の空調は整っているが、夏特有の空気感は例え室内でも感じるものだ。竺宇は思い出した。
———芥津門が、久有が失踪したのもこの時期だったと。
あの最悪の1日が一瞬のうちにフィラッシュバックし、拭いたはずの汗が追加で滲み出てきた。
竺宇はこのままでは作業できないと、表情を曇らせる。
(こういう時は、初心を思い出すに限るな……1号を探そう)
竺宇はふらりと巨大なキャンバスから離れ、コンクリートの壁に打ち付けてある、飾り気のない棚を漁り出した。
鉄筋のような棚には大小さまざまなキャンバス、そして丸めて保管されている画用紙が所狭しと置いてあった。作品たちには制作順に番号が振られている。竺宇が探しているのは、1番最初に自分が描いた絵だった。
探すのは簡単だ。だって番号順に置いてあるから。
「…?」
しかしてこれはフラグだ。
竺宇は焦って部屋中の棚という棚を、箱という箱を、床という———床はひとつしかないが———探した。
「足りない。1号が無い!」
焦りに焦って珍しく竺宇が声を上げるほど。彼は動揺していた。
あれを失くしてはまずい。
あれは幼少期に描いたため拙いから、というのもあるが、それ以上にその絵自体を誰かに見られたくないものだった。
捨てたわけはない。
この部屋から持ち出した記憶もない。
両親も部活の人もここに招いた覚えはない。
そしてここはもちろん妖精学校ではないので、あまり突飛な話にもならないだろう。
間違いなくこの部屋にあるのは分かるが、どこにあるのか全く分からない。
竺宇は眉を顰めながらも、再度さまざまなところを探した。今度は物を全てひっくり返すぐらいの規模での大捜索だ。ペンキを移動し、巨大なキャンバスも動かし、ゴミなども避けても1号は見当たらない。
非常にまずい。
このまま1人で探しても、見つかる気がしなかった。以外にも竺宇の作業場は広い。ちょっとした地下駐車場ぐらいはある。全ての空間を使っているわけではないが、置いてある物は非常に多い。
こういう時、竺宇が頼る相手は決まっている。反省を生かして持ち歩くようになったスマホを手に取って、頼る相手である、2人……いや、1人に連絡しようとした。
◾️
夏だ!スポーツだ!そして高校3年生の宿命、受験勉強だ!
生徒会の引き継ぎも無事終わり、部活も華々しく引退し、自宅で受験勉強中の、さまざまなレジャーを我慢する更間は、友人から来た珍しい連絡に苛立った。
「……竺宇くん、受験は?」
『問題ない』
「だよねー、絵は毎日描いてるだろうからねー。だがね?だけどね?私ね、一般受験なんだけど」
『推薦は』
「行きたいところに推薦なかったから、妥協するなら取らないほうがいいってなった」
『そうか。息抜きとしてどうだろう』
珍しく食い下がる竺宇だが、更間だって暇ではない。
「私はパス!……話を聞く限り、ただ人手が欲しいだけなんだよね?」
更間は机の上に置いていたラムネを数粒口の中に放り込んだ。
「じゃあさ、人呼んであげるよ。部活に精を出してる子達だけど、今日は休みって聞いてたし」
『待て……僕が知らない人だよな、それは』
「知ってるでしょ。陸上部エースと、期待の新星生徒会長———の兄弟の生徒会役員」
『……』
面識は一応あった。
陸上部エースは同じタイミングで表彰されるときに。人に話しかけるタイプなのか、表彰の回数を重ねた結果、知り合い程度にはなっている。
生徒会役員の方はストラップ騒動の時に顔を合わせたことがある。だが、その程度。
作業場に入れたくない。しかし1号を探すには人手が欲しい。そして更間の厚意を無駄にしたくない。だがしかし、何より彼、彼女らはほぼ知らん先輩の作業場で、もの探しなんてしたくないだろう。
というか嫌だろう。昨今、これはハラスメントとされる行為なはずだ。
「ちなみに2人ともだいぶ明るくてフッ軽な人たちだから、特に何も気にしないよ。2人とも仲良いみたいだしね」
『なんでそう断言する。絶対嫌だろう』
「今連絡取ったから」
『…』
「あ、私サブケータイ持ってんだよねー」
そういうことではない。
◾️
「こんにちは、先輩!四井瑠希です!」
「お久しぶりです。凉名です」
マジで来た。
「……強制してるわけではないんだが」
更間連絡してからそう時間も経っていないため、近所に住んでいるのだろうが、本当にフッ軽いすぎやしないだろうか。あまり凉名や瑠希のような人柄の人と、関わってきたことがなかったために竺宇は困惑した。
「暇だったので大丈夫ですよ?」
「にしても竺宇先輩の家でか〜」
瑠希は目の前の西洋風の豪邸を見上げた。インターホンは鉄格子の扉の前にあり、表札には確かに”竺宇“と書かれてある。ご近所なりにこの豪邸の存在は知っていたが、今まで怖くて表札を見るのも避けていた。
「ぼく、インターホンから玄関までの距離に、噴水のついた庭があるのは初めてですよ」
恐らく若干引いているのだろうが、竺宇はこの家を見慣れているため、2人のぎくしゃくした感じが家のせいであると気付いていない。
「……噴水は父親の趣味だ。あの人は突発的に何かを作って庭に置く」
やっぱり来たくなかったよな、ともう帰してもいいんじゃないかと思ったりもした。
「お父様も芸術系の方なんですか?」
「ああ」
「へえ、じゃあ先輩もお父さんの影響受けて、芸術系にーってことですかね?」
「いや、僕は元々絵を描かない子供だった。……探して欲しいのは、僕が本気で絵を描き始めた第1号の絵だ」
竺宇がそう溢すと瑠希と凉名は張り切ったように拳を突き上げる。
「じゃあ絶対見つけないとですね!」
ほとんど知らない先輩のために張り切る後輩は、ひよこのように見えた。ここまで来たら遠慮するのもなんだろう。
竺宇は少しだけ口角を上げて頭を下げた。
「すまない。よろしく頼む」
そこで元気に笑う後輩2人は頼もしいことこの上ない。家の中に入れてから、さらに2人は慄いた。廊下が長い。廊下に絵が飾ってる。廊下の棚が高そう。溢れ出る億万長者感に息を呑んで、下へと向かう竺宇に着いて行った。
そこにあるのは地下駐車場———もとい作業場。
「改めて探して欲しいのは、A4サイズの画用紙に描かれている絵だ。元はこの棚に置いてあった。裏面に“1号”と書いてあるから見れば分かる」
作業場で竺宇は棚からすこし離れ、対角にある、ブルーシートで覆われた品々を指した。
「あれは売り物だ。探さなくていい」
そこで瑠希が授業のように手を挙げて言った。
「ちなみに1号ってなんの絵なんですか?」
「あー気になりますね。あと、何歳ぐらいの時に描いたんですか?」
竺宇は動きを止めた。
「……5歳ぐらいだろうか」
「なんの絵なんですか?」
逃れられる質問か見極めるために瑠希と目を合わせてみるが、彼の目は好奇心に満ちており不可能だと判断した。
(言いたくない……が、手伝ってもらっている身だ)
竺宇は悩むが、思えば芥津門の目にさえ入らなければいいのだ。
「あー……椎に、言わないでもらえるか」
「椎?」
「芥津門のことだ。彼女に見せていいのか判断がつかない」
それで瑠希は椎と芥津門が結びついたのか頷いてみせたが、逆に焦り始めた。凉名も同様だ。
「それ私たちが見てもいいやつですか……?」
2人してスクラムを組むように竺宇に立ち向かっている。まるで強大な敵に立ち向かうかのような緊張感。
なぜだ。
「そこまで渋るようなものでもない」
「いやいや!先輩のプライベートにズカズカ入り込みたいわけでもなくて…!」
「そうそう!ぼくら興味があっただけですから、そんな無理に…!」
(一体何を想像しているんだ……?)
逆にこちらが聞きたいほどだった。無理に言わなくていいと言いつつ、本当に聞かなくていいとは思っていなさそうな顔をしている。人に遠慮しているようで全く遠慮していない。
そこは更間の友人ということだろう。彼女もそんな感じだ。
「ただの妖精の絵だよ。椎が昔、夢で見たという妖精を描いたんだ」
◾️
やって来た夏。芥津門はもちろん親には内緒で、失踪した公園まで1人で来ていた。かなり昔の記憶だが、焼印のようにこの景色は瞼の裏から消えることはないだろう。
「ええと……確か“久有”はあっちの方で」
誘拐ではない。気を失いながら移動するなんてことは誰にもできない。当然ながら、芥津門は失踪先を知っている。
今まで行かなかった理由は、単純にここの公園に近付くと吐き気が止まらなくなるからだ。
しかし、今の芥津門は忘れもの洞察部、おそらく部長。自分が忘れたままにしているくせに、上から目線の物言いをして来たのだ。ここらで腹を括らねば。
芥津門の決意と行動力は大したものだが、彼女の額に浮かぶ大汗が、そういったものは所詮ただの精神論でしかないことが分かる。
夏だからこそ不審に見られることはないが、その顔色は悪い。芥津門は下を向いて帽子をかぶっているので、誰かに見られることはないが。
(あと、もうちょっと)
じわじわという暑さの中、公園からふらふら歩いて行く。
(竺宇とかくれんぼしていたんだっけ…)
物足りない遊具を横目に、立ち入り禁止という錆びた看板が貼り付けられている、フェンスへとやって来た。蝉の鳴き声がより大きく聞こえるのは、フェンスの先にある森のせいだろう。
この先で“久有”を失くした。
芥津門は朽ちて穴の空いてしまったフェンスを握りしめる。緊張感か、暑さによるものか、雑草が茂る地面にぽたりと汗が落ちた。
元々人気があまりない場所ということもあり、このフェンスをくぐっても、人に見られないという点では問題ないだろう。
「…行くか。妖精から、“久有”を引き取りに行かなければ」
◾️
「杏糸せんぱーい。そっちありました?」
「だめ、全然」
何気に広い空間で、2人は竺宇からもらったペットボトルを飲んだ。空調自体は問題ないが、絵を描くからか特有の臭いと、物をどかしたりする重労働で疲れてしまった。
「竺宇先輩は絵を見られたくないみたいだったですけど、こういう探しものの時って……」
「椎ちゃんに頼るのが1番だと思うんだよねぇ」
芥津門は学園で、ものの管理をしたり受け取りに来た人に経緯などを聞いているだけあって、落としもの・忘れものに関する経験が多い。
今回は場所も限られている。どういったところに隠れているのか、見当もつきやすいのではないかと思った。
「提案してみよっか、助言を受けるだけなら電話越しでも大丈夫だろうしね———竺宇先輩!」




