芥津門椎
芥津門は誰もいない、落としもの保管室でお茶を飲んでいた。ペットボトルのなんてことないお茶だ。しかし、それをまじまじと見つめる。
「……おいしい」
芥津門椎———旧姓、久有椎は高校に入ってから初めて飲んだ、最近は頻繁に飲む、なんてことないペットボトルのお茶を見た。
「……今日は病院行くんだっけ」
芥津門は予定を思い出す。たまに行く病院には小さい頃から、精神病とされるものを治すために通っていた。
なんてことない箱入り娘。
芥津門の、久有の家は医者の一家だ。
ただしあるとき、ファンタジーなことが起こった。
失踪したのだ。
いや、これはファンタジーではない。本来であれば事件として取り扱われていた。
本来であれば、だが。
久有は4時間ほどでひょっこり帰ってきた。
当時一緒に遊び、久有の失踪に気付いた少年———竺宇楼斗の必死の訴えにより、久有の4時間の失踪は周囲に一応確認された。
だが、それより問題になったのは、品行方正、才色兼備、非の打ちどころがない少女久有が変わってしまっていたことだ。
それに両親は泣いて叫んで悲しんだ。
当時の同級生、更間右多は久有の家の状況を察してか、中々一緒に遊んでくれなくなった。
妖精による———チェンジリングとしか思えないほどの変化。
頭の知識がほとんど抜けても、歩き方が覚束なくても、ボタンが留めれなくなってしまっても、その見た目は自分たちの子供と瓜二つというのだから、両親はひどく悲しんだ。
親の愛は無償だが有限だ。無償で無限の愛は、子供からの返礼で成り立つようになっている。
だが帰って来た変な久有が、完璧な久有を求める両親に返せるものなどなかった。変な久有だって、完璧な久有を返してあげたかったが、どんなに文字をなぞろうとも何も変化しなかった。
そのうち、両親は大喧嘩。変な久有は芥津門になった。
詳しい経緯を子供の耳に入れるほど、周りの大人は馬鹿ではなかった。その時あったいざこざを、芥津門は知らないが、ロクなものではないだろう。
だが、そんなことが起こったからこそ、芥津門は久有を忘れられた、落としてこれた———捨ててしまった。
きっと“久有”は芥津門のことを恨んでいるのだろう。呪っているはずだ。思い出しても取り戻せるものではないが、もう戻らない“久有”の穴を埋めるように、学校の落としもの保管室を管理し出した。
きっと、そこで芥津門は始まった。
羽野や古戊留、野浦や凉名、瑠布に瑠希。両親が離れたことをきっかけに、あまり人と関わらなくなった芥津門にはとても良い出会いだった。
最近やっと穴が埋まり始めた。
「…………」
もう、“久有”は要らなかった。
すでに親からの愛は望めない。完璧な久有なんてこっちは知らないのだ。
だが、竺宇は?更間は?
以前から、変になる前から仲が良かった彼は、彼女はどう思ってる?
それに忘れられた“久有”は?
あの子のことを思い出したならば、取りに行かなければならないのではないか?
芥津門は保管室内の自らが整えたダンボールの山を見た。ホコリが積もらないほど、定期的に管理されている。
(実はちょっと安心してたんだ。平気で忘れてく人たちに………古戊留は偉いなぁ)
病院には行かなくて良いと思った。
ただもうすぐ夏になる。
夏休みに“久有”を取りに行こうと思った。




