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遠くから辿々しいピアノの音色が聞こえる。
一美ちゃんはすっかり元気を取り戻し、明日の午前中に控えてるピアノ教室の発表会に向けて最終レッスンが行われてる。
実家勝手口がピアノ教室の出入り口になってる様で、病気休業していた日がレッスンだった生徒さん達が振替で朝から何人か出入りをしていた。
ピアノの音って何となく好きなんだよな。
バレンタインイベントでも鍵盤楽器を使うバンドを何組か見たけど、弦楽器だけとは違うニュアンスがあっていい。
少しはピアノを扱えるから、今度そんな楽曲作っても良いな。
「太郎〜おはよ〜。」
一体誰だと二度見するレベルで起き抜け姿が酷い仁衣那ちゃんがリビングへやって来た。
「おはようの時間じゃないけど、おはよう。」
「おおー。リビングが元通りになってる!」
最後に残されたリビングも先程漸く片付けが完了し、全ての共用スペースは綺麗になったぞ。願わくば、お盆休み迄はこの状態をキープしていて頂きたい。
「仁衣那ちゃんも自分の部屋は自分でやってね。」
「一美の部屋よりマシだよ?ちょっと瓶が転がってるだけ。」
俺は知ってるよ。
仁衣那ちゃんが好きな日本酒の空瓶が転がってる事は知ってるよ。そろそろいい加減リサイクルゴミに纏めて欲しい。
ちなみに本人は「ちょっと」と言ってるが、俺的には全然ちょっとじゃない。酷い。此処は地酒専門店かって位に酷い。
「太郎〜何か食べるのある〜?」
「ホットサンド作れるよ。皆んな今朝それだったから。」
「太郎がいるとオシャレな朝ご飯が出て来るなぁ。本当帰って来てよ〜。」
「断る。」
今だけの限定的な期間だからやってあげれるけど、これが毎日だと単なる拷問だからね。だから俺、家出たんだよ?
「一美は…教室か。もう大丈夫なの?」
「明日は発表会だからね。午後は会場の設営に行くから出掛けるってさ。」
「はいよ。三久は?」
「友達と遊びに行ってるよ。夕方には戻るって。あ、俺も出掛けるから仁衣那ちゃん外出しないなら留守番宜しく。」
「オッケーオッケー。何、太郎も居ないの?」
「一美ちゃんに捕まりたく無いんだよ。」
会場設営って俺呼ばれるじゃん。高校時代は部活で逃げ切っていたけど、今回は今朝から一美ちゃんから殺気を感じるのでコレは逃げるに限る。
ピアノの音が流れてる間に仁衣那ちゃんの朝食だけ出してチャダを連れ出しそそくさと出掛けた。
「たろう、どっかいくの?」
ずっとポケットに隠れていたチャダが顔を出してイキイキとした表情を見せた。
「特に考えて無いんだけど、午後は無条件で肉体労働を強いられる予感がしたから外出しただけ。」
「わあい!おでかけ!おでかけ!」
「そうだ。川崎にでも行くか。親父、久寿餅が好きなんだよ。」
「くずもちってなに?」
「あー何だっけ。うき粉で作ってるのが関東の久寿餅だっけな。きな粉と黒蜜かけて食べるの。」
「すごい、ゆうしょうじゃん。」
しかし君はどっからその言葉を覚えて来るのかなぁ。
行く先も決まった所で、そのまま駅へと歩き始めた。
久寿餅は住吉のがお好みだそうです。
ちなみに関西のくず餅とは全然違う和菓子です。




