第10話「推し作家」
「間に合った……!」
凛は息を切らしながら列の最後尾に飛び込んだ。
「だから言ったでしょ」
「急がないとサイン会始まるって」
「まだ始まってないだろ」
「焦り過ぎだから」
柊は冷静だった。
「結果論よ」
「便利な言葉だな」
凛はパンフレットを握りしめる。
今日の目当ての一つ。
ソフビ作家・月光蜘蛛。
限定カラー怪獣の生みの親。
凛の推しだった。
「うわぁ」
「本物だ……」
数メートル先。
本人がブースに座っている。
「当たり前だろ」
「ここに載ってんだから」
パンフレットを指す。
「違うのよ」 「写真で見るのと本物は全然違うの!」
凛のテンションは完全に舞い上がっていた。
「この人の塗装ね」 「影の入れ方が凄くて」「あとグラデーションも繊細なの」
「へぇ」
「しかも造形も綺麗で可愛くて」
「ふーん」
「三年前の限定カラーなんて速攻完売して、今は入手困難だから」
「ほぉ」
「ちょっと興味持った!?」
「いや」
「もぅ」
「なんでよ!」
「ははっ」
「楽しそうだなお前」
柊は少しだけ笑った。
「うん」
「とっても楽しいわ」
凛は笑顔で言った。
「もし来てたらサイン書いて欲しくて、月光蜘蛛さんの怪獣持ってきたの」
バッグから怪獣を取り出した。
「げっ」
「本当に持ってきてたのか」
柊は少し感心した。
「当たり前よ」
「こんなチャンス滅多にないもの」
列は少しずつ進む。
凛はそわそわしていた。
順番が近付く。
緊張してきた。
「どうしよう」
「何が」
「話しかける内容考えてなかった」
「今さらかよ」
「だって会えると思わなかったし!」
「会うために並んで、ソフビまで持ってきたんだろ」
「それとこれとは別なの!」
「はいはい」
「わかったよ」
柊は言った。
やがて順番が来る。
「こんにちは!」
凛は勢いよく頭を下げた。
月光蜘蛛は少し驚いた後で笑った。
「こんにちは」
「いつも作品見てます!」
「ありがとうございます」
「特にギガドンのクリアカラーが大好きです!」
「あれね、評判良かったんですよ」
「本当ですか!?」 「大好きです!」
熱量が凄かった。
月光は苦笑する。
「本当好きなんですね、嬉しいな」
この前抽選で当たった限定カラーのギガドンV3を出した。
「あの、これにサインして欲しいです」
「そのカラー、当たったんですね」
「大事にしてもらえて嬉しいです」
「いいですよ」
月光蜘蛛はペンを取りながら微笑んだ。
凛の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
「宝物にします」
サイン入りのギガドンV3を受け取る。
ブースを離れた後もしばらく眺めている。
「うわぁ」
「よかったな」 柊が言った。
「うん」 「生きててよかった」
「大袈裟だな」 柊は笑った。
その時。
「真白さん」
聞き覚えのある声がした。
凛の肩が跳ねる。
振り向く。
「夜咲先輩」
そこには夜咲がいた。
妹の姿はない。
一人だった。
「サイン会行ってたんだ」
「は、はい!」
思わず背筋が伸びる。
夜咲は凛の手元を見る。
「あ、その人の作品好きなんだ?」
「好きです!」
即答だった。
夜咲は少し笑う。
「やっぱり」
「え?」
「さっき見てた時も凄い楽しそうだったから」
凛は固まった。
見られていた。
楽しそうだったところを。
「そ、そんなこと」
「あったよ」
夜咲はあっさり言う。
「好きなもの見てる時の顔だった」
顔が熱くなる。
恥ずかしい。
けれど少し嬉しい。
「先輩も好きなんですか?」
思わず聞いた。
「うん」
夜咲は頷く。
「そこまで詳しくないけどね」
「でも見るのは好き」
「妹さんの影響ですか?」
「そう」
夜咲は笑った。
「最初は全然分からなかったんだけど」
「気付いたら詳しくなってた」
共通の話題。
凛は少しだけ勇気が出た。
「じゃあ」 「この人の作品見ました?」
凛は展示ケースを指差した。
そこから数分。
気付けば普通に話していた。
好きな怪獣。
好きなカラー。
イベント限定品。
夜咲も楽しそうに話している。
凛は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
恋愛作戦とか。
攻略ノートとか。
そんなことを考える暇もない。
ただ楽しかった。
「海斗兄ー」
遠くから声がした。
夜咲の妹だった。
「呼ばれてるみたいですね」
凛が言う。
「みたいだね」
夜咲は苦笑した。
そして少し考える。
「今度おすすめ教えてよ」
「え?」
凛は目を瞬いた。
「真白さん詳しいでしょ?」
「ソフビとかドールとかさ」
「また聞かせて」
心臓が跳ねた。
「は、はい!」
夜咲は少し考える。
「あ、でも今夏休みだし」
「学校もしばらくないよね」
「そうですね」
凛が頷くと、夜咲はスマホを取り出した。
「よかったら連絡先交換しない?」
凛の思考が止まった。
「……え?」
「真白さん詳しそうだし」
夜咲は不思議そうに首を傾げる。
「嫌だった?」
「い、嫌じゃないです!」
大声だった。
周りの人が振り返る。
「あ、ご、ごめんなさい」
凛は慌てて頭を下げた。
夜咲は吹き出した。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「は、はい……」
手が震える。
スマホを落としそうになりながら画面を開く。
数十秒後。
交換は終わった。
「ありがとう」
夜咲は笑った。
「おすすめ楽しみにしてる」
その瞬間。
凛の心臓は本日二度目の爆発を迎えた。
夜咲の姿が人混みに消える。
「行ったぞ」
隣で柊が言った。
「……うん」
凛はまだその場から動けなかった。
「魂抜けてるぞ」
「だって……」
凛は自分のスマホを見つめる。
そこには夜咲海斗の名前が表示されていた。
現実味がなかった。




