ダムと魔脈と巨大魔獣 5
少しずつ歩みを進める道すがら、獣道や湧水地点を見つけて瘴気計を確認する。魔脈の真上は数値が高めだったけど、少し離れれば基準以下になっていた。
「魔脈は使い道のある魔力ですから気にすることはありませんわ。それに、他より少々高いといった程度なので安全と言えるでしょう」
「なるほどぉ。水も魔力も漏れ出してないってことだよね、アリィちゃん」
使い道とか、なるほどって何?
しかしこの疑問は口にしてはいけない。何十倍、何百倍の言葉となって跳ね返ってくるのは目に見えている。
「滞留して消費されず、魔力が瘴気になって立ちこめる状況にはならないということ。顔に出ておりましてよ、おわかり?」
「……………………ソードシステムだよね」
「ご名答」
魔法マニアのレナとアリィに付き合っていればイヤでも賢くなってしまう。魔法なんてまったく使わないし使えないし、さほど興味があるわけでもなく、そもそも効かないのに。
「あ、イノシシ……」
ふと、何気なく斜面を見下ろしたら寝転がるイノシシを見つけた。武器に手をかける間もなく、驚いたイノシシは滑落しながら一目散に逃げていった。
「ぶっ、ぶはははは。今のはちょっと間抜けだったけれど普通のイノシシ。野生動物ってやっぱり臆病なのよねー」
「至近距離だったけど襲われなくてよかったよ」
「人を襲って食べるわけじゃないから戦うメリットがないの。でもね、逃げ道がなくてパニックになったり、子育て中は凶暴になるから気をつけて」
遭遇したのはこのイノシシ一匹だけで、他に危険もなく目的地にメガネ池に到着した。道中含め瘴気計の数値に異常もない。
「ここで姉様たちを待ちましょう。視界が開けているので魔獣に見つかっても……ん?」
「ねね、ラドくん。あそこ……」
「イノシシ、だよね」
「デカすぎるっしょ」
「ああ、魔獣ですわね」
干上がりかけているメガネ池の対岸側。
鎧のような硬そうな皮膚、頭には角、背中には大きなコブがある巨大イノシシが鎮座していた。岩壁に擬態する色合いに気付かず近づいていたら大惨事になっていただろう。
「まるで手配魔獣並みの大きさですね」
遅れて合流したソニアも驚いていたけど、取り乱すことなく冷静に観察している。
「怖さよりも、どのように駆除しようかが悩みどころでしょうか」
勝つことが前提の上で、どう戦ってどう処理をするかの未来を見据えている。手っ取り早い方法は土に埋めるか、ひと手間加えて燃やして埋める。
「食べられそうなら適切に処理をして、美味しくいただきますよ?」
それは普通の野生動物の場合に限っての話。魔獣じゃ食欲がわかない気がする。
「むむ……おかしい。じゃが魔脈は正常…………うーむ」
土壌がぬかるんで干上がりかけたメガネ池を確認したフェイリアが困惑した表情で考え込んでいた。
ふたつの湖からなるメガネ池の北側は水量が豊富なのに、目の前の南側はこの有り様。
「北と南を繋ぐ、あそこを見てみい。報告の通りダムに流木が詰まってせき止めておる。それなのに魔脈は水で満たされておるんじゃ」
昔、湖は北側にしか存在していなかった。
エスカレア特別区は水源確保の名目で、国境を隔てるテレスタ共和国と交渉して水をわけてもらうためにダムを造った経緯がある。
「水利権は国の豊かさに直結する財産。表向きはエスカレアの子供たちのためだと説得したんじゃが、真の目的は魔脈に引き入れるためでな。当時の大人たちを巻き込んで、まぁ時間がかかったものよ、カッカッカ」
「そうなんですかフェーちゃん。ちなみにそれは、どれほど前なんでしょう」
「交渉を始めたのは五十年は前じゃったか。あとフェーちゃんはやめろ」
「南側は人工湖になるのですね。なるほど真上から見ればメガネの形ですもの。それにしてもどうして、あたかも体験したかのような口ぶりなんでしょう」
「な、そ、それは……文献なり口伝というものがあるじゃろう、なあ?」
意地悪く笑みを浮かべるソニア、気まずそうに顔を背けるアリィ。フェイリアの秘密はすでにバラされているんだ。そこまでしたからこそ、ソニアだってリスクを承知で協力してくれている。
「それでさ、何がおかしいのよフェイ。確かに南側は干上がっちゃってるけれど」
「小娘の疑問はその通り。本来は南側を経由して魔脈に流れ込んでおる。今はおそらく、別の場所から繋がっておるのじゃろう」
「それだと何か問題でも?」
「ソードシステムの運用には直接問題はない。じゃが、国境を越えた北側から直接取水しているとなるとな。水利権もあるし、調べられたら……ちと面倒じゃ」
行動を起こす前に、何をすべきかを考えあぐねて暫しの沈黙が流れた。遠くでは野生のイノシシがぬかるみに倒れ込んで身体をくねらせている。これが泥浴び、ぬたうちだ。
「泥まみれになるけれど、ノミやダニが結構落ちるみたいね。身体を冷やして体温を調節する目的もあるし」
「あんなに汚れてさ、せめて最後は川の水で洗い流さないの?」
「さあ。野生環境ならすぐに汚れそうだし、本人が気にしないんじゃないかな。でもね、穴熊なんかはキレイな水じゃないと水浴びしないし…………って、あれ!」
ぬたうちをするイノシシの身体つきが少しずつ大きくなり、角が生えた。苦しみなのか喜びなのか、地を這うような咆哮を上げるその姿は間違いなく魔獣だ。
「魔獣化する要因はこれか!」
「あっ、奥にいる巨大魔獣が動き出した!!」
巨大魔獣はぬかるみを物ともせず、生まれたばかりの魔獣に突進すると角を突き刺して体当たり。一撃で瀕死に陥ったところをひと噛み、持ち上げてもうひと噛みして飲み込むと、瞬時に腹に収まった。
弱肉強食の自然界では当たり前の捕食だとしても、思わず顔を背けてしまう。
「…………状況を整理するために、一度話し合いをしませんか」
魔獣が発生する原因はメガネ池南側にあった。
瘴気計で調べてみると基準以上の数値をたたき出しており、ぬかるんだ中心部はさらに高いと予想された。
「迷宮探索ゲームではキツネやらタヌキにガーゴイルまでおったというではないか。しかしその後の調査にしろ今にしろ、イノシシばかりじゃの」
「それも説明できます」
ぬた場になった場所で泥浴びをするのはイノシシしかいない。必然的に他の動物が魔獣化することはなくなったんだろう。
「魔脈の水に魔力が溶け出すことってあるのでしょうか。この状況からは、魔力の水が南側に染み込んでいるとしか思えませんが」
「あるといえばあるし、ないとも言える。魔脈に限れば水は媒介でしかなく、余った魔力を消費するために…………」
あ。これって面倒で話が長くなるやつだ。
思った通り、レナとアリィは目を輝かせて話に聞き入っているし、ソニアとジュディアも理解しようと真剣なまなざしをしている。
話が脱線しても誰も止めないし、本来の目的を忘れている。
「…………つまり魔脈から逆流した魔力が、干上がって滞留する南側に染み込んでしまったということですか」
「わかりやすく表現すれば、そう思ってよい。皮肉なことに、あの巨大魔獣のおかげで大量発生を抑えておるわい」
「南側の流れを復活させたら、魔力が流れて安定するのかなぁ」
「うむ。北側に魔力が逆流しないようにせんとな。国境を越えたら趣味研だけの不祥事に留まらぬ」
「それって環境魔力論って分野かなぁ?」
レナもちゃっかり話し合いに混ざっているし。
「ラドも興味がお有りでしたら、八十コマほどで解説してあげましてよ?」
アリィの提案は丁重にお断りして、今はやるべきことをやろう。
「ワシとカイは南側の魔脈を調べる。そなたらは魔脈への水の流れを特定してくれ」
幸いにもダムから少し歩いた場所で原因はすぐに見つかった。斜面に開いた亀裂の中に北側から水が流れ込んでいる。
「方向や水量を考えるとこの場所で間違いないでしょう。でも不自然な感じがします。まるでこの場所まで掘削したかのような……」
「推測じゃが、イーノの仕業じゃろう」
イーノはフェイリアが創り出した、限りなく人間に近いマッドゴーレム。
行方不明になって機能停止していたところを迷宮探索ゲーム中に意図せず呼び覚ましてしまい、憎しみの自我を持ってフェイリアを屈服させようとした。
「迷宮探索ゲーム後に魔脈の水が枯れたじゃろう。魔脈を伝って外に出ようとしたイーノが穴を掘削して、ダムをせき止めたとすれば合点がいく」
「ふーん。でもさフェイリア、イーノって魔脈を泳いで来たんだよね。穴を掘る理由ってないんじゃない?」
「さきほど干上がって洞窟状態になった内部を調べてみたんじゃが、地下で国境を越える箇所があってのう。ワシが創ったゴーレムはエスカレアから出られぬ。じゃから北側に掘り進めたんじゃろうな」
つまり北側の取水口はエスカレア特別区内であり、国際問題には当たらないという証左でもある。
だからといって見て判断できるような明確な国境線があるわけではなく、魔獣はお構いなしに国を移動するだろう。




