霧島綾香
「センパイ、じゃあとりあえずあたしの家に案内します」
そういって連れてこられたのは、駅前の一等地にある超高級マンションのエントランスの前だった。
「へえ、霧島ここに住んでいたんだ」
東郷は珍しそうにきょろきょろと辺りを見回した。
オーク材を基調としたシックで落ちついた内装に、絞った間接照明が映え、磨き抜かれた大理石の床には、体裁よく観葉植物なんかが配されていた。
オートロックを解除し、エレベーターに乗り込む。
(霧島の家族って一体どんな人たちなんだろう)
そう思うと東郷は、何だか緊張してきた。
そんな東郷の様子を伺い、霧島は少し困ったような顔をする。
「センパイ、あのあたしって一人暮らしなんですよ」
七階でエレベータを降りたあたりで、霧島が告げた。
「へ? そうなの」
高校生で一人暮らしっていうのは、なんだか珍しい。
実家がよっぽど田舎にあるのかもしれない。
少し歩いて表札のない部屋の前までくると、霧島は俺の持つ鞄から鍵を取り出した。
「だったらホテルなんて行かなくても、ここで良かったんじゃねえ?」
東郷がふと思ったことが、なんとなく口をついてでてきた。
「まあ、そうなんですけど、あたしあんまりこの場所好きじゃないから」
そう答えた霧島は、なんだか寂しそうだった。
だだっ広いリビングの隅っこの方に、小さなソファーとテレビが置いてある。
内装も家具もどれも高級そうなものばかりなのに、ひどく殺風景な部屋だ。
とても高校生の女の子の暮らす部屋には見えない。
きょろきょろとあたりを見回し東郷は考え込む。
「う~ん、一人暮らしでファミリータイプの3LDKでは、ちょっと広すぎるのかも」
そう言った東郷の前に霧島はスリッパを差しだした。
「もう慣れましたけどね」
そう言って微笑む霧島は、やはりどこか寂し気だった。
そんな霧島を東郷が背後から抱きしめる。
如何せん身長差があるから、抱きついているようにしか見えないのだが。
「ホームシックってやつ?」
「それが……恋しいと思える家が、もともとなかったもので」
やはり霧島は寂しげな表情で困ったように笑っている。
リビングに置かれた硝子製のショーケースの上に、写真が飾られていた。
写真の中で霧島を、そのまま30代にしたような美人が笑っている。
「母親です。あたしが中三の時に他界しました。あたしもともと妾の子だったんです。だからそのときまで認知もされずに、ずっと父親の存在も知らずに育ったんですよ」
霧島はそれをなんでもないことのように淡々と話した。
「母親の死後、父と一切合わない事を条件に一応認知はしてもらったんですけど、全部弁護士を通じてだったので、父とは実際に会ったことがないんです」
結構ヘビーな内容だったと思うのだが、霧島はただ淡々としている。
「父親が何をしている人なのか、どんな人なのか詳しくはわからないのですが、ただ金回りはいいみたいで、不自由はしてません」
「霧島~、お前なあ……」
東郷は小さく溜息をついて、そう言って腕を広げてみた。
「くるか? こいこい」
「うっ……」
そう言って声をつまらせながらも、霧島は不器用に東郷の胸に顔を埋めた。
「泣くか? 泣くのか? 泣いてもいいぞ? 霧島」
「意地でも泣きません……」
東郷の胸の中で霧島のくぐもった声が聞こえる。
東郷はただ霧島を抱きしめ、小さい子をあやすように何度も背中を撫でた。
「あの、お前アレだ。心の栄養失調なんだよ。やっとわかったわ」
「まあ……そうなんだと思います」
霧島は否定しなかった。
なんか初めて会ったときから、どこか霧島に感じていた違和感。
虚ろで、不安定で、でもなぜか放っておけなかった。
死んだ魚のような目をしたこいつを、心から笑わせたいと願った。
初めて会った日から、その印象は強烈で。
ひょっとするとあのときから既に……こいつから目が離せなかったのかな。
なーんてことを思いつつ、東郷は密かに赤面した。
「いいよ。俺がお前を育てるよ」
そういうと霧島がきょとんとした顔をする。
「俺さあ、多分初めてお前と会ったときからずっと……お前に笑って欲しかったんだよ」
「なんですか? センパイあたしのこと口説くいてんですか?」
そう言って霧島は意味ありげな視線を東郷に向ける。
「う~ん、そうとってくれても構わないが、なんつうか、もっとこう……惚れたはれたよりも深い次元でお前のこと愛したいって思うのよ」
「なんですか、それ」
「一口に愛つったって、色んな愛があるんだよ? アレだ。キリストさんが言うところの見返りを求めすに与える愛をアガペー。友を愛する心をフィレオ、親が子を愛するときに使われるのはストルケ、そして性愛のエロスだ。恋愛なんてのはミスターチルドレンも歌っているように『いわばエゴとエゴのシーソゲーム』なわけでさ、でも本当に大切な人って言うのは、一体どの愛で愛せばいいのかなって、俺時々思うんだ」
そんな話をまるで拒絶するかのように、霧島は俺の膝を枕にして、その場に寝転がった。
「あたしは、エロスの愛しかわからないや」
少し不貞腐れたような霧島の背中が、悲しいと叫んでいた。




