それは、不慮の事故でした。
二人の雰囲気を微妙に感じ取り、如月はそうそうにその場を退散した。
しかしいざ屋上に二人きりになってしまうと、妙にどぎまぎしてしまう。
「ねえ、センパイ。あたしのこと嫌いですか?」
少し陰った表情で霧島が東郷に問う。
「いや、嫌いじゃねえんだよ。これが」
自分でも驚くほど素直にそう言えた。それが今の東郷の本音だったからだ。
先ほどの如月の言葉に、確かに東郷は取り乱したのだ。
霧島のことを失いたくはないと切に思った。
そんな自分に気がついてしまったのだから、もう後戻りはできない。
「じゃあ、あたしのこと好きですか?」
霧島がそう問うと、東郷は真っ赤になって下を向いた。
「……おう」
蚊の鳴くように、そう呟いた東郷の言葉に霧島が目を見開いた。
「あ……あのっ」
「いや、ごめん。多分もっと前から俺はお前に惚れていたんだと思う。でもただ、俺女性恐怖症なん……」
全部言えなかった。
霧島に押し倒されたからだ。
「嬉しい」
そう呟いた霧島のか細い声を聞いたのが最後だった。
背に押し付けられた柵が、不吉に動いた。
(え? ちょっと、ここ屋上なんですけど)
足元に感じる浮遊感。
これは死んだなと東郷が覚悟を決めた。
◇ ◇ ◇
「いってぇ、っていうかここどこだ?」
見慣れぬ光景に東郷は目を瞬かせた。
すでに辺りには薄闇が帳を下ろしている。
結構な時間気を失っていたらしい。
(どうやら俺は三階の雨避けに落っこちちまったらしいな)
直落下は避けられたものの、それでも屋上から裕に二メートルはある。
そして気付く。
「霧島は?」
落下の直後、確かに反射的に霧島を守ろうと抱きしめたはず。
しかし確信は持てなかった。
最悪の事態が脳裏を過り、気が狂いそうになる。
そして次の瞬間その視界に信じられないものが映った。
「俺がいる」
(俺の下に、なぜ俺がいる?)
それは、毎朝毎晩生まれてこのかた18年間鏡で見続けてきた自分の顔に相異なかった。
「う……ううん。痛ったあ」
そう言って東郷の下に居る東郷が、目を覚ました。
「え?なんであたしがあたしの目の前にいるの?」
東郷が女言葉で、なんだかとんちんかんな事をいっている。
そして…その可能性に想いをはせ、東郷はそっと胸に触れてみた。
『ある』
そこには確かに男にはないはずの、柔らかな膨らみがあった。
つまり、あれか……。
俺がアイツであいつが俺でって、そういうことなのか???
◇ ◇ ◇
信じがたい事実をひとまず横に置き、お互いの怪我の状況を確認し、とりあえず保健室へと向かった。
あの場所から落下して、お互いに軽いかすり傷で澄んだのは奇跡に近い。
保険医が留守であったため、手当は自分たちですることになった。
「ほら、お前大丈夫か?」
そう言って東郷は、もともとは自分のものであった身体の額に絆創膏を貼りつけた。
この非常事態に東郷は取り乱すしかなかったが、なぜだか東郷の身体に入った霧島は至極嬉しそうだった。
「なーんで、嬉しそうなの? お前」
東郷が不機嫌に呟く。
「えー、なんかいいじゃないですか。愛する人の身体って」
艶めかしい意味合いを含んだ霧島の言葉に、東郷は絶句する。
(その、アレだ……。身体が入れ替わっちまうってことは俺の身体をコイツに見られると?)
その可能性に思いを馳せ、東郷の思考回路がストップした。
「やめろ、ばか。そんなの耐えられない。俺の身体なんてみたら絶対お前俺の事嫌いになる」
迸る感情とともに熱い涙が東郷の頬を伝った。
「え? なに……ちょっとセンパイ?」
激情のままに叫んで咽び泣く東郷に、霧島が戸惑う。
それでも躊躇いがちにふわりと霧島の腕が東郷を包んだ。
「泣かないで。そんなことでアタシ絶対に東郷センパイのこと嫌いになりません」
東郷の低音ボイスで『あたし』と言われた日にゃあ、ちょっとぞっとしないでもないが、霧島は真剣だった。
「俺……前の彼女にそのせいでこっぴどく振られたんだ。それ以来……女が怖くなった。異性に対して心を開くことができなくなったんだ。俺の身体は醜い。だからきっとお前は俺の身体を見て俺の事をきらいになる」
そう言ってひどく泣きじゃくる東郷の涙を、霧島が唇で拭う。
東郷はその柔らかさにひどく戸惑って顔を上げた。
「愛してます。東郷先輩。前の彼女さんについては、いずれ報復するとして……」
(報復すんのかよ! 涼しい顔して恐ろしいこというな)
東郷は背中に薄ら寒いものを感じた。
「その彼女さんは本気でセンパイのことを好きじゃなかっただけです。本当に好きならそんなことで嫌いになったりしません。信じてもらえませんか?」
そう言って霧島は優しく微笑んだ。
東郷は泣きじゃくりながら、コクリ頷いた。
すると霧島はとんでもないことを提案してきた。
「センパイ、いきなりなんですけどホテル行きませんか?」
「は? お前一体何言ってんの?」
東郷はぱくぱくと酸欠の金魚のように口を動かした。
「やだなあ……、いくら今あたしがセンパイの身体を乗っ取っているからといっても、いきなり変なことはしませんよ。それよりも一度二人一緒のときにお互いの身体を確認しといたほうがいいんじゃないかなって思うんです」
東郷は霧島の言葉に小さく頷いた。




