東郷の想い
少し霞んだ東郷の視界の先で、霧島が笑っていた。
(あっ、ちょっとなんか腹立つくらいに可愛い顔)
東郷は馬鹿みたいに霧島の顔をただじっと見つめていた。
「ポカリ飲みます? センパイ」
そう言って霧島が心配そうに東郷を覗きこんだ。
顔が近い。
(っていうか、俺一体どこで寝てるんだ? 頭に感じるこのやわらかい感触は? ……って霧島の膝じゃん!!)
「のわっ! ててて…てめぇ!!!」
驚いて飛び起きようとした東郷を、霧島がやんわりと押さえる。
「おもいっきりやっちゃったんで、もうちょっと寝ててください。心配です」
(あーもう、俺超かっこ悪いじゃん)
そう思って東郷は不貞腐れた。
霧島の手が、何度も何度も東郷の頭を撫でた。
不思議とそれは東郷にとって心地悪いものではなくて、なぜだか安心した。
(怪我のせいかなんなのか、多分さっき喰らった面のせいで俺、馬鹿になってる)
道場の隅っこで、霧島は東郷の頭を膝に乗せて、至極幸せそうな表情をしていた。
(ああ、お前でも、そんな表情できるんだな)
東郷はそんなつぶやきを飲み込んだ。
それは新鮮な驚きだった。
そいういうわけで、東郷は少しだけ寝た振りを決め込む。
(全部怪我のせい。そういうことにしておこう)
◇ ◇ ◇
「そういうわけですから、センパイ、約束守ってくださいね」
金色に染まる校庭を歩きながら、霧島は凶悪に可愛い顔でそう言った。
(コイツは顔だけ見ていたら、本当に天使なんだけどなあ)
東郷は小さく溜息をついた。
「わかったよ、で俺が彼女なんて一体なにやったらいいんだ?」
(ふざけているよな、相変わらずコイツは)
東郷は腕を組んで霧島を見据えた。
「一発ヤらしてください。センパイ」
冗談なのか本気なのか、霧島はその辺の見分けがときどきつかない。
東郷は少し不機嫌になった。
(淫乱なんだろうか、それともひょっとして欲求不満なんだろうか?)
そんな問いが東郷の頭に浮かんだが、小さく咳払いをし、否定する。
「却下、俺は結婚するまでヤらないって固く決心してるから。どうしてもヤるっていうなら他の奴にしろ」
「じゃあ、いいです。あたしは、センパイ以外は全く興味ないんで。それじゃあ手作りのお弁当をあたしのために作ってください。あとバレンタインデーには、センパイの手作りチョコが欲しいです」
「そんなんで、いいのか? お前」
「とりあえず、です。一緒に映画見たり、遊園地行ったりもしたいし、いろいろ……です」
なんだか拍子ぬけした。
それじゃあ、単なる普通のカップルじゃん。
「なんだよ、もっと無理難題ふっかけられるかって思って、内心びくびくしてたんだぜ。女装しろとか言われたりとか…さあ。まあ今は受験があるから遊べねえけど、受験終わったらいいよ」
「センパイ、携帯番号とメルアドって変えてませんよね」
「ああ、そのままだ」
東郷はそのまま口を噤んだ。
実際に携帯をかえようと思ったことは、何度もある。
霧島の番号を消そうと試みたことも。
だができなかった。
「メール、送ります。センパイは受験生だから、電話は我慢します。でも……死ぬほど声が聞きたくなったら、電話しちゃうかもしれません」
霧島は少し唇を噛みしめ、射抜くような真剣な眼差しを東郷に向けた。
その視線に、なぜだか東郷はどぎまぎしてしまう。
(あのときには受け止められなかったコイツの気持ちを、少し大人になった今なら……受け止められるのだろうか)
東郷の中にふとそんな想いが過り、頭を振った。
(正直自信はない。今でもこいつが怖くてしかたがないのだから)
「返信、できないかもよ」
東郷がそう応えると霧島の顔が、一瞬泣きそうに歪んだ。
(悪い、とは思うのだ。お前にそんな顔はさせたくない。させたくないのに。なぜだかいつも傷つけてしまう。
ただひとついえることは、距離が必要だということ。そうでなければ、俺は自分を保てない)
「あっ、でも約束だから弁当は作ってやるよ。明日下駄箱の前で待っていろ」
東郷はぶっきら棒にそういうのが精いっぱいだった。
「あっ、はい」
そう言って微笑んだ霧島は、東郷が知っているそれよりも少し大人びた感じがして、きりきりと東郷の胸を締め付けた。
◇ ◇ ◇
翌朝学校では如月がしたり顔で、俺を待ちうけていた。
東郷はむくれて、ロッカーで靴を上履きに履き替えた。
「どうしたの、東郷君」
「って、お前……その顔はすでに事の成り行きを知ってて言ってるだろう」
少し剣呑な表情で東郷が如月を見やる。
「よもや剣道でお前が霧島に負けるとはよ」
如月はそんな東郷に少し肩をすくめてみせた。
「うるせいやい」
東郷は思いっきり鼻を顰めた。
霧島は強い。
だが東郷とて、霧島に負けるつもりは毛頭なかった。
「青島流道場の名取で、既に師範を取得しているお前が、なんで負けたか、わかる?」
鞄を背にひっかけて、如月が東郷に問う。
「俺より霧島が強かったからだろ?」
東郷が不貞腐れてそう応えると、如月は小さく溜息をついた。
「いんや違うね。技量だとか、そういうこと以前に相手が霧島だったからお前は負けたんだよ」
「どういう意味だよ」
「お前ってさあ、気付いていないかもしんねーけど、霧島のことずっと前から好きなんだよ」
しらっとした調子でそういった如月のその言葉に、東郷は思考回路がショートした。
「は…はあ? なに言ってんの? 俺はアレルギー出るくらい霧島のことは……」
「だったらなんでこの期に及んで、霧島のこと目にかけるわけ? 嫌いなら寝た子を起こすようなことしなくていいじゃない。もうすぐ卒業なわけだし。本当は霧島のこと心配で心配で仕方ないんでしょ?」
そう問われて、東郷の全身がかっと火照った。
「それはっ、ただ単に同じ部活のセンパイとしてだなあ」
心配じゃないといえば、嘘になる。
夏の引退試合の後、最後に彼女に会った日からずっと胸にしこりができているみたいに、それは重くて、苦しかった。
「お前は霧島が好きなんだよ」
如月の言葉はまるで東郷に死刑を宣言するかのような、残酷な響きを孕んでいた。




