キスキス すきっス
「私についていらっしゃい、お嬢さん」
東郷母の後に霧島に扮する東郷がついて行った。
純和風の巨大な屋敷に、仄かに漂う檜の香りが鼻腔を掠める。
渡り廊下に掲げられた釣り灯籠の火に照らされて、庭の中央に植えられた巨大な松の木が揺らめき、東郷母の着物の衣擦れの音も小気味良く、母屋から続く渡り廊下を渡りきると、こじんまりとした洋館が見えた。
「つうか……ここって……」
東郷は自分の顔が引きつるのをこらえられなかった。
そこは東郷家の当主が嫁を貰った日から、一年間過ごすとされている寝所。
「忠臣も綾香さんも、今日からここで暮らすのですよ」
東郷母はしれっとそう告げた。
「あまりにも……これはあからさまじゃね?」
「あっ、俺全然いいッスよ? センパイ」
そう言って霧島が背後から、東郷を抱きつく。
「お……おおおおお前なあ」
東郷はおのずと声が上ずり、赤面してしまう。
母屋からは完全に独立した古い洋館。
東郷はがっくりと肩を落とした。
「さっ、行きましょう。センパイ」
霧島が東郷の腕を引っ張って洋館の門扉の前に立つ。
東郷母が鍵を開け、霧島にそれを渡した。
「すぐに使用人に用意をさせますから」
そういうと東郷母は母屋に引き返していった。
「どうするよ? 霧島」
そう言って東郷が振り返ると、霧島はえらく上機嫌だった。
「なに?」
「なにって、その……なんか新婚さん…つうかこんな展開」
東郷は赤面して、もごもごと口ごもった。
「なにか不都合でも?」
霧島がにっこりと微笑む。
「むしろ好都合じゃないですか。勉強も教えて貰えるし」
「まあ、それはそうなんだけど」
エントランスの続きにある階段を上ると、主寝室だ。
豪奢な扉を開くと部屋の中央にベッドが据えられている。
「はあ、出たよ。ダブルベッドだよ」
そういって肩を落とした東郷を霧島が背後から抱きしめる。
「センパイは嫌……ですか?」
東郷の心臓が跳ねる。
「お…お前…お前はいいのかよっ、こんないきなり……」
「そんな泣きそうな顔しないでください。冗談ですよ。俺はセンパイに嫌われることが死ぬほど恐いんですから」
耳に低く落ちる声に、東郷は甘い眩暈を覚えた。
いつの間にか霧島の一人称が変わっている。
霧島はひらひらと手を振って部屋を出た。
「あっ待って、霧島」
そういって東郷は廊下に出た霧島を追う。
「センパイ、勉強教えてもらっていいですか?」
そう言って霧島が、東郷を振り返る。
「とりあえずセンパイの第一志望に受からなきゃですもんね。後のことは試験が終わってから考えます」
◇ ◇ ◇
「そう、だからそこでオイラーの定義を用いて……なーんだ、お前頭いいじゃん」
そういって東郷が霧島を見上げると、霧島は薄らと頬を染めている。
「じゃあ…ご褒美をください」
そういって霧島は真顔で東郷を見つめる。
霧島扮する東郷の端正な顔が近付いてくる。
(やばいっ、キスされる)
東郷は反射的に霧島から身体を離した。
「わかった、じゃあ、お茶淹れてやるよ」
そう言って東郷が立ちあがると、控え目なノックが聞こえてきた。
「あっ、何?」
そう言ってドアを開けると、和装の年若い女の使用人が食事の用意が整った旨を告げた。
「まっ、そういうわけだから……メシ……」
ぎこちなく東郷が霧島を振り返ると、霧島はむくれていた。
「キスくらい、いいじゃないですかぁ、センパイ……俺のこと好きって言ったくせに」
「ばかっ……キスって……」
そう口ごもって、東郷は赤面する。
「考えて、おく」
ちらりと霧島を見やって、小さく呟いた。
◇ ◇ ◇
テーブルの中央に、蝋燭の灯が揺れている。
糊の効いた、まっ白なテーブルクロスの上に、シャンパンの注がれたグラスが置かれると、霧島はそれを口に運ぶ。
赤い舌がチラリと覗き、唇を舐める仕草が妙に艶めかしくて、向かいあう東郷は、霧島から目が離せない。
そんな東郷の内心を見透かしたように、霧島が優越の微笑を浮かべる。
「なに?」
霧島の低い美声に、東郷はどぎまぎとしてしまう。
「な……ななななななにもっ」
不自然に上ずった声をあげ、東郷は運ばれてきたサラダを口に放り込む。
「気になる?」
そう言って、霧島が意味ありげに東郷を見つめる。
「別にっ、俺は……でもお前があんなこと言うから……」
東郷は口ごもる。
「キス、したいんでしょ?」
霧島に真顔でそう問われて、顔を覗きこまれると、東郷は真っ赤になって下を向いた。
「霧島の……意地悪っ」
「意地悪をしているつもりはありません。食事が終わって部屋に戻ったら、存分にしてあげますよ」
そう言って可愛く微笑んだ霧島の背後に、東郷は悪魔のしっぽが見えた気がした。
◇ ◇ ◇
食後のコーヒーも等閑に、二人は寝室に戻ると、霧島はベッドの上で足を伸ばして座り、
その上に東郷を座らせた。
「霧島……なんかこの格好えっちぃよ」
霧島の胸に手を置いて、うつむき加減に東郷が泣きそうな声色で呟く。
「ん? 今からえっちぃことするんですから、これでいいんですよ」
霧島がにっこりと笑って答えた。




