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麦穂の革命  作者: レモンティー


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7/10

第七章 兵站という名の戦争

王都へ向かう馬車の中。

アルベルトは机代わりの板の上に地図を広げていた。

国王からの召集は予想通りだった。

いや、予想より悪かった。

手元の書類にはこう書かれている。

**王国兵站総監への任命を検討する。**

「検討じゃないな」

アルベルトはため息をついた。

「決定事項だ」

向かいに座るエミリアが紅茶を差し出す。

「そんなに大変なんですか?」

「大変だ」

「戦争そのものより?」

「場合によるがな」

アルベルトは地図を指差した。

「十万の兵士がいたとする」

「はい」

「一日でどれだけ食べると思う?」

エミリアは考える。

「一人がパンを二個くらい?」

「もっと食う」

「三個?」

「もっとだ」

「分かりません」

アルベルトは苦笑した。

「だから将軍も失敗するんだ」

王都。

大戦略会議。

王国の主要貴族と将軍が集められていた。

巨大な地図が壁に掛けられている。

国王が席に着くと会議が始まった。

「敵軍は八万」

老将軍が説明する。

「国境を越え次第、迎撃する」

別の将軍が立ち上がる。

「王国軍九万で決戦を挑みます」

多くの貴族が頷いた。

勇ましい話だった。

だがアルベルトは頭を抱えた。

「どうした?」

国王が聞く。

「その軍隊、何を食べるんです?」

会議室が静かになる。

将軍の一人が不機嫌そうに言った。

「食料なら準備している」

「どれくらいです?」

「三週間分」

アルベルトは目を閉じた。

「足りません」

「何?」

「全然足りません」

将軍たちの顔色が変わる。

「敵を三週間で倒せばいい」

「倒せなかったら?」

誰も答えない。

アルベルトは続ける。

「十万近い軍隊です」

地図の前へ歩く。

「移動だけで食料を消費します」

「……」

「馬も食います」

「……」

「荷車を引く牛も食います」

「……」

「護衛も食います」

完全に静かになった。

アルベルトは黒板に数字を書き始めた。

兵士一人。

馬一頭。

荷車一台。

必要な食料。

必要な飼料。

輸送距離。

輸送日数。

計算が進むにつれて会議室の空気が変わる。

「待て」

将軍が立ち上がった。

「そんな量になるのか?」

「なります」

「馬鹿な」

「なります」

アルベルトは断言した。

前世の歴史知識があるから分かる。

近代以前の軍隊は巨大な胃袋だった。

国王が興味深そうに尋ねる。

「ではどうする?」

「決戦をやめます」

今度は大騒ぎになった。

「何だと!」

「敵を迎え撃たないのか!」

「臆病者め!」

怒号が飛ぶ。

アルベルトは気にしない。

「敵軍はどこから来る?」

地図を指差す。

「北東ですな」

「補給路は?」

「当然ここだ」

将軍が街道を指した。

アルベルトは頷く。

「そこを潰します」

静まり返る。

「敵兵を殺す必要はありません」

アルベルトは言った。

「食料を殺します」

将軍たちは意味が分からない顔をした。

「橋を落とす」

「倉庫を焼く」

「輸送隊を襲う」

「街道を封鎖する」

「そうすれば?」

国王が尋ねる。

アルベルトは答えた。

「敵は飢えます」

若い将軍が笑った。

「そんなことで勝てるものか」

「では聞きます」

アルベルトは振り返る。

「あなたは一週間何も食べずに戦えますか?」

将軍は黙った。

「兵士も同じです」

「……」

「英雄も飯を食います」

会議室が静かになる。

結果として。

国王はアルベルト案を採用した。

正確には折衷案だった。

正面決戦を避ける。

敵補給線を攻撃する。

時間を味方につける。

貴族たちの不満は大きかった。

だが国王は言った。

「飢饉を止めた男の話を聞こう」

その一言で決まった。

一か月後。

戦争が始まる。

隣国軍は順調に侵攻した。

国境要塞を突破。

二つの城を占領。

首都では悲鳴が上がる。

「負けている!」

「王国軍は何をしている!」

「敵を止めろ!」

しかしアルベルトは冷静だった。

兵站本部で数字を見ていた。

毎日の輸送量。

備蓄量。

敵軍の進軍速度。

すべて記録している。

「そろそろだな」

彼は呟いた。

さらに二週間。

敵軍の進撃が急に鈍る。

三週間後。

完全に停止した。

報告書が届く。

「敵軍の食料不足を確認」

アルベルトは頷く。

予想通りだった。

敵軍司令部。

将軍たちは激怒していた。

「食料が来ない!」

「輸送隊が襲われた!」

「橋が落とされている!」

「倉庫が燃えた!」

補給担当官が青ざめている。

「備蓄はあと十日分です!」

会議室が凍り付いた。

一方。

王国軍の倉庫には穀物が山積みだった。

整備された街道。

河川輸送。

地方備蓄。

アルベルトが何年もかけて作った仕組みである。

将軍たちは感心していた。

「本当に足りている」

「むしろ余裕がある」

「どうなっているんだ」

アルベルトは帳簿を閉じる。

「戦争は突然始まる」

「だから平時に準備する」

それだけだった。

そして冬。

ついに敵軍で飢餓が始まる。

脱走兵が増える。

馬が死ぬ。

病気が広がる。

兵士同士の略奪まで起き始めた。

もはや軍隊として機能していなかった。

国王は軍議で笑った。

「どうする?」

将軍たちが立ち上がる。

今度は全員の意見が一致していた。

「攻撃です」

「総攻撃です」

「今なら勝てます」

アルベルトも頷いた。

「はい」

「今です」

こうして王国軍は反撃を開始する。

飢えた八万と、

食料が十分な九万。

勝敗は最初から決まっていた。

敵軍は崩壊した。

歴史に残る大敗北だった。

戦後。

王都では祝賀会が開かれた。

将軍たちは英雄として称えられる。

騎士たちは武勇伝を語る。

その片隅でアルベルトは料理を食べていた。

ようやく仕事が終わったのである。

すると国王が酒杯を持ってやって来た。

「主役が隅にいるな」

「主役は将軍たちでしょう」

「違う」

国王は笑う。

「お前だ」

「私は戦ってません」

「戦った」

国王は酒を飲む。

「剣ではなく帳簿でな」

その言葉に周囲の貴族たちが笑った。

だが誰も否定しなかった。

皆知っている。

今回の戦争を支えたのは英雄的な突撃ではない。

食料だった。

道路だった。

倉庫だった。

そして農地改革だった。

その夜。

アルベルトは王宮の庭園を歩いていた。

冬の空気は冷たい。

ふと後ろから声がした。

「兄上」

振り返る。

そこには長男レオンが立っていた。

数年ぶりの再会だった。

かつて自分を見下していた兄である。

レオンは苦笑した。

「まさかお前が国を救うとはな」

「俺も思わなかった」

「父上が喜んでいた」

アルベルトは少し驚いた。

厳格な父親の顔が浮かぶ。

「そうか」

「自慢の息子だそうだ」

しばらく沈黙が続く。

そしてレオンは言った。

「ところで」

「何だ?」

「次は何を改革する?」

アルベルトは空を見上げた。

実はもう気付いていた。

新しい問題が生まれている。

農業は成功した。

物流も整備した。

戦争にも勝った。

だが――

「鉄が足りない」

「鉄?」

「それと石炭もだ」

レオンが呆れた顔になる。

「お前は本当に休まないな」

アルベルトは苦笑した。

文明が発展すれば次の壁が現れる。

それを越えればまた次が現れる。

終わりはない。

だから面白い。

こうして王国は次の時代へ進もうとしていた。

農業革命の次。

それは――

産業革命の始まりだった。

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