第六章 増えすぎた人々
王都に農業改革庁が設立されてから五年。
王国は劇的に変化していた。
かつて慢性的な飢餓に苦しんでいた地方では、安定して穀物が収穫されるようになった。
三圃式農業。
輪作。
堆肥利用。
灌漑。
土地整理。
アルベルトが広めた技術は各地へ浸透していた。
その結果――。
「人口が増えすぎた」
執務室で報告書を読んだアルベルトは頭を抱えた。
隣でエミリアが首を傾げる。
「良いことでは?」
「半分はな」
「半分?」
「食べ物が増えると人も増える」
アルベルトは地図を広げた。
赤い印が王国各地に記されている。
「問題は増える速度だ」
翌日の会議。
各地の代官や役人が集まっていた。
「王都人口は?」
アルベルトが尋ねる。
官僚が答えた。
「二十年前は八万人でした」
「今は?」
「十三万人です」
会議室がざわつく。
別の官僚が続ける。
「地方都市も同様です」
「職人が足りません」
「家が足りません」
「道路が混雑しています」
「荷馬車が渋滞しています」
アルベルトは額を押さえた。
完全に予想通りだった。
前世でも同じ現象があった。
食料生産が増える。
人口が増える。
都市が発展する。
すると今度は物流がボトルネックになる。
会議後。
国王がアルベルトを呼び出した。
「聞いたぞ」
「何をです?」
「また問題を見つけたらしいな」
「見つけたというか発生しました」
国王は笑った。
「お前はいつも問題ばかり見つける」
「問題がない国なんてありませんよ」
「それもそうだ」
国王はワインを飲みながら尋ねた。
「次は何をする?」
アルベルトは地図を広げた。
「道路です」
「道路?」
「街道を整備します」
国王が眉を上げた。
この世界の道路は酷かった。
王都近辺はまだ良い。
しかし地方へ行くほど悪くなる。
雨が降れば泥沼。
荷車は埋まる。
橋は老朽化。
輸送速度は遅い。
「収穫量を増やしても意味がありません」
アルベルトは説明した。
「運べなければ腐ります」
「なるほど」
「今の王国は食料不足ではなく輸送不足です」
国王は感心したように頷いた。
「面白い」
またその言葉だ。
アルベルトは苦笑する。
国王は新しい話を聞くたびに「面白い」と言う癖があった。
そして道路改革が始まった。
王国中で街道整備が行われる。
橋が架けられる。
宿場町が作られる。
河川輸送も整備される。
結果は劇的だった。
以前は王都まで二十日かかっていた輸送が十日になる。
十日だった場所は五日になる。
商人たちは歓喜した。
「商売になる!」
「もっと運べる!」
「利益が倍だ!」
市場は急速に拡大した。
だがその頃。
王国北東部で不穏な報告が届く。
国境警備隊からだった。
「隣国が軍を集結させています」
アルベルトは報告書を読み返した。
三回。
四回。
五回。
嫌な予感しかしない。
翌日。
王宮の軍議。
将軍たちが地図を囲んでいた。
「間違いない」
老将軍が言う。
「戦争準備です」
国王の表情も険しい。
「兵力は?」
「推定八万」
会議室が静まり返る。
王国軍とほぼ同規模だった。
会議後。
国王はアルベルトを呼び止めた。
「どう思う」
「戦争になります」
「だろうな」
「ですが」
アルベルトは少し考える。
「勝てます」
国王が目を細めた。
「根拠は?」
「食料です」
軍人たちは最初理解できなかった。
将軍の一人が言う。
「戦争は兵で決まる」
「違います」
アルベルトは首を振った。
「戦争は補給で決まります」
「補給?」
「兵士は飯を食います」
将軍たちは黙った。
当然の話なのに意外と考えていない。
「一万人の軍隊は毎日大量の食料を消費します」
アルベルトは黒板に数字を書いた。
「十万人ならさらに十倍です」
「……」
「飢えた軍隊は戦えません」
会議室が静まり返った。
国王が笑う。
「なるほど」
「はい」
「お前らしい答えだ」
アルベルトは肩をすくめた。
前世の歴史知識では常識だった。
多くの戦争は戦場ではなく補給線で決まる。
ナポレオンも。
ドイツ軍も。
兵站を軽視して敗北した。
この世界でも同じはずだった。
その年の冬。
予想は的中する。
隣国が宣戦布告した。
国境要塞に伝令が駆け込む。
鐘が鳴り響く。
王都は騒然となった。
人々は怯える。
商人は商品の値上がりを心配する。
貴族たちは領地防衛を議論する。
しかしアルベルトだけは冷静だった。
執務室で穀物在庫の一覧を見ていた。
エミリアが呆れた顔で尋ねる。
「戦争ですよ?」
「ああ」
「もっと慌てないんですか?」
「慌てても兵糧は増えない」
「それはそうですけど」
「だから先に準備した」
アルベルトは笑った。
王国中に建てた巨大倉庫。
整備した街道。
河川輸送網。
穀物備蓄制度。
すべては飢饉対策のためだった。
だが結果として、それは戦争のための最強の兵站網になっていた。
数日後。
国王から召集命令が届く。
「至急、王都へ来られたし」
アルベルトは手紙を読み終えた。
そして立ち上がる。
エミリアが不安そうに尋ねる。
「今度は何ですか?」
「たぶん」
アルベルトは苦笑した。
「王国軍の兵站責任者だな」
「兵站?」
「軍隊に飯を食わせる仕事だ」
「地味ですね」
「だが一番大事だ」
そして窓の外を見る。
黄金色の麦畑が風に揺れていた。
剣の才能はなかった。
魔法も使えない。
だが食料だけは作れる。
ならば自分の戦場はそこだ。
こうしてアルベルトは、農業改革家から王国最大の兵站官へと立場を変えていく。
そして後に歴史書はこう記すことになる。
「王国を救ったのは名将ではない。麦であった」
だが、その評価を受けるまでには、まだ数多くの困難と陰謀が待ち受けていた。




