第五章 王都の視察団
国王の命令は早かった。
謁見から三日後。
王都から正式な使者が到着した。
「国王陛下の勅命である」
使者は巻物を広げる。
「ヴァルム領に視察団を派遣する」
アルベルトは嫌な予感がした。
「何人ですか?」
「百二十名」
「多いな」
「貴族四十名、官僚三十名、護衛五十名」
「多すぎるな」
「さらに学者が十五名」
「もっと多かった」
エミリアが吹き出しそうになるのを必死に堪えている。
二週間後。
街道の先に長い行列が現れた。
馬車。
騎兵。
従者。
荷車。
まるで小規模な軍隊だった。
村人たちは騒然となる。
「戦争か!?」
「王軍だ!」
「違う!」
ガルドが叫ぶ。
「視察団だ!」
「視察でこんな人数来るのか!?」
「俺も初めて見た!」
領主館の応接室。
アルベルトの前には王国中から集まった貴族たちが座っていた。
彼らの表情は半信半疑である。
「本当に収穫量が二倍になったのか?」
「何か隠しているのではないか?」
「特殊な魔法では?」
質問が飛び交う。
アルベルトは淡々と答えた。
「全部公開します」
「全部?」
「はい」
「秘密はないのか?」
「ありません」
今度は相手が困惑した。
普通なら秘匿する。
利益になる技術だからだ。
だがアルベルトにとって農法は独占するものではなかった。
広まった方が利益になる。
市場が大きくなるからだ。
翌朝。
視察団は畑へ向かった。
三圃式農業の説明。
輪作の説明。
堆肥の説明。
土地整理の説明。
用水路の説明。
学者たちは必死にメモを取っている。
「なるほど……」
「理屈は分かる」
「しかしなぜ今まで誰もやらなかった?」
アルベルトは笑った。
「やる必要がなかったからです」
「必要?」
「皆、貧しいのが当たり前だと思っていた」
その言葉に学者たちは黙り込んだ。
午後。
一人の伯爵が堆肥場の前で顔をしかめた。
「臭い」
「ええ」
「ひどく臭い」
「そうですね」
「本当にこれを畑に?」
「使います」
伯爵は信じられないという顔をした。
「王国貴族が糞の研究をする日が来るとは……」
「収穫量が増えますよ」
「急に魅力的に聞こえるな」
周囲から笑いが起きた。
視察は十日間続いた。
そして最終日。
王都から来た農政官の一人がアルベルトに言った。
「驚きました」
「何がです?」
「技術ではありません」
「違うのか?」
「農民です」
農政官は畑で働く人々を見る。
「皆、表情が明るい」
アルベルトも視線を向けた。
確かにそうだった。
子供たちの顔色が良い。
老人たちも以前より元気だ。
「食べられるようになったからです」
「それだけで人は変わるのですね」
「それだけじゃありません」
アルベルトは答えた。
「未来が見えるようになったんです」
王都へ戻った視察団は大きな報告書を提出した。
結果は衝撃的だった。
王国中の貴族社会が騒ぎになる。
「再現可能だと!?」
「魔法ではないのか!」
「どの領地でもできるだと?」
保守派は反発した。
改革派は飛びついた。
王宮では毎日のように議論が行われる。
そしてついに。
国王が決断する。
王都。
大評議会。
全国の有力貴族が集まる中、国王が宣言した。
「農業改革庁を設立する」
会場がざわつく。
「王国全土に新農法を広める」
さらにざわつく。
そして国王は続けた。
「責任者はアルベルト・フォン・ライゼン」
その瞬間。
会場が爆発した。
「若すぎる!」
「辺境貴族ではないか!」
「前例がない!」
いつもの言葉だった。
アルベルトは少しうんざりした。
この世界の貴族は何かにつけて前例を求める。
だが国王は一喝した。
「前例がないから何だ!」
会場が静まり返る。
「飢饉を止めた前例がある者は他にいるか!」
誰も答えない。
「国を救った者がやる。それだけだ」
反論は消えた。
会議後。
国王はアルベルトを呼び止めた。
「どうだ」
「何がです?」
「嬉しくないのか」
アルベルトは少し考えた。
「正直に言いますか?」
「言え」
「仕事が増えました」
国王は数秒沈黙した。
そして大笑いした。
「はっはっはっ!」
周囲の近衛騎士たちまで笑っている。
「普通は栄誉を喜ぶところだぞ」
「前世から公務員気質なもので」
「だから何だそれは」
国王はまた理解できなかった。
その夜。
アルベルトは執務室で地図を眺めていた。
王国全土の地図である。
ヴァルム領だけなら簡単だった。
だが今度は違う。
王国全体。
人口数百万人。
何千もの村。
何万もの農地。
規模が違う。
エミリアが紅茶を置いた。
「大変そうですね」
「ああ」
「後悔してます?」
アルベルトは窓の外を見る。
かつて飢えていた村。
今は灯りが増えている。
市場も賑わっている。
子供たちの笑い声も聞こえる。
「してない」
そう答えた。
「もう後戻りできないからな」
そして地図の中央を指でなぞる。
王国全体へ。
改革は次の段階へ進もうとしていた。
だがアルベルトはまだ知らない。
農業改革が成功すればするほど、さらに大きな問題が生まれることを。
人口増加。
都市化。
物流不足。
鉄不足。
道路不足。
そして――
王国の外から迫る戦争を。




