第三章 農地改革
実験農場の成功は、ヴァルム領に衝撃を与えた。
村の酒場では毎日のようにその話題が出る。
「あの畑、本当に九俵取れたらしいぞ」
「俺も見た」
「領主様が細工したんじゃねえのか?」
「どうやってだよ」
「知らん」
「じゃあ違うだろ」
農民たちは半信半疑だった。
だが実際に結果を見てしまった以上、完全には否定できない。
そしてアルベルトは次の改革に着手した。
ある日の村会議。
広場に集まった農民たちを前に、アルベルトは地図を広げた。
「次は土地だ」
「土地?」
村長ガルドが眉をひそめる。
「どういうことです?」
アルベルトは棒で地図を指した。
「これは誰の畑だ?」
「私のです」
農民の一人が答える。
「じゃあこれは?」
「それも私です」
「これは?」
「それも」
「これも?」
「それもです」
周囲から笑いが起きた。
アルベルトはため息をつく。
「一人で何か所持ってる?」
「十二か所です」
「遠い所だと?」
「歩いて一時間くらいですかね」
「馬鹿馬鹿しい」
思わず本音が出た。
農民たちがざわつく。
「領主様?」
「移動だけでどれだけ時間を無駄にしてると思う」
地図を見る限り、土地が細切れになりすぎていた。
一枚の畑ではなく、小さな畑があちこちに散らばっている。
中世では珍しくない。
だが効率は最悪だった。
「土地を交換する」
アルベルトが言った。
一瞬で空気が凍る。
「交換?」
「そうだ」
「先祖代々の土地を?」
「そうだ」
今度は怒号が飛んだ。
「冗談じゃねえ!」
「親父から受け継いだ土地だぞ!」
「じいさんの代から耕してきたんだ!」
「勝手に決めるな!」
予想通りだった。
アルベルトは黙って聞いていた。
やがて全員が言い終わるのを待って口を開く。
「先祖は大事だ」
静かに言った。
「だが先祖はお前たちを飢えさせたいと思っているか?」
誰も答えない。
「土地は神聖かもしれない」
アルベルトは続ける。
「だが収穫できなければ意味がない」
反対運動は数か月続いた。
農民たちは頑固だった。
しかしアルベルトも引かなかった。
まず測量隊を組織した。
縄と杭を持ち、全農地を測る。
「なんだそれは?」
「面積を調べている」
「そんなことして何になる?」
「公平にするためだ」
農民たちは不満そうだった。
だが作業が進むにつれ変化が起きた。
実は土地の広さがかなり不公平だったのである。
「俺の土地、思ったより狭いぞ」
「お前は広いじゃねえか」
「ずるいぞ!」
これまで曖昧だった境界が明確になった。
不満は増えたが、公平性も増した。
一年後。
土地交換が始まった。
その結果は、驚くべきものだった。
以前は十二か所に分散していた畑が、三か所に集約された。
十五か所に散らばっていた農地も、わずか四か所にまとまった。
移動時間が激減した。
「楽になったな……」
農民の一人が呟く。
「昼前には全部回れる」
「前は半日歩いてたのにな」
少しずつ評価が変わり始めた。
アルベルトはそこで止まらなかった。
次は水だった。
「用水路を作る」
村人たちは顔を見合わせた。
「川から引くんですか?」
ガルドが尋ねる。
「そうだ」
「そんな大工事できるんですか?」
「やる」
「金がかかります」
「かける」
「失敗したら?」
「俺が泣く」
周囲から笑いが起きた。
最近は以前ほど警戒されなくなっていた。
工事は過酷だった。
男たちはスコップで土を掘る。
女たちは土を運ぶ。
若者たちは石を積む。
アルベルトも作業服姿で現場に立った。
「領主様!」
「そこ曲がってるぞ!」
「え?」
「水は正直なんだ」
アルベルトは溝を指差した。
「少しでも傾きがおかしいと流れなくなる」
「そんな細かいことまで分かるんですか?」
「前世――いや、本で読んだ」
危うく余計なことを言うところだった。
二年目の夏。
大干ばつが発生した。
近隣の領地では作物が枯れ始める。
しかしヴァルム領は違った。
用水路から水が流れていた。
農民たちは驚愕した。
「助かった……」
「畑が生きてるぞ!」
「水だ!」
子供たちまで歓声を上げる。
その年、周辺領地が凶作に苦しむ中でヴァルム領だけが平年並みの収穫を記録した。
そして三年後。
結果は誰の目にも明らかだった。
領主館の会議室。
アルベルトは帳簿を広げる。
ガルドもセバスチャンも目を見開いていた。
「去年の収穫量は?」
「二倍近くです」
「税収は?」
「ほぼ二倍です」
「人口は?」
「増えています」
エミリアが嬉しそうに言った。
「最近は移住者まで来ていますよ」
アルベルトは窓の外を見た。
市場には人が溢れている。
以前は空き地だった場所に工房が建っていた。
鍛冶屋。
織物職人。
木工職人。
新しい仕事が生まれていた。
ガルドがしみじみ呟く。
「不思議なものですな」
「何がだ?」
「食べ物が増えただけで世界が変わる」
アルベルトは笑った。
「逆だ」
「え?」
「食べ物が足りなかったから何もできなかったんだ」
腹を満たすだけで精一杯。
そんな社会では発展しようがない。
余剰が生まれて初めて人は別の仕事を始められる。
それが文明の始まりだった。
そしてその報告書は、父のもとへ届いた。
領主館の執務室。
ライゼン辺境伯はしばらく無言で紙をめくっていた。
「……馬鹿な」
数字を見直す。
「同じ土地だぞ」
さらに呟く。
「税収が倍だと?」
顔を上げ、息子を見る。
そこにはかつての“役立たずの三男”はもういない。
「お前は……何をした」
アルベルトは静かに答える。
「やったことは単純です」
「単純だと?」
父は鼻で笑いかけ――そして笑えなかった。
窓の外には、もはや“辺境”とは呼べない光景が広がっている。
父は低く呟く。
「……この領地は、もう辺境ではないな」
少し間を置き、続ける。
「いや……違うな」
「お前が“辺境”という概念を壊したのか」
その言葉は、もはや叱責ではなかった。
理解だった。




