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2-18 ルーナの決壊

魔女は、空になった木のカップを眺めながら、楽しそうに目を細めていた。


「……本当に面白い子ねぇ」


観察されていたのは知っていた。

あの目は、見慣れている。


『面白い子』『どこまで耐える』『限界はどこだ』


地下3階で、何度も聞いた言葉。


バルトがソファから立ち上がり、一歩だけ前へ出る。


「若、その人族のおなごから、少し距離をお取りください」


バルトの声が、ふと昔の地下の空気を思い出させた。

あの頃も、誰かが誰かを、私から遠ざけようとしていた。


「じぃ?」


怪訝そうにラオスが顔を上げる。


「竜米を食べ、毒草茶を何事もなく飲む人族など聞いたことがありません。

何が起こるか分かりませぬ」


「だからって……『その人族のおなご』なんて言い方はどうかと思うよ」


「今は呼び方の話をしているのではございません」


「でも、番は――」


「若!」


似ている。


魔女の瞳の奥も、バルトの距離の取り方も、ラオスの差し出す優しさも。


ふとした瞬間の気配が、すべて「あの場所」と重なって見えた。

観察者。看守。奴隷たち。

そして、耳の奥で誰かが吐き捨てる。

『その子に近づくな』


胸の奥で、ぐずりと痛みがでる。

地下三階の、あの冷たい視線。

歪んだ支配の気配。

脳裏に蘇るフラッシュバックを、ルーナは必死に否定する。


(……違う)


魔女の目は、私を縛るための支配じゃない。

バルトさんは、私を追い詰める看守じゃない。

ラオスさんの手は、生きているし熱を持っている。


ここは地下じゃない。

あそこは、もう終わった場所だ。


ルーナは震える指先を太ももに押し当て、小さく「正」の字を書く。


胸の奥では、小さい願いが声を出す。


終わったんだ。

あの地獄は、終わってるんだ……

お母さんを、綺麗な花の咲く場所で眠らせてあげるんだ。


その願いを遮るように、周囲の空気は重くなる。


「若、番の呪縛です!本物ではありません!誤認の悲劇を知ってるからこそ、

若は、私や竜王様の制止を振り切り飛び出したのではないのか!!」


チラッと私の方を見た。


「これだから人族と関わりあいたくないのだ」


バルトの吐き捨てるような言葉。


六百年。

積み重ねた経験が、一つとして当てはまらない。

若は番に囚われ、

ゼンは図書館へ消え、

魔女は笑い、

人族の少女は竜米を食べ、毒茶を飲む。


理解できない。

それでも、いつものように諭すつもりだった。

いつものように若を止めるつもりだった。


「いい加減にしなされ!!」


だが、口から出たのは、ただの怒鳴り声。


(このおじいちゃんは敵じゃない

でも、味方でもない)


正の字を書きながら、静かに待つ。


「じぃ!」


(ラオスさんの声……この人は優しい。

優しいからならなおさら駄目なんだ!

私と関わると傷つく。もう見たくない。)


「今は番を――」


「そのおなごのせいでございます!」


『お前のせいで』

やっぱり………いつもと同じ言葉


「じぃ、少し頭を冷やせ!……私も冷やすから

少しお互い落ち着こう」


そう言って大きく深呼吸し、

ラオスはルーナへ振り向いた。


その表情から怒りなどなく、心配の色があった。


「番、大丈夫?」


「だ、だっだめです」


「どうしたの番?……驚いたのかな?怖かったね」


フルフル


首を振りながら距離を取ろうとするが、ラオスは近づいてくる。


「若!まだ話は終わっておりませぬ」


「バルト、今はお互いに冷静になろう……鎮静」


ラオスの身体から淡い光が走る。

バルトは短く何かを唱え、その光が届く前に霧散させた。


「ふ~んバルトさんよっぽど余裕ないんだね~」

魔女の、のんびりした声と

自分を射殺そうとするバルトの憎悪の目。


(見たくない!あの目はイヤだ。

お母さんも……違う、早くお母さんを取り戻さなきゃ)


「じぃ……好きにしろ。

遮断まで使い拒否するのは理性的な行動なのかい?

自分が嫌ってる人族と同じではないのかい?」


「この……ワシが下等種族と同じですと!!」


(ダメだ、私がここにいると、ラオスさんが結局傷つく)


「ダメ……おじいちゃん悪くないの」


小さい声だが、やけにハッキリとバルトの耳に届いた。一瞬、バルトは何を言われたのか理解できなかった。


『おじいちゃんは悪くないの』


このワシが、

竜族のために剣を振り、

若き竜を守り、

未来を支えてきているこのワシを、よりにもよって、

守る価値などないと思っていた人族のおなごに!


屈辱


バルトの纏う空気が変わる。

漏れ出た闘気だけで、床が軋む。


まずい!!本気っ!

ラオスは、そう悟った瞬間――

ルーナを守るように、その身体を抱き寄せ庇った。


ドン!!!


バルトの重い一撃がラオスに直撃する。

衝撃が、ルーナの身体にも伝わる。


「…い…つぅ」


恐る恐る目を上げると、

口元から一筋の血を流しながらも、

優しい目でルーナを見てるラオス。

ルーナは、その瞳の中に『お前のせいだ』という色を必死に探す。

だが、ない。どこにもない。


(なんで?…なんで?どおして?)


「ごめんね、今じぃ――」


キーーーーン


世界が止まった。

血の匂い。

静かに光を失っていく母。

最後に動いた唇。


『 ご め ん ね 』


私に首輪が無くても失うの?

やっぱり優しい人は死んじゃうんだ。


「――っ」


ゴゴゴゴゴ……


空間そのものが軋んだ。

魔女の瞳が大きく見開かれる。

雲のような白い靄が床一面を覆い、

机も椅子も景色ごと飲み込まれていく。


闇。


ただひたすら黒い空間の中へ、

あまりにも巨大な門が、ゆっくりと姿を現した。


見上げても終わりが見えない。

古びた黒鉄の門には、禍々しい紋様が刻まれ、

存在するだけで世界の空気が変わる。


地獄の門。


「……はぁ?」


さすがの魔女も、間の抜けた声を漏らした。


「チッ……いい加減、驚きの大安売りは終わりにしたいんだけどね」


ルーナの次元への干渉で一度。

ゼンの図書館で二度。

そして今、自分の完全なる領域侵入で三度目。


数千年を生きてなお、自分の常識が一日で三度も覆されるなど、未経験。

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