2-11 万象の図書館
バルトは扉を開け、一歩、その地へと足を踏み入れた。
乾いた風が頬を撫でる。
鼻をくすぐるのは、草木ではなく乾ききった土の匂い。
間違えた!
見渡す限り、茶色い大地。
木は一本もない。
岩一つない。
建物などの影も形もなく、
ただ硬く乾いた大地だけが地平線の遥か彼方まで続いている。
万象の図書館などどこにもない。
『扉があったら、開けてね』魔女のヒント……が頭をよぎり、
騙されたのか!
だが刹那、バルトは自らを恥じた。
魔女が、欺くはずがない!
固まったバルトの耳に
「うわぁぁ! ここが万象の図書館かぁ!」
ゼンの声が届く。
「すげぇけどでも、なんか俺らの図書館とあんま変わらんくね?
まぁデカいけどさ~」
ゼンは、何もない空間ではなく、確かに"何か"を見上げていた。
「ゼン、お主……何を――」
「あっ!あれが入口か!師範、行こうぜぇ!」
何もない空間へ向かってゼンが指を指した。
「――っ!?」
白亜の壁。
天を衝く尖塔。
幾重にも連なる回廊。
神殿の威厳と、図書館の静寂を併せ持つ巨大な建物。
「な……」
そんなはずはない。
今の今まで――
そこには――
何も――
「っ……」
思考が止まる。
足元が抜け落ちるような錯覚。
踏みしめているはずの地面が信じられない。
乾いた土の匂い。
吹き抜けた風。
胸をよぎった『騙された』という思い。
そのすべてが刹那で崩れ去る。
聞き慣れた声が耳に届く。
ゆっくりと顔を向けると、
ゼンが不思議そうにこちらを見ていた。
(師範どうしたんだろ?
あ~あれか!少しがっかりしたのか!
万象の図書館なんて大層な名前で、みんな『伝説』とかいうからなっ
自分たちの図書館をそのまま大きくしたような感じだしなぁ)
「なぁ~師範、行こうぜ~」
「あっ…あぁ…そうじゃな」
バルトは何とか声をだし一緒に進んだ。
重厚な扉をくぐると、
館内は驚くほど静かだった。
床は黒曜石で磨きかけられ、壁には高く積み上げられた本棚。
どこまでも続く書架。紙の匂い。
「ゼン……待て、走るな……危険じゃ……」
いつの間にか、前を小走りで走ってるゼン。
バルトの声は自分でも驚くほど遠い。
足音と自分の呼吸しか聞こえない。
だが、意識を目の前へ向けた瞬間──
突然、視界が開けた。
アーチ状にくり抜かれた入り口が現れ、そのまま通り抜ける。
重厚なカウンター、その上には「受付」と書かれたプレート。
黒い制服を着た人物が、本から目を離して立ち上がった。
「走るな……危険じゃ…ろ…」
「こんにちは!」
バルトの声が聞こえていないかのように、ゼンは受付へ駆け寄る。
「ここってどんな本でも見れるの?」
「はい、ここは図書館です。本をご覧になる場所ですから」
「やった!」
ゼンが振り返りながら
「師匠!本見れるって!」
ゼンの声でバルトの意識が引き戻される。
受付。
人影。
――いつから
さっきまで誰も――
「申し訳ございません。
そちらのお連れ様には、当館へ入館する資格がございません」
「え?なんで?さっき誰でも見れるって」
「いいえ、誰でもとは申し上げておりません。
どのような本でもご覧いただけるのは、資格を持つお客様のみです」
「えー!でもここまで来たんだから資格あるよね?」
「いいえ、お客様、お連れ様をご覧ください」
「ん?」
「よく、ご覧ください」
ゼンは振り返り、首を傾げる異変に気付く
「……あれ?師範?」
さらに一歩、師範に近づき、顔から笑顔が消えた。
「顔真っ青じゃん」
違和感が……ゼンは目をこする。
「なんか……薄い?」
「師範!」
慌ててその手を掴んだ瞬間
バルトの姿がはっきりと現れた。
「大丈夫じゃ……」
「いや、大丈夫じゃないって!」
ゼンは受付へ向き直る。
「すいません!師範、具合悪いみたいなんだけど、
師範はどぉうしても見たい本あるんだ。すぐ帰るからいい?」
「申し訳ございません、入館は認められません」
「なんでだよ!」つい大きい声が
「お静かに」
その一言だった。
バルトの世界から音が消え
竜力が消え
自分が誰だったのか
何をしに来たのか――
『ほら、バルト。高い高いだぞ。』
幼い日の父の笑顔
遠くへ流れていく
懐かしい声
「ご、ごめんなさい」
ゼンの声で固まったバルトの視線が動いた。
ゼンは慌てて口を押さえ、照れ笑いを浮かべる。
「そうだよな……図書館だもんな静かにしないと怒られるよな
俺、あんまり図書館行かないけど」
「でも困ったなぁ、俺、師範が見たい本わかんねぇし」
ゼンの視線が、師範と受付の間を数回往復する。
「わかった!」とゼンは受付へ向き直る。
「本借りるから貸出カード作ってよ」
「……借りる?」
「うん!」
「借りて帰る!」
「どちらの本を?」
「え?」
ゼンは辺りを見回す。
そして受付の上に積まれていた数冊の本を見つけた。
一番上の本を指差す。
「それ!」
「こちらですか?」
「うん!」
「こちらがどのような本か、ご存じで?」
「知らない。」
あっさり答える。
「師範具合悪そうだし、でも俺読みたい本イマイチ知らないし
伝説?だからここ来るの大変なんでしょ?」
そしてニカっと笑う。
「だったら借りたら返しに来ないとダメじゃん
しかも、返し忘れたらお姉さんから、督促来そうだし
嫌でもまたこれそうだよね」
静寂が落ちた。
女性は、ゼンを見つめる。
瞬きをせず、じっと見つめ続け
「……面白い方ですね。久々ですよ」
そう呟くように口元に軽く手を添えて笑った。
「承知いたしました。貸出カードをお作りします」
一枚の紙を差し出す。
「お名前をお願いいたします。」
「うん。ありがとう」
ゼンは迷いなくペンを取り、
さらさらと書く。
――ゼン。
「ありがとうございます」
女性はその文字を見て、小さく首を横に振った。
「いいえ、お客様」
「真名をお書きください。通称名ではお作りできません」
「あっ、そっか」
(そうだよなぁ、役所でゼンって書いても怒られるもんな)
ゼンは、紙をくるりと回し、もう一度ペンを持つ。
「だめじゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
館内に叫びが響いた。
ゼンが肩を跳ねさせる。
「うわっ!師範!?びっくりさせんなよ」
「真名を書いてはならん」
「ん??もう書いちゃった。」
「ゼン…なぜじゃ……」
バルトは、瞬時に後悔の沼に足を取られた。
なんて過ちを……ワシはワシは……
「貸出のお手続きは完了いたしました」
女性は一礼する。
「返却期限は七日後でございます。ご利用ありがとうございました」
景色が揺らぐ。
次の瞬間。
「あれ?」
聞き慣れた声が耳に届いた。
「早かったね。」
魔女だった。
バルトの顔を見るなり、目を細める。
「あーやっぱり入れなかったかぁ」
バルトには目に前の光景や声そして
自分の力強い竜力に混乱した。
「ん~入れなかったけど、借りれた!
師範が具合悪そうだったから、とりあえず借りて帰ってきた!」
ゼンは借りた本を掲げる。
「……え?」
あの魔女が固まる。
「っていうか」ゼンは首を傾げた。
「なんで図書館で本借りるだけで、そんな死にそうな顔になるん?」




