2-6 盤面は動き出す
魔女との約束が決まり、歯車が静かに回り始めたころ、
元闘技場の跡地には、一つの集団が立ち尽くしていた。
「頭……あれ、一体なんだったんですか?」
「あん? 知らねぇよ」
「知らねぇって……俺たち、これからどうするんですか?」
「生き残りは何人だ?」
「三十人ちょいですね」
「なら、転がってる死体の甲冑を剥げ。剣も忘れんな」
「はい。……でも頭、本当にあれは何だったんですか?」
カイは部下をひと睨みすると、心の中で呟く。
(旦那……これもあんたの計画通りなんか? ってか、旦那どこへ転移したんだ?)
「アハハハハッ」
「え?……おかしら?……」
(結局、俺様もただの駒ってことか。
何が『ルーナを見てろ』だよ。
『知りたいことが――特等席で見られる』って、
旦那の言葉を信じて…チョロすぎだろ)
「チッ……イラつく。これじゃフラれた男みてぇじゃねぇか」
「あの~頭?」
「なんでもねぇよ。あの竜人御一行様とルーナちゃん。あんなもん見せられりゃ、頭もバグるわな」
「ですよねぇ……頭。俺、竜人様たちをあんな間近で、しかもあんな数見たの初めてですよ」
「よし、闇ギルドに一旦逃げ込むぞ。
どのみち旦那と連絡……って、俺、取れるのか?
……まぁいっか。なんとかなるか!
腰抜かしてるやつには鎮静術かけとけよ~」
そう言いながら、爆風の影響で倒れた木によりかかり
部下たちが死体から装備を剥ぎ取るのを眺めていると、
一人が剣を掲げながら駆け寄ってきた。
「頭、これー!」
「おっ? なかなか良い剣だね。かぁーいい宝石使ってんな。
よし、生き残ったんだ。オマエら、酒飲みに行くぞ!」
(……まぁいい。旦那、次に会ったら全部吐かせてやる)
失恋したような胸の痛みを無視し、
カイは動き出した。
*****
Unknown:誰だ?誰が理を無視した。
Unknown:有り得ない。
Unknown:有ってはならない。
Unknown:崩れる。理が崩れる。
Unknown:いや――理は崩れない!
Unknown:崩れるものではない!!
Unknown:崩れてはいけない!!!
Unknown:誰だ。誰だ、誰だ、誰だ。
*****
外からの柔らかな朝日は、分厚いカーテンに阻まれている。
静寂に満ちた朝、扉の向こうから控えめなノックの音が響いた。
「旦那様、おはようございます。入室の許可を頂けますか?」
返答の代わりに、銀の小鈴が――
チリン
澄んだ音を鳴らした。
鈴の音を聞くと、執事は静かに扉を開け、
部屋の入り口から一歩も踏み込まず、その場で恭しく一礼する。
「旦那様、おはようございます」
短く挨拶を終えると、執事は無駄のない手つきで衣服を整える。
ドラガンは無言のまま隣の洗面所へ向かい、
戻る頃には選び抜かれたワイシャツとズボンが整えられていた。
寝室を出ると、白と金、そして濃紺を基調に整えられた私室のサロン。
ソファへ深く腰を下ろす頃には、香り高いコーヒーが静かに置かれていた。
それを軽く口に含むのを見計らい、執事は手元の手帳をめくりながら静かに告げた。
「本日は港湾管理官との昼食会合。
その後、午後三時より商会長との会談でございます。
旦那様の予定は、いつも通り侍女長へ申し伝えておきます」
執事が事務的にそう告げた直後、ドラガンはコーヒーカップを静かにソーサーへ戻した。
昨日の出来事を思い返す様子はない。
まるで、世界が予定通りに動いているかのようだった。
「昨日言った通り、計画の一部が変わった。
投資場がひとつ潰れたからな。
修正じゃない。あの計画は一旦破棄だ。
別のプランでいく」
ドラガンはカップからゆっくりと視線を上げ、執事を見る。
「不安か?」
「いえ、旦那様のお言葉です。問題ございません」
「ああ、問題はない。
それよりも、新しい道具が手に入りそうだ」
「新しい道具……ですか?」
「あれはなかなかないぞ」
ドラガンが目を細める。
執事はその表情を静かに見つめる。
──旦那様は喜んでおられる。
それでいい。
自分は旦那様について行くだけだ。
執事に揺らぎはなかった。
「何か、ご注意点はございますか」
執事の問いに、ドラガンは手元の新聞を指先でトントンと叩く。
「あの投資場にいた人員は……あそこへ移しておけ」
ドラガンは少し手招きし、執事の耳元で場所を告げた。
執事は小さく頷き、主人の言葉を胸に落とした。
「アレについては、徹底的に調べることと、
当面はアレの解析研究のみで良いと伝えろ」
「承知いたしました」
「疑問があれば、記録をお前も見ておけ。それと――」
そこで、部屋の隅の置時計が小さく時を告げた。
やがて、遠くの廊下から軽やかな声が微かに聞こえる。
ドラガンは立ち上がる。
「カイにも連絡を取っておけ。拗ねてたら……放置しておけ。
会社にワイン商が来たら……いつも通りで構わん。では、行くか」
静まり返った廊下を進み、食堂へ入る。
食堂に入ると、「おはようございます旦那様」と揃った声が響く。
ドラガンは主の席へ向かった。
その手前で一度足を止め、
「おはよう、私の可愛い奥さん」
妻のつむじへ軽く口づけを落としてから、悠然と席についた。
ゆっくりと朝食を楽しんでいると、
「旦那様、行きたくはないのですが、
クラスが心配ですので会いに行ってまいります。
ただ……やはり憂鬱ですわ」
言いながら悲しげに眉を下げる。
ドラガンは少しだけ目元を緩め、手を軽く上げた。
背後に控えていた執事が即座に歩み寄る。
「気晴らしだ。宝石商を呼んでおこう。
君が好きなものを、好きなだけ選びなさい」
穏やかな朝のひとときが続く、そう思われたが、
控えめだが、どこか差し迫ったノックの音が食堂の扉を叩いた。
続いて入室したのは、王太子の側近である文官だ。
彼はドラガンに向かって深々と頭を下げた。
「公爵閣下、急ぎ王太子殿下より緊急の召集でございます。
処刑された護衛が報告した件で確認があるため、
本日登城せよとのことでございます」
「……随分と急なことだな」
ドラガンがわずかに眉をひそめたが、
その隣で、アリアがカチャリと銀のフォークを皿に叩きつけた。
「……どうして我が夫が行かなければならないの。
護衛の戯言を重く受け止めるなら、それはそちらの話。
我が夫は、公爵家の当主として、今朝は私と過ごす予定なのよ」
アリアの声には、隠そうともしない怒りが滲んでいた。
彼女にとって、王太子は弟である。
その呼び出しよりも、
愛しい夫と過ごす朝の時間が奪われることの方が、
よほど許しがたい問題だった。
「文官を困らせてはいけないよ」
ドラガンはアリアを窘めると、
即座に執事へ目配せをした。
「今から支度を整え、そのまま登城する」と告げると、
文官は安堵の表情を見せた。
ドラガンが踵を返そうとすると、
アリアが「あなた……」と甘えるように裾を引く。
「すぐに戻るよ。これも私の仕事だ」
彼は妻の頬を軽く撫でた。
だが、扉へ向き直った瞬間、
その瞳から温もりは消えていた。
ドラガンは国家という巨大な盤面へ、駒を進めに行く。
申し訳ございません。話の順番を間違えました。
こちらが正しい2-6です。




