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1-20愛は未然に

地上には、健やかな昼の光が降り注いでいる頃。


ここは時間の概念すら曖昧な、どこまでも薄暗い地下。

「――っ、……」

ラオスは、四日ぶりに己の身体が引きずられる感覚に、微かに息を吐いた。


今、ラオスを繋ぐ重い鎖を握っているのは、無機質な石のゴーレム。


ズズ……ズズ……。

石の擦れる音と鎖が床を這う音だけが、

観客のいない広大な地下闘技場に虚しく反響する。


闘技場の中央まで来たラオスは、膝をついたままぐったりと動かない。


そして、闘技場の外側――1段下から見上げその様子を見つめるルーナ。

彼女の周囲にも、無言のゴーレムが立っていた。


ドラガンがルーナの耳元で囁いた。


「さあ、ルーナ。闘技場に上がれ」


「…………」


昨日、喉が裂けるほど泣き叫んだ代償は、「うるさい」と看守に打たれた背中の激痛と泣き腫らした目。


ドラガンは愉しげに笑う。

「簡単なことだ。“愛してる”と、

お前があの竜人に言うだけだ」


ルーナは激しい嫌悪感を剥き出しにして、その場に踏み止まろうとした。

だが、彼女を拘束するゴーレムが容赦なく背中を押し込んでくる。

結局は闘技場へと足を踏み出すしかなかった。


「いいね、ルーナ。愛してるだ。母はここにいるからな」


そう言って自分の胸をトントンと触った。

ドラガンは、そのまま満足げに手を上げて2、3回、手を回すと踵を返して闘技場から離れて行った。


ルーナは、遠ざかるその背中を見つめながら


(お母さん……)


ラオスは混濁の闇に沈み、強くなる不快な笛の音と術式に抗い、虫を払うように頭を振りながらも、ゆっくりと顔を上げた。


その濁った琥珀色の瞳が、一人の少女を捉える。

それでも抵抗しようとする度、激しく鎖が鳴り響いた。

だが次の瞬間、真っ直ぐ自分を見つめるルーナの瞳と、完全に視線がぶつかった。


カチリ


濁った琥珀が、鮮烈な金へと跳ね上がる。


瞳孔が縦に裂け、脳裏に刻まれた“あの熱”が一気に噴き上がる。


鎖もゴーレムも、まるで乾いた粘土細工のように簡単に砕け散った。


ラオスは一瞬でルーナの目前へと詰め寄る。だが、伸ばした手は激しく震えていた。


――壊したくない。


その本能だけが、獣の力を必死に押しとどめていた。

この愛しい(つがい)を壊してしまわぬように。

自分を真っ直ぐ見てくれる番。

恐怖心などない瞳。

早く番の声が聞きたい。

愛しい(つがい)よ。早く……お前の声を私に聞かせておくれ。


ドラガン達は、石畳から距離を取り、記録する者、興奮する者、恐怖を押し殺す者が入り混じっている。


ルーナは、ラオスのゆっくりと近付いてくる手を見ながらドラガンから言えと言われた

「愛してる」の言葉が引っかかっていた。


ラオスの指先がルーナの頬にふれた。

ビクッとしたが、それよりもルーナの心の中に流れ込んだのは


温かい……


温かい指先と同時に

7歳まで毎日父や母に言われていた言葉を思い出す。


『もう痛くないぞー痛い痛いは父さんが貰うからなー愛してるぞルーナ』


『ルーナ愛してるわ、良い夢をおやすみ』


『『ルーナ、愛してるよ(わ)私達の宝物』』


(つがい)よ…なぜ泣く?

何が悲しい?誰が泣かせてる?」


そうなんだ。

この言葉は駄目だ。

でも言わないと母が戻らない。

言えば何かが壊れて終わるような。


ラオスの指先がルーナの涙を拭う

優しく優しく

温かいな……こんなに温かいのは何故なんだろう


(つがい)よ…お願いだ。

誰が泣かせてる?私に教えてくれ」


「………」


ルーナは答える代わりに首を横に振るだけ


「泣かないでおくれ。(つがい)の涙は苦しい」


何年ぶりだろう、殴る手ではなく、

こんなに優しく触れられるのは、

こんな風に温かく見られるのは。


あの日々、周囲から向けられ続けた──憎しみ、嫉妬、嫌悪、恐怖、侮蔑、そして無関心。


でも、この竜人さんは全部違う。

ただ、温かい。


「ルーナ。早く言うんだ」

その言葉がルーナの耳に届いた瞬間身体が硬直する


「あの人間の男が泣かせてるのか?」

「……」横に首を振るだけ

泣いてるのは、温かいから

そして、多分この竜人さんは苦しんでる。


(つがい)よ。ここは寒い。もっと温かいところに行こう」


ラオスはそっとルーナを抱きしめ……

その時、遥か上空から、高エネルギーが1点集中で闘技場に向かって放出された。


ラオスはとっさにルーナを抱え込み、ドラガンは、瞬時に自らの身を護る虹の結界を展開した。


ものすごい勢いで地上の建物を吹き飛ばし、地下2階の全体結界まで到達しようとしたが

ギリギリ2枚分の結界が残った。


「わかーーーーーー!!!!!」


上空から降ってきた声


「もう一度行くぞ! ゼン、お前たちは強風術であの忌々しいミラヴォスの粉末を吹き飛ばし、聖域展開しろ。そのあと術者を滅しろ! 守られているなら笛だけでも破壊しろ」


「師匠〜マジ? もう1回ぶっぱなすなんて」

「「「はい!」」」


大龍術式:【破結界断絶】

大龍術式:【破障金剛】


ふたたび、凄まじい高エネルギーが一点集中し、闘技場へと降り注ぐ。


「わか!今お助けいたしますぞ」


ルーナには衝撃が来なかったが、ラオスの熱量が一気に高くなっていた。


「私の番。ここは危険だ」

ラオスはルーナを抱えたまま浮遊していた。


浮遊の感覚に、ルーナは七歳の時に父にしてもらった肩車を思い出す。

肩車とは違う。

けれど、目線はいつもより高く

何より彼の手が、自分を優しく、しっかりと守ってくれているのがわかった。


また、知らず知らずのうちに涙が溢れてくる。

もう、感情の蓋なんて機能していない。


その直上、再び大龍術式が着弾する。


闘技場だったモノが粉々に飛び散り、瓦礫や破片がラオスとルーナの周りにガンガンと音を立てて叩きつけるが、それらもやがて鳴りを潜めた。


ドラガンは部下たちを咄嗟に浮遊させ、さらに自制術で強制的に制御しながら、あの場所から鮮やかに脱出していた。


ラオスは瓦礫の山──かつて闘技場だった場所へ、ゆっくりと降り立つ。


彼はルーナをそっと立たせると、愛おしげに頭にキスをし囁いた。


「私の番よ、心配しないで。敵は全員排除する。そうしたら、温かい場所へ行こう」


ルーナを抱きしめなおしたラオスは、


「……どっちの虫から排除してやろうか」


頭上から聞こえる低く、けれど全体に響き渡るような威圧的な声。


「空中にいる連中からか。それとも……先ほどから耳障りな声で、私の番を不安にさせる地上の方か」


だが―――


「わかーーー!もうしばらく、もうしばらく耐えてくだされ」


「師範、ミラヴォスの粉末は吹き飛ばしました」


「こちらも術者と笛を同時破壊」


その言葉の直後、ラオスが苦しみ始めた。


腕の力はまだ柔らかく、本当に優しくふれているが、何かに抵抗している。


「ルーナ!!!言え!!母を見捨てるのか!!お前は母を!」


「あっ、お母さん……!」


「早くいえ!! まだだ、まだ瞳は金色だ!」


「ルーナ!!いえ!!!」


ドラガンの、余裕の消え失せた絶叫が耳を刺す。

7歳の頃から8年間、ずっと自分を支配し、怯えさせてきた男の、初めて聞く金切り声。


「いえ!」


うるさい。


いつだって余裕たっぷりに私を道具扱いしていた男が、初めて取り乱している。


「さっさと言わんか!」


うるさい。


脳裏に蘇る、粉々になった母の遺骨。

ドラガンの手元にある革袋。

言わなきゃいけない。

言わなければ、本当にお母さんが消されてしまう。


「言え!父も母も見捨てるのか!早く!」


うるさい。


散々自分勝手に私を苦しめ、両親を汚したお前が、今になってみっともなく「言え」と命じている。

その姿を見て、ルーナの心に冷たい火が灯った。


(……この男の、こんな取り乱した声なんて初めて聞いた)


ドロリとした悍ましい執着が、体の奥底から突き上げてくる。


駄目だ。


この温かい竜人さんの前で、あいつの汚らわしい命令なんかに屈してたまるか。


生き延びるためだけに、命令に従ってきた。母を白い花の咲く場所で眠らせるためだけに、今日まで息を繋いできたけれど。


「……言うわけないだろう!!」


激しい拒絶の果てに、ルーナの脳裏で何かがパチンと弾けた。


(待ってて、お母さん。必ず、必ず私の手で取り戻すから)


でも今は、こいつの思い通りになんてなってやるもんか。


ルーナは「愛してる」の代わりに、溢れそうな想いを込めて微笑んだ。


「ありがとう……ラオスさん」


もう大丈夫だから。


そう伝えるように、トンと軽くラオスの胸を押す。


この腕の中で、嘘なんて吐きたくない。

大切な思い出まで、汚されてたまるか。


それが、ルーナが掴み取った、(正解)だった。





お読み頂きありがとうございました。

もう少しで、第1章が終わる予定です。


宜しければ、モチベーション維持の為、反応を頂けると嬉しいです。

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