1-2檻の中の正の字②
いつもと同じ時間が流れていく──ルーナは静かに頭の中で数字を数えていた。
「……なんで……平気でいられ…るの…? こ、怖くないの……?」
不意に、か細い声が耳に触れた。
ルーナはゆっくりと、声のした方へ視線を向ける。
そして心の中で、問いかけをなぞる。
なんで平気でいられる。
平気に見えるのか。
ルーナは目線を少年に向ける。
13〜15歳ほどの少年だった。
(……新人か)
胸の奥で、短く息が沈む。
この子も、寄りかかる場所を探しているのだろう。
温もりや、守ってくれる誰か。
泣ける場所でもいい。
求める理由は理解できる。
ベンチの端っこに小さく縮こまって、男の子はこちらをちらちら見ている。
髪が短く、目がやけに大きいのが印象的だ。
私に声をかけるなんて、不思議な子だ。
……いや、まだ何も知らないだけの少年か。
「…………」
ルーナは何も言わず、ほんのわずかに体をずらした。
少年とは反対側へ。
距離を取るというより、ドラガンに付け込まれないための反射的な動き。
その動きを見た少年は
「あ、ごめん…なさい…」
少年がしょんぼりと声を落とし、
ルーナはそっと視線を床に落とした。
拒絶したが。
本当は拒絶したいわけではない。
──関われば、この少年が傷つく。
問いに答え、そこから親しくなったとしても、
仮に親しくならなくても私と話したとドラガンが知ったら、
「ルーナのせいで」と言いながら少年が殴られる。
そして少年は、必ず私を憎む。
あの目は、見たくない。
だから、何も言わない。
言えない。
少年はそれ以上話しかけてこなかった。
少しすると、廊下側の空気が変化した。
ルーナは数字から離れ、違う事に頭を働かせ整理を始める。
生き延びるために
今夜の興行のメインは何か。
主役は自分か他の子なのか。
なるべく殴られないように。
関わらなくても済むように。
「いつになったら出れるのかな・・・」少年の独り言。
(逃げることはあきらめた方がいい)
(ただ、生き延びる事は諦めないで)
ルーナは心の中で返答をする。
今までにも、逃げようとした奴隷は何人かいた。
ルーナが覚えている限り、最初は彼女が八歳の頃だ。
足の速い男で、腕っぷしもあった。
その男は隙を見つけ、走った。
1階までたどり着き、出口まであと少し──そこで捕まった。
ドラガンは抑揚のない平坦な声で言った。
「惜しかったよな。あと少しだったのに。」
翌日、房の奴隷達が1箇所に集められた。
例の男は皆の前に引きずられてきたが、
すでにボロボロの上、指は三本、自慢の足は両方とも、あり得ない方向に曲げられていた。
治療など当然されておらず顔色は真っ青で、暑くもないのに大量の汗が噴き出し、声にならないうめきが漏れ、体はガタガタ震えていた。
更にその場で、舌の一部を切られ、さらに爪を剥がされた。
見ていた奴隷が吐けば、吐いたことを理由に殴られる。
嗚咽が出れば「うるさい」と殴られ、
目を逸らせば鞭が飛ぶ。
へたり込めば吊るされる。
ドラガンは笑みを浮かべ、奴隷たちを見渡しながら更に言った。
「逃げたいと思う気持ちは分かる」
その声は、いつもと変わらず平坦だった。
後になって知った。
隙を見せ、脱走を“仕向けていた”のはドラガン本人だった。
──逃げたらこうなるぞ。
──逃げられると思うな。
──逃がすはずがない。
鉄の首輪より重い、心を縛る言葉だった。
まるで『希望なんて捨てろ』と言わんばかりに。
8歳のルーナには、あまりにも衝撃的な光景だった。
そして後に、ドラガンがときどき“貴族の狩り用”として
奴隷を逃がすふりをしていたことも知った。
逃げられると思って走る奴隷たちは、
実際にはただの獲物。
それを理解してから、
ルーナにとって「逃げる」という選択肢は──
正確には存在するが、考えた瞬間に棄却されるものになった。
生き延びる。そして、
母を綺麗な花が咲く場所で眠らせる。
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