土御門の「闇」を断つ双音
アイランドブルーのミニ・クーパーが、土御門の領域を抜ける山道へと差し掛かった。車内には、アリスが選んだアールグレイの香りが微かに漂い、エンジンの重厚な低音が心地よいリズムを刻んでいる。
後部座席では、最初は「異国の鉄の箱」を警戒していた妖怪たちも、その滑らかな揺れと、何より蓮真の隣という幸福感に、毒気を抜かれたように静まっていた。
「……意外と、悪くない音ね。この鉄屑も」
蓮真の肩に頭を預けた白妙が、窓の外を流れる緑を眺めながら小さく呟く。
だがその時、朔夜の眉が鋭く跳ね上がった。
バックミラー越しに、道路の脇に立つ数人の「影」を捉えたからだ。
「……サクヤ」
「ああ、分かってる」
アリスの警告を待つまでもなく、異様な「静寂」が辺りを包み込む。それは、自然の音を無理やり押し殺したような、土御門の古い術式特有の「拒絶」の響きだった。
キィィッ、と甲高いブレーキ音を響かせ、朔夜はミニを停車させた。
行く手を阻むように立っていたのは、墨色の法衣を纏った土御門の長老衆の使い――「掃除屋」たちだった。
「朔夜様、戻られましたか。……ですが、そのような不浄な機械に、次代の希望である蓮真様を乗せるなど、言語道断」
中心に立つ男が、冷徹な声で告げる。
「その異端の女と、下卑た妖どもを今すぐ排除なさい。さもなくば、この場で蓮真様を『保護』し、その鉄屑を砕くことになります」
男が印を結ぶと、ミニの周囲に重力のような不可視の圧力がかかり、車体がギシリと悲鳴を上げた。
「なっ……! 待って、僕が勝手に乗せてって言ったんだ! 兄さんは悪くない!」
蓮真が慌てて身を乗り出すが、長老たちの術式は容赦なくその声を遮る。
「……シャァァァッ!! 蓮真様に指一本触れてみなさい、この古臭い紙切れ共が!」
小鞠が影の中から爪を出し、白妙の周囲の空気が一気に氷点下まで下がる。一触即発の事態。
だが、その嵐の中心で、朔夜はただ静かに、そしてゆっくりと運転席のドアを開けた。
「……蓮真、窓を閉めてろ」
朔夜が車外へ出ると、その足元から地面が微かに震えた。
以前の彼なら、この挑発に対し、ただ相手を破壊するための暴力を叩き込んでいただろう。しかし、今の彼から放たれるのは、アリスの「調律」によって研ぎ澄まされた、圧倒的な『拒絶への拒絶』だった。
「不浄だと? ……こいつは、俺がロンドンで守り、アリスが音を整え、この場所まで全員を運んできた『家』だ」
朔夜が一歩踏み出す。その瞬間、彼を中心に鉄の鳴動のような凄まじい波長が広がり、長老たちの術式を紙切れのように引き裂いた。
「俺の大事な家族の時間を、その腐った規律で土足で踏みにじるな。……それ以上動くなら、土御門の歴史ごと、その喉笛を叩き潰すぞ」
「鉄屑」と蔑まれた男の背中。
それは、妖怪たちの目には、これまで一度も見たことがないほど強固で、そして気高い「守護者」の姿として映った。
「……少しは言うようになったじゃない、土御門の死神」
白妙が、ミニの窓越しに不敵な笑みを浮かべる。彼女の放つ冷気が、朔夜の鉄の音と見事な共鳴を見せ、掃除屋たちの動きを完全に封じ込めた。かつては忌み嫌って呼んでいたその二つ名が、今はどこか頼もしい響きを持って山間に溶けていく。
「ひ、退け……! この男、以前とは格が違う……!」
圧倒的な「圧」に押され、掃除屋たちは蜘蛛の子を散らすように山林へと消えていった。
静寂が戻る。
朔夜は乱れた呼吸を整えることもなく、何事もなかったかのように運転席に戻った。
「……悪いな。少し揺れたが、車体は無傷だ」
バックミラー越しに目が合う。
白妙は顔を背けたが、その瞳にはもはや「嫌悪」の色はなかった。小鞠もまた、蓮真の膝の上で小さく尻尾を揺らしている。
「……朔夜兄さん」
蓮真が、誇らしげに兄を見つめる。
アリスがそっと、朔夜の手の上に自分の手を重ねた。
「いい音でしたよ、サクヤさん。……さあ、行きましょう。皆さんが待っている『目的地』へ」
アイランドブルーのミニが、再び力強く走り出す。
かつて死神と恐れられた兄と、彼を認め始めた妖怪たちを乗せて。




