オーバーブースト、本音の共鳴
霧が、悲鳴のような風の音を立てて渦巻く。
視界を埋め尽くす薄緑色の胞子が、朔夜とアリスの絆を切り裂こうと、なおも執拗に精神の隙間を突いてくる。だが、背中に感じるアリスの体温と、その早鐘を打つような鼓動が、朔夜をこの現実に繋ぎ止めていた。
「サクヤ……! この霧の奥、あの古い霊廟の裏に、一番汚い音が隠れてる。……あれが、この不協和音の源!」
アリスが朔夜の背に顔を伏せたまま、震える指で霧の深淵を指し示す。
本来なら、ここでハヤブサに跨り、真鍮ユニットから霊力を直結させて一気に加速するところだ。だが、今の朔夜の手元に愛馬はない。あるのは、家族を乗せてきた「ただの四輪車」だけだ。
「アリス、エレーナと一緒に車の中にいろ。……外に出るなよ」
朔夜はアリスを助手席へと押し戻し、ドアを閉めた。
退魔の道具ではないミニ・クーパーを戦火に晒すわけにはいかない。これは、彼らが帰るための「日常」そのものなのだから。
朔夜は一人、霧の深淵へと足を踏み出す。
背後でアリスが叫ぶ声が聞こえるが、彼は振り返らない。今、彼の胸にあるのは、合理主義を焼き尽くすほどの、剥き出しの「独占欲」だった。
(……幻覚の俺が、お前を独りにするだと? ふざけるな。……俺がそんなに、聞き分けのいい男に見えたか)
足元から這い上がる茨が、朔夜の四肢を締め付ける。だが、彼は呪文を詠唱することさえ排した。
陰陽師としての指先が、空中に不可視の術式回路を「組み立てる」。それはハヤブサという触媒を介さない、彼自身の肉体を魔術回路へと直結させる禁忌に近い最短術式。
「――同調、開始」
朔夜の全身を、銀色の電光が駆け抜ける。
アリスが車内から窓越しに聴いたのは、機械の駆動音ではない。朔夜の血液が、神経が、魔力と混ざり合って沸騰するような、凄まじい「執着」の音だった。
霧の奥、古びた霊廟の前で、怪異がその醜悪な本体を顕現させた。巨大な捕食花が、獲物を飲み込もうと顎を開く。
「アリス! 核の座標を教えろ!!」
朔夜の声が、不協和音を切り裂く。
車内から、アリスが身を乗り出すようにして叫び返した。
「――そこ! 十二時方向、花弁の重なる……音の空白を突いて!!」
その声が、朔夜の脳内で弾道計算を完遂させる。
ハヤブサがなくても、彼自身が「神速」であればいい。
朔夜は爆発的な踏み込みで、地面の石畳を砕きながら肉薄した。茨の防壁を、魔力を帯びた掌打で「解体」し、最短ルートで怪異の懐へと滑り込む。
「……消えろ。俺たちの休日を、汚すんじゃねえ」
零距離。
朔夜の指先が、怪異の核に触れた。
刹那、彼の内に渦巻いていた「アリスを誰にも渡さない」という狂おしいまでの情熱が、純粋な破壊のエネルギーとなって解放される。
轟音と共に、霊廟周辺を埋め尽くしていた薄緑色の霧が、内側から吹き飛ばされた。
光の粒子が舞い散る中、朔夜は肩で息をしながら、ゆっくりとミニ・クーパーの方を振り返る。
窓越しに、涙を溜めた瞳で自分を見つめるアリスの姿があった。
ハヤブサという翼が無くてもなお、泥臭く、必死に、ただ自分たちの居場所を守るために戦った一人の男。
その姿に、アリスはもう、自分の鼓動が誰のために鳴っているのか、疑う余地などどこにもなかった。




