サイド・バイ・サイド
引っ越しの準備と並行して、二人の「免許取得レース」が幕を開けた。
ロンドン郊外の広大な教習コース。最新式の教習車が二台、並んでスタートラインについている。運転席にはそれぞれ、鬼気迫る表情の朔夜と、ハンドルを握りしめて緊張に震えるアリスの姿があった。
「……いいかアリス。クラッチのミートポイントは音で判断しろ。機械が『繋がった』と鳴く瞬間がある。そこを逃すな」
隣の車から身を乗り出してアドバイスを送る朔夜だが、彼自身の指導員からは「左側の感覚がガバガバだぞ、二輪のつもりで走るな!」と怒鳴り散らされていた。
数時間の教習を終えた後。二人は並んで、コース脇のベンチで冷めた紅茶を飲んでいた。
「……サクヤ。さっき、縦列駐車で思いっきり縁石をこすってたわね」
「……うるせえ。あの箱の左側には、もう一台分の世界があるみたいで落ち着かねえんだ。二輪なら、あの隙間なんて一瞬で通り抜けられるってのに……」
ハヤブサでロンドンの裏路地を神業的な速度で駆け抜ける朔夜が、時速10マイルの車庫入れに冷や汗を流している。アリスはその横顔を見て、くすりと笑った。
「私は指導員さんに褒められたわよ。『慎重で、周囲の状況を音で察知するのが早い』って。……もしかしたら本当に、私が先に合格しちゃうかも」
「………………」
朔夜は無言でティーカップを握りしめた。
彼にとって、公道で誰かに命を預けることは、これまで一度もなかった。常に自分が最前線に立ち、ハヤブサの背中でアリスを守ってきた。
だが、この「教習」という不自由なルールの中では、アリスが自分よりも先に「前」へ行く可能性がある。
「……アリス。もし、本当にお前が先に受かったら」
「ええ?」
「……俺の隣(助手席)に座って、しっかり見てろよ。俺がこの車を、お前とエレーナを乗せて走るに相応しい『音』に仕上げていく様をな」
それは、朔夜なりの敗北宣言……というよりは、新しい未来への信頼だった。
アリスは少し驚いたように瞬きをした後、そっと朔夜の肩に自分の肩を寄せた。
「ええ、もちろんよ。……サクヤが、バイクに乗っている時みたいに自由で、それでいて私たちが安心して眠れるような、そんな『音』を鳴らせるようになるまで、私が隣で厳しくチェックしてあげる」
夕暮れの教習所。並んで歩く二人の影は、ハヤブサで風を切り裂いていた時よりもずっと長く、ゆっくりと重なっていた。
ベーカー街を去る前に始まったこのレースは、いつの間にか「どちらが勝つか」ではなく、「三人でどこへ行くか」という共鳴に変わりつつあった。




