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神速の陰陽師 〜ロンドン事件簿〜  作者: 風花
第十五章:クロス・フェード ―混ざり合う残響と、四輪の誓い―
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無用の長物と、公道の支配権

「……ねえ、サクヤ。ちょっと一つ、確認してもいいかしら?」

 引っ越しの荷造りが進むガレージの片隅で、アリスが呆れたような、それでいて可笑しくて仕方ないといった表情で声をかけた。その手には、朔夜が「これからは三人の時代だ」と豪語してオークションで落札し、積載車で運ばれてきたばかりのボロボロのクラシック・ミニの登録書類……の横に置かれた、朔夜のライセンス証があった。

「……何だ。今忙しい。スロットルボディの同調シンクロを見なきゃならねえんだ」

 ハヤブサの心臓部、インジェクション機構の精密な調整に集中したまま、朔夜がぶっきらぼうに返す。アリスはその広い背中に向かって、ライセンス証をひらひらと振ってみせた。

「このハヤブサに乗るための免許、スタンプが一つ足りない気がするのよね。……あなた、もしかして車の免許、持ってないんじゃない?」

 その瞬間、ガレージの中で響いていた規則的な金属音が、ピタリと止まった。

 エレーナが、好奇心に満ちた耳をピクリと動かし、二人の会話に集中する。

「………………必要ねえだろ。タイヤが二つあればどこへでも行ける。渋滞に捕まるだけの鉄屑を動かす免許なんて、時間の無駄だ」

 朔夜の背中が、見たこともないほど雄弁に「図星だ」と語っていた。

 アリスは、こらえきれずに吹き出した。

「ふふ、あははは! 嘘でしょう? あんなに偉そうに『俺が送ってやる』なんて言っておいて! エレーナちゃん、聞いた? この人、この立派な車を動かす権利を、そもそも持ってないのよ!」

「……サクヤ、音がおよいでる。すごく恥ずかしそうな、高い音が聞こえるよ」

 エレーナが追い打ちをかけるように無邪気に指摘する。

 朔夜は耳まで真っ赤にし、手にした工具を握りしめたまま、振り返ることさえできない。

「……うるせえ! 免許なんて、取ろうと思えばいつでも取れる! 術式を応用すれば試験官の目をごまかすことだって……」

「ダメよ、そんなの。正々堂々と取らなきゃ。……ねえ、サクヤ。いい提案があるわ」

 アリスが、作業台の横で固まっている朔夜の隣にスッと寄り添い、その耳元で楽しそうに囁いた。

「この国じゃ、免許を持ってる人が隣に乗っていれば、自分の車で公道練習ができるんでしょう? つまり、どちらかが先に受かれば、もう一人の『練習相手』として助手席に座れるってことよね」

 アリスはいたずらっぽく目を細め、朔夜の反応を楽しむように言葉を続けた。

「私、死ぬ気で勉強して先に合格してあげる。そうしたら、あなたが仮免許(Lプレート)を貼って運転するこのミニの隣で、私がたっぷり指導してあげるわ。『教官』って呼びなさいね?」

「……誰が呼ぶか、そんなもん。……おい、調子に乗るなよ。二輪でロンドンの裏路地を散々走り抜けてきた俺が、お前に遅れを取るわけがねえだろうが」

 ようやく振り返った朔夜の目は、いつになく真剣だった。バイク乗りとしてのプライドと、アリスに主導権を握られることへの対抗心が、彼に火をつけたらしい。

「……教習代はアビに請求してやる。どっちが先に『隣』に座る資格を手にするか、勝負だ。お前だろうが容赦はしねえぞ」

「いいわよ、受けて立つわ。……三人で暮らすための、新しい第一歩ね。……ね、サクヤ?」

 アリスが微笑みながら差し出した手を、朔夜は「ちっ」と舌打ちしつつも、力強く握り返した。

 最速のバイク乗りと、音を聴く女性。

 どちらが先に「助手席」という名の支配権を手に入れるのか。

 ベーカー街を離れる彼らが挑む、最も不自由で、最も負けられない「教習」の幕が上がった。


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