ティータイムの演算誤差と、日常の残響
ガレージの隣、楽器店の奥にある小さな休憩スペース。
朔夜は、アンティーク調の小さな椅子に、まるで壊れ物を扱うような窮屈な姿勢で腰掛けていた。
目の前には、白い湯気を立てるボーンチャイナのカップ。
「……砂糖は入れる? それとも、ストレート?」
「あ、ああ……ストレートでいい。余計なカロリーは、脳の演算を鈍らせる」
相変わらずの「効率至上主義」な発言。だが、それを聞くアリスは、今度は可笑しそうに声を立てて笑った。
「ふふ、ツチミカドさんって、本当にお仕事に誠実なのね。でも、そんなにカリカリしてたら、美味しいお茶の味が分からなくなっちゃうわよ」
彼女が淹れたアールグレイは、驚くほど香りが高かった。
蓮真が送ってくる、いつのものか分からない粉末茶とは天と地ほどの差がある。
一口啜ると、温かな液体が、張り詰めていた朔夜の神経を、音もなくほどいていく。
「……悪くない。……効率は悪いが、休息としては合理的だ」
「素直じゃないわね。……ねえ、ツチミカドさん。また、もし音が濁ってしまったら、お隣を訪ねてもいいかしら?」
アリスが首を傾げて、期待に満ちた瞳で見てくる。
「局を通せ」と言うべきだった。それがプロのルールだ。
だが、朔夜の口から出たのは、自分でも驚くほど不器用な言葉だった。
「……隣なら、歩いて数秒だ。わざわざ連絡する手間の方が非効率だろう」
それは彼なりの、最大限の譲歩であり、再会の約束だった。
アリスはその意味を正確に読み取ったのか、嬉しそうに頷いた。
「ええ、そうね。……じゃあ、次は私が、あなたのバイクに似合う音楽でも探しておくわ」
「……余計なことはするなと言っただろう」
そう言いながらも、朔夜の表情から険しさは消えていた。
茶を飲み干し、彼は逃げるようにガレージへと戻った。
自分の聖域に戻り、仮設の防炎シートをくぐる。
再び愛車のセルを回すと、今度は一度のミスもなく、力強い重低音がガレージを満たした。
完璧なアイドリング。
だが、その排気音の背後に、先ほど聴いたアリスの笑い声が残響のように混ざっている気がして、朔夜はわざとらしくアクセルを煽り、音をかき消した。
壁の向こうに、新しい「日常」が芽生え始めている。
それを喜ぶべきか、それとも警戒すべきか。
朔夜はまだ答えを出せずにいたが、ただ一つ確かなのは、次回の遠乗りの予定ルートが、なぜか「美味しい茶葉が買える村」を通過するように書き換えられていたことだけだった。




