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神速の陰陽師 〜ロンドン事件簿〜  作者: 風花
第十三章:サイレント・ノイズ ―沈黙の少女と、ガレージの居候―
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調律師の審判

 雷光が収まり、舞い上がったカーテンがゆっくりと床に降り立つ。

 爆鳴の余韻の中、エレーナの持つオルゴールから、錆びついた歯車が無理やり回る音が響き始めた。それは、かつて実母が愛用していた古い子守唄の旋律だった。

「嘘よ……鳴るはずがないわ! 私がその箱の針を一本ずつ折り曲げて、二度と鳴らないように……!」

 アンが裏返った声で叫び、膝をついた。その言葉こそが、彼女がエレーナに行ってきた陰湿な仕打ちの証明だった。

 事の真相は、アリスの耳が拾い上げた「音の断片」から明白になった。

 後妻のアンは、魔術のことなど何も知らなかった。彼女が欲しかったのは、ノーウッド家の財産と、前妻の面影を完全に消し去ることだけだ。彼女はエレーナが大切にしていた母の形見を「お前が壊した」と嘘をついて物理的に破壊し、さらに「お前の汚い声がお母様を追い出したのよ」と、幼い彼女の耳元で毎日毎日、毒を流し込み続けた。


 ただの一般人による心理的な虐待――。だが、エレーナが生まれ持っていた「音を司る魔力」が、その深い絶望に過剰に反応してしまった。彼女の魔力は主人の心を守るために、アンが嫌った「自分の声」を封じ、苦痛な本音が渦巻く「周囲の音」をすべて食らい尽くすことで、皮肉にも完璧な静寂を作り出していたのだ。

「……鳴った。……本当の、お母様の音」

 エレーナの喉から、掠れた、だが確かな「自分の声」が漏れた。

 防壁が消えた少女の瞳から涙が溢れる。それを見たノーウッド卿が、ようやく事の重大さに気づき、狼狽えながら娘に歩み寄ろうとした。

「エレーナ……すまない、私は知らなかったんだ。アンがそんなことを……」

 だが、その手は朔夜の冷徹な声に遮られた。

「……知らなかった? 自分の家で鳴ってる不協和音も聞き分けられねえ男が、父親面してんじゃねえよ。あんたのその無関心が、この女の毒を増幅させたんだ」

 朔夜は懐から、アビゲイルから預かっていた「局」の緊急介入要請書を取り出した。

「ノーウッド卿。あんたの管理不足で、このガキの無意識の魔力は暴走し、街一つを飲み込む特異点ノイズになりかけてた。……この女は『重過失による魔力災害誘発』の容疑で局が連れて行く。そしてあんたは……」

 朔夜は窓の外を指差した。屋敷の周囲には、すでにアビゲイルが手配した局の特殊車両が並んでいる。

「エレーナの魔力が完全に安定するまで、彼女は局の保護下……アビゲイルの管理下に置く。あんたのような『音痴』な男に、この子の調律は任せられねえからな」

 それは、ただ問題を解決して帰るのではなく、エレーナを物理的にこの屋敷から引き離し、安全を確保するための強引な処置だった。


 部屋に踏み込んできたアビゲイルが、泣き崩れるアンを冷ややかに見下ろし、エレーナを優しく抱き上げる。エレーナはアビゲイルの腕の中で、初めて安らかな顔をした。

「……帰るぞ、アリス。ここはもう、俺たちの仕事場じゃない」

 朔夜はそれだけ言うと、一度も振り返らずに部屋を出た。

 屋敷の外、夜のロンドンの冷たい風が二人の頬を撫でる。

 ハヤブサの傍に辿り着いた時、アリスは朔夜の腕を掴み、彼を振り向かせた。

「サクヤ。……あの子、もう大丈夫ね。局が保護するなら、あの女の人に怯えることも、お父様の嘘に傷つくこともないわ」

「……知るか。俺はただ、アビゲイルに頼まれた通り、元凶を片付けただけだ」

 朔夜は乱暴にヘルメットを被った。だが、その動作にはどこか憑き物が落ちたような安堵感があった。

 アリスは、彼が「依頼完了」を宣言する前に、わざとアンを挑発して自白を引き出し、局が介入できる状況を完璧に作り上げたことを見抜いている。

 アリスはタンデムシートに飛び乗り、彼の背中に耳を寄せた。

「……ねえ、サクヤ。ガレージに帰ったら、とびきり美味しい紅茶を淹れるわね。……二人だけの、嘘のない音の中で」

「……ああ。……それと、アリス」

「なあに?」

「……よく聴き分けたな。……助かった」

 エンジン音にかき消されそうなほどの小さな声。だがアリスの耳には、それがどんな高価な賛辞よりも誠実な、この夜の最後にふさわしい「真実の音」として響いていた。

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