不協和音の食卓
「不具合、ね。……その言葉、そのままあんたの顔に貼り付けてやりたいぜ」
朔夜の刺々しい言葉を、ノーウッド卿は柳に風と受け流し、慇懃な態度で夕食の席へと二人を誘った。屋敷の「日常」を観察しなければ、エレーナを縛る沈黙の正体は見えてこない。調査という名目がある以上、この吐き気のするような食卓に付き合うしかなかった。
並べられた料理は、銀食器の上で芸術品のように完璧な色彩を放っていた。だが、そこから立ち上る香りは、食材の滋味ではなく、どこか薬品めいた無機質な清潔さに支配されている。
「……サクヤ、聞こえる? スプーンが皿に当たる音さえ、何かに怯えて縮こまっているみたい。この部屋の空気そのものが、悲鳴を上げることすら許されていないの」
アリスがインカムを通じて、震える声で囁く。彼女はカトラリーを握ったまま、一口も食事に手を付けられずにいた。耳から流れ込んでくる情報の濁流に、彼女の精神が削られているのが朔夜には分かった。
テーブルを囲むのは、家主であるノーウッド卿と、後妻のアン。そして、その間に座らされた動かない人形のようなエレーナだ。アンは絶え間なく、いかにこの家が幸福で、エレーナがいかに愛されているかを、鈴を転がすような声で語り続けていた。
「この子は本当に繊細で……。私たちがどれほど心を痛めているか、プロの貴方たちなら分かっていただけるかしら? 私、この子のために毎日祈っているのよ」
アンが目尻を拭う仕草を見せる。その言葉は慈愛に満ちているはずなのに、アリスはテーブルの下で朔夜の膝を、痛いほどの力で握りしめた。
「……嘘よ。全部、嘘。この女の人の声、裏側ですごくドロドロした、嫌な音がしてる。……『早く消えてしまえ』『目障りな人形め』……言葉とは真逆の、泥のような悪意がエレーナの頭の上から降り注いでる。サクヤ、私、もう……」
アリスの指の震えが、ジーンズ越しに朔夜の脚に伝わってくる。あまりに生々しい「本音」の不快な周波数をダイレクトに受信し続けてしまい、アリスの許容範囲は限界に達していた。
朔夜は無言でワイングラスを煽り、その濁った音の出処であるアンを、射殺さんばかりの冷徹な視線で睨みつけた。
エレーナは、ただ一点を見つめて微動だにしない。彼女の周囲にある「空白」は、入館時よりもさらに密度を増し、物理的な壁となって光さえ屈折させているようだった。あまりに鋭利で身勝手な大人たちの本音が、彼女の繊細な精神を完膚なきまでに突き破らないよう、彼女の魔力が防衛反応として、世界から音を奪い去っているのだ。
「――おい、あんた」
朔夜が唐突にフォークを皿に叩きつけた。ガチャン! という硬質な音が、屋敷の偽善に満ちた静寂を暴力的に突き破る。ノーウッド卿とアンが、驚きと不快の混じった顔で朔夜を見た。
「不具合を見つけたぜ。……この屋敷に足りないのは静寂じゃない。『本物の音』だ」
「何を……っ、やはり野蛮な男を招き入れるべきではなかった! 執事、この男を――」
ノーウッド卿が立ち上がろうとしたその時、朔夜は左手の術式ユニットを起動させた。同時に、インカムのゲインを絞り、アリスの耳に届く周囲のノイズを物理的にシャットアウトする。
「アリス、耳を塞いでろ。聴くのは俺の声だけでいい。……この嘘八百のノイズは、俺が今ここで全部叩き潰してやる」
「サクヤ……っ!」
アリスを片腕で自分の背後に引き寄せ、朔夜は卓上に拳を叩きつけた。
ハヤブサのイグニッションのような鋭い紫電が彼の拳から迸り、土御門流の「震天の術」が発動する。それは音そのものを物理的な衝撃波へと変換し、周囲の「空気」を強制的に震わせる荒々しい術式だ。
大人たちが塗り固めた、粘着質で湿り気のある嘘の気配を、朔夜が放った剥き出しの破壊振動が粉砕していく。
ドォォォン!!
激突の余波で、食堂の巨大なクリスタルグラスが次々と悲鳴を上げて砕け散った。エレーナを囲んでいた「真空」の殻が、朔夜の放った強烈な一撃に呼応し、ひび割れるようにして初めて脈打ち始めた。




