職人の計算高い休日
ロンドンのガレージに辿り着いた頃には、夜の帳が完全に下りていた。
ハヤブサを定位置に停め、重いシャッターを下ろすと、そこには静寂……ではなく、ガレージの隅に放り出してきた局の通信端末が、断末魔のようなアラート音を上げながら赤く点滅していた。
「……まだ鳴ってるわね。よっぽど必死だったみたい」
アリスが苦笑しながら、淹れたての紅茶をテーブルに置く。
朔夜は溜息をつきながら、忌々しい端末を拾い上げた。液晶には「最優先・即時対応」の文字とともに、鬼のような数の未読メッセージと着信履歴が並んでいる。送信者はあのアビゲイル、そして泥まみれで逃げ帰ったはずのヘンリーだ。
「どれ……『セブン・シスターズ近辺にて大規模な時空干渉および未確認飛行物体の反応あり』。……『至急現場に急行し、原因を排除せよ。報酬は通常の三倍、特別危険手当を上乗せする』だとさ」
朔夜が内容を読み上げると、アリスが隣から端末を覗き込み、ぱちくりと目を丸くした。
「それって、さっきサクヤが『もう休め』って言って、綺麗に片付けちゃった話よね?」
「ああ。どうやら局のレーダーに引っかかったのは、俺たちが戦ってた真っ最中か、あるいは俺が術を叩き込んだ瞬間のエネルギー反応だろうな」
局は、現場ですでに問題が解決していることなど露ほども知らない。彼らにとってセブン・シスターズは今まさに、亡霊の編隊が飛び交う地獄の戦場であるはずなのだ。
「……どうするの? 正直に『もう終わった』って報告する?」
アリスの問いに、朔夜は不敵な笑みを浮かべた。
そのまま正直に話せば、局は「休暇中の勝手な行動」として片付け、一銭も払わないどころか、勝手に管轄外で暴れたとして減俸を言い渡しかねない。それでは、ガソリン代とアリスへの「手向け」の雷鳴がボランティアになってしまう。
「……いや。この依頼、今この瞬間『受理』したことにする」
「えっ?」
「今から現場に行くには、夜間の高速を飛ばしても二時間はかかる。……だから、俺たちは今からガレージで『準備』に取り掛かるんだ。装備の点検、術式の構築……それには一晩かかる。そうだろ?」
朔夜は端末を操作し、依頼承諾のサインを送ると、そのまま電源をオフにした。
「明日の朝、ハヤブサをちょっと汚してから『今帰還した』と報告する。もちろん、命懸けで大編隊を退治してきたっていう、血と汗の滲む戦闘詳報を添えてな。……アビゲイルのことだ、翌日の報告なら疑いもしないだろうさ」
アリスは一瞬呆気にとられたが、やがていたずらっぽく笑ってカップを掲げた。
「じゃあ、今夜は『徹夜で準備』という名の、ゆっくりしたティータイムね。……サクヤ、案外ちゃっかりしてるのね」
「職人は、自分の技術を安売りしねえもんだ。……さて、明日の『完了報告』に備えて、今日はもう寝るぞ」
翌朝、局の銀行口座から振り込まれるであろう「危険手当」を想像しながら、朔夜は今日一番の満足げな顔でソファに深く身を沈めた。




