白亜の静寂
空を圧していた不気味なエンジンの鼓動は、朔夜が放った最後の一撃とともに、嘘のように消え去った。
衝撃波が押し流した霧のカーテンの向こう側から、本来あるべき午後の柔らかな陽光が、再び断崖へと降り注ぐ。ハヤブサが切り裂いた大気が、チリチリと電気を帯びた余韻を残しながら、穏やかな潮風に混ざり合っていく。
朔夜はゆっくりとスロットルを戻し、ギアを落としていった。
ハヤブサのエンジン音は、先ほどまでの攻撃的な咆哮から、主人の呼吸に合わせるような、深く落ち着いたアイドリングへと戻っている。
「……消えたわね。みんな、とても静かに……」
インカム越しに聞こえるアリスの声は、少しだけ震えていた。だが、それは恐怖ではなく、一つの長い物語を読み終えた時のような、深い寂寥と安堵が混じったものだった。
朔夜は断崖の縁にある展望スペースにハヤブサを止め、サイドスタンドを立てた。
「ああ。……あいつら、最後にいい音を鳴らしてやがった」
ヘルメットを脱ぐと、鼻腔をくすぐるのは火薬のような魔力の残滓と、濃厚な潮の香りだ。
アリスもゆっくりとシートから降り、ヘルメットを脱いで、乱れた金髪を風に遊ばせながら海を見つめた。目の前に広がるのは、どこまでも続く真っ白な断崖絶壁――セブン・シスターズの壮大なパノラマだった。
足元から数百メートル下で砕ける波の音。カモメの鳴き声。
街の喧騒も、局の無機質な電波も届かないこの場所で、アリスは大きく深呼吸をした。
「サクヤ、見て。海が……笑ってるみたい」
彼女が指差す先、黄金色に染まり始めた海面には、もう亡霊たちの影はどこにもない。ただ、穏やかな波のリズムだけが、正しい調和を持って繰り返されている。
朔夜はハヤブサのタンクにそっと手を置いた。熱を帯びた金属の質感。自分の命を預ける相棒の鼓動。そして、隣で同じ景色を眺めている、自分にとって代えがたい「調律師」の存在。
「……アリス」
「なあに?」
「……。いや、何でもない。……しばらくここで、静かな音でも聴いてから帰るか」
気の利いた台詞は出てこなかった。だが、アリスはそれだけで十分だというように微笑み、朔夜の隣で静かに目を閉じた。
彼女の耳に今届いているのは、世界が奏でる、混じりけのない純粋なアリア。
白亜の断崖の上で、二人の長い休暇は、最も贅沢な静寂の中に溶けていった。




